宮崎駿監督の名作「天空の城ラピュタ」を考察、豊かな想像力と深い物語性に感服―中国メディア
2024年10月7日(月)23時0分 Record China
2024年10月1日、中国のポータルサイト・捜狐に、スタジオジブリの宮崎駿監督の映画「天空の城ラピュタ」について考察した記事が掲載された。
記事はまず、「宮崎監督のアニメ映画は永遠の名作であり、何度でも見返す価値がある。今年4月3日、彼の新作『君たちはどう生きるか』が中国で公開され、これが彼の『引退作』ではないかとささやかれた。宮崎監督本人は、この件について明確なコメントをしていないが、報道によれば、この作品を作る過程で母親を思い出し、体力的にも限界が近いと感じているようだ。プロデューサーの鈴木敏夫氏も宮崎監督引退の可能性を示唆していたが、宮崎監督は以前から何度も引退を口にしてきた。本当に引退するのか、今のところまだはっきりしない。ただ、彼はすでに80歳を超えており、確かに引退してもおかしくない年齢だ。彼にはゆっくり休んでもらいたい」とつづった。
続けて、「宮崎監督のアニメ映画はかなり見てきたが、今敏監督の作品と同じくらい好きだ。アニメ監督は自分の独特な映像スタイルを持つことが多いが、宮崎監督は特に際立っている。彼の最初の作品である『ルパン三世 カリオストロの城』からすでにその特徴が表れており、卓越した想像力と油絵のような色彩で、ユートピアのようなおとぎ話の世界を描き出した」と述べた。
その上で、「今日は改めて、宮崎監督の有名な映画『天空の城ラピュタ』について話したい。この映画は、宮崎監督が世界的に広く知られるきっかけとなっただけでなく、久石譲氏が音楽で名を残した作品でもある。宮崎監督の映画はしばしば観客に哲学的な思索を促す。例えば、人と自然の関係、戦争と平和、成長と自己発見といった深いテーマについて考えさせる。『天空の城ラピュタ』を何回見たかはもう覚えていないが、見るたびにこの映画の素晴らしさを感じる」と評した。
記事は、「主人公・パズーが住む小さな町や、海賊が作った飛行機、そして雲の上に浮かぶ島・ラピュタは、ロマンチックで神秘的なスチームパンクの美学にぴったりだ。スチームパンクの起源は、19世紀末のSF小説にまでさかのぼることができる。例えば、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』がその始まりとされる。スチームパンクの作品は、しばしば新しいエネルギー源や技術、機械を使って、19世紀の西洋世界に並行する仮想世界を描く。これにより、懐かしさと独創性が融合した世界観が形成される」と説明した。
さらに、「作中では、ヴィクトリア朝風の建築があふれ、パズーとヒロインのシータも20世紀の西欧風の服装で登場する。この映画は日本の作品でありながら、宮崎監督がつくり上げた世界は日本的ではなく、遠く離れたヨーロッパの小さな町を舞台にしているようだ。スチームパンクは、機械と技術の融合であり、蒸気機関から噴き出す蒸気は非常に強い視覚的インパクトを持つ。背が高く、細い手足を持つロボットもまた技術の象徴だ」と紹介した。
また、「スチームパンクは技術と魔法の融合でもある。『天空の城ラピュタ』の核心である『飛行石』は、人を宙に浮かせることができる不思議な力を持つ。ラピュタの巨大ロボットも、技術と魔法の融合を象徴する一つの要素だ。これらのロボットは自律的に動き、複雑な任務をこなし、シータの呪文で起動されると、機械を超越した神秘的な力を発揮する。ラピュタそのものが、技術の限界に挑戦しつつも、人類の夢を具現化した巨大な浮遊島なのだ。島には高度な技術遺産と自然が共存しており、技術と自然の魔法が完璧に融合したユートピアが描かれている。スチームパンクは文化的な現象であり、宮崎監督は『天空の城ラピュタ』を通して、この文化的な現象に対する自身の思考を反映している。映画におけるスチームパンクの要素は、観客に視覚的な喜びを提供するだけでなく、技術と自然、戦争と平和についての深い考察をもたらすのだ」とした。
記事は次に、「『天空の城ラピュタ』といえば、やはり久石氏を語らずにはいられない。宮崎監督と久石氏はまさに黄金コンビで、彼らは多くの名作を世に送り出してきた。『天空の城ラピュタ』の成功は、半分は久石氏の功績だと言っても過言ではないだろう。彼は多様な楽器と旋律を用いて、映画のさまざまな場面や雰囲気に合わせて音楽を変化させ、独特な感情体験を創り出している」とし、「例えば、映画のテーマ曲『君をのせて』は、純粋で楽しい童謡風のメロディーに、ほのかな哀愁を加え、映画の幻想的な物語と見事に調和させている。また、『天空の城ラピュタ』が持つスチームパンクの世界観とも見事に融合させており、シータが空からパズーの住む町に降りてくるシーンでは、管弦楽が鳴り響き、観客をヴィクトリア時代の英国へと導く。さらにシータが故郷の話をするシーンでは、フルートの音色がハープとバイオリンとともに響き、広大な草原を連想させるような悠々とした雰囲気を醸し出す。なお、このアイルランド風の音楽は、シータの故郷が遠く離れた場所にあることを暗示している」と考察した。
さらに、「映画の中で音楽は単なる背景音ではなく、物語の一部としてストーリーの動きを強化する役割を果たしている。例えば、パズーとシータが飛行石の力で危機を脱する場面では、音楽が軽やかで希望に満ちたものとなり、空を飛ぶ夢幻的なシーンを演出している。さらに、久石氏は音楽に電子音楽も取り入れ、神秘的な雰囲気を作り出している。シータとパズーがラピュタに到着する場面では、管弦楽と電子音楽が絶妙に合わさり、未来的で幻想的な感覚を生み出している」と分析した。
また、「作中のテーマ曲は場面ごとに異なるアレンジが施されている。シータとパズーが坑道に落ちるシーンでは、テーマ曲が柔らかく優美に奏でられ、シータの思い出と重なるような美しい雰囲気を作り出している。シータとバズーが飛行船の上で心を通わせるシーンでは、緊張感を伴ったアレンジに変わり、シータの平和を守りたいという決意を感じさせてる。ラピュタが崩壊するシーンでは、少年合唱団の声を無伴奏のテーマ曲に変え、壮大で荘厳な雰囲気を演出している。これは教会のミサを彷彿とさせ、悲劇的な色合いを一層深めている。海賊たちは映画の中でコミカルな役割を担っており、彼らの登場シーンでは軽快で滑稽な調子が加わり、映画にユーモアを添えている。総じて、久石譲の音楽は映画と完璧に調和している。彼の音楽がなければ『天空の城ラピュタ』は今ほどのドラマチックな効果を生むことはできなかっただろう」と述べた。
記事は、「日本はかつて侵略と略奪の歴史を繰り返し、弱い国を狙っては攻撃し、西洋列強にはこびる国だった。宮崎監督は日本人としてこうした侵略行為を軽蔑している。『天空の城ラピュタ』では、平和な西欧の国に海賊たちが金銀財宝を略奪しに来る姿が描かれている。これは、列強の侵略を象徴している。『天空の城ラピュタ』で軍と協同していたムスカはラピュタを占領して王になろうとする。これは、日本の軍国主義の野心を風刺している。彼らが求めていたのは単なる財宝ではなく、天空の城を支配し、その力で世界を統治することだった。だからこそ、『天空の城ラピュタ』は、実は政治的な風刺アニメであり、宮崎監督の強い反戦思想を表していると言える。最後にシータが滅びの呪文を唱えるが、それはラピュタというユートピアを破壊するのではなく、日本の軍国主義の幻想を破壊するものであったのだろう」と自論を展開した。
そして、「『天空の城ラピュタ』を改めて見直してみると、宮崎監督の豊かな想像力と深い物語性に感服せざるを得ない。このアニメが長く愛され続ける理由もここにある。宮崎監督の健康状態が心配ではあるものの、また彼の新作を見たいというわがままな気持ちもある。今監督はもうこの世を去ってしまった。もし宮崎監督が引退してしまったら、われわれはどんなアニメ映画を楽しめばいいのだろう?」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)