歴代の超大物外国人Jリーガー、1年目の活躍はどうだった? 10選手の成績を振り返る
サッカーキング2018年7月28日(土)13時33分
かつてJリーグでプレーした超大物選手10名 [写真]=J.LEAGUE
アンドレス・イニエスタとフェルナンド・トーレスの加入で沸くJリーグ。イニエスタはバルセロナで、トーレスはアトレティコ・マドリードやリヴァプール、チェルシーといったビッグクラブで活躍し、それぞれチャンピオンズリーグ(CL)などのタイトルを獲得した。また、ともにスペイン代表としてワールドカップやユーロを制した経験もあり、まさに世界レベルの超大物選手だ。
両者は、22日に行われた2018明治安田生命J1リーグ第17節でデビューを果たした。ヴィッセル神戸のイニエスタは湘南ベルマーレ戦で59分から、サガン鳥栖のトーレスはベガルタ仙台戦で50分からピッチに立ち、チャンスを演出するなど存在感を発揮。惜しくもゴールに繋がる結果は生まれなかったが、今後への期待が膨らむパフォーマンスだった。
もちろん、まだまだ連携面や選手間のコミュニケーションは不十分で、いきなり結果を求めるのは酷な話だ。また、ゴールやアシストだけが活躍を測る指標ではなく、彼らのような選手は存在だけでもチームに“なにか”をもたらしているに違いない。それでもやはり、これだけのキャリアを歩んできた選手である以上、期待せずにはいられない。イニエスタとトーレスは今季終了時、どんな記録を残しているだろうか。
そこで今回は、これまで日本でプレーしてきた超大物外国人選手の中から10人を厳選し、彼らがJリーグ1年目で残した成績を振り返ってみる。
■ジーコ
▼Jリーグ1年目
1993年/鹿島アントラーズ…19試合9ゴール
フラメンゴやブラジル代表で活躍したジーコは1989年に現役引退を表明したが、1991年に鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に加入。1993年のJリーグ開幕戦でいきなりハットトリックを達成すると、ファーストステージはその3点にとどまったものの、セカンドステージでは13試合に出場して6ゴールを記録した。
■ゲーリー・リネカー
▼Jリーグ1年目
1993年/名古屋グランパスエイト…7試合1ゴール
イングランド代表のストライカーとして1986年のメキシコW杯で得点王に輝き、クラブではレスターやバルセロナ、トッテナムで活躍したリネカーは、Jリーグが開幕した1993年に名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)へ移籍。しかし、1年目は7試合の出場で1ゴールと輝きを放つことができず、2年目も11試合3ゴールに終わった。
■ピエール・リトバルスキー
▼Jリーグ1年目
1993年/ジェフユナイテッド市原…35試合9ゴール
西ドイツ代表の一員として1990年にW杯制覇を果たした“リティ”ことリトバルスキーは、ケルンで活躍していた1993年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)へ移籍。初年から35試合出場とフル稼働し、9ゴールを記録した。
■ドラガン・ストイコヴィッチ
▼Jリーグ1年目成績
1994年/名古屋グランパスエイト…14試合3ゴール
“ピクシー”の愛称で知られるストイコヴィッチは、レッドスター・ベオグラードやマルセイユで中心選手として活躍し、リーグタイトルなどを獲得。また、18歳でユーゴスラビア代表デビューを果たし、1990年のイタリアW杯では大会ベストイレブンに選出された。日本へ渡ったのは1994年6月。名古屋グランパスエイトに加入すると、1年目はセカンドステージで14試合に出場し、3ゴールを記録した。名古屋では2001年までプレーし、J1リーグ通算184試合出場57ゴールの成績を残したほか、2008年から2013年までは監督として指揮を執った。
■サルヴァトーレ・スキラッチ
▼Jリーグ1年目
1994年/ジュビロ磐田…18試合9ゴール
メッシーナからユヴェントスへステップアップを果たした1989-90シーズンにイタリア代表デビューを果たすと、1990年に母国で開催されたイタリアW杯で得点王に輝いた。その後、インテルでの活躍を経て1994年に日本へ。ジュビロ磐田で加入初年度から18試合9ゴールと大活躍し、引退する1997年まで同クラブでプレー。驚異的なペースで得点を量産し、Jリーグ通算78試合出場56ゴールという記録を残した。
■レオナルド
▼Jリーグ1年目
1994年/鹿島アントラーズ…9試合7ゴール
17歳の時にフラメンゴでプロデビューしたレオナルドは、1993年にサンパウロでコパ・リベルタドーレスならびにインターコンチネンタルカップを制してクラブ世界一に輝いた。そして1994年のアメリカW杯後にジーコの誘いを受けて鹿島に移籍し、初年度はセカンドステージで9試合出場7ゴールと大活躍。在籍3年間でリーグ戦49試合出場30ゴールという成績を残し、その後はパリ・サンジェルマンやミランで活躍した。
■ドゥンガ
▼Jリーグ1年目
1995年/ジュビロ磐田…25試合1ゴール
ブラジル国内の名門やセリエAなどで活躍したドゥンガは、ブラジル代表の一員として1994年のアメリカW杯で全試合に出場し、優勝に貢献。翌年の1995年に磐田へ移籍した。磐田では加入初年度から主力としてプレーし、セカンドステージ26試合中25試合に出場。1997年にはJリーグMVPに選出された。
■ミカエル・ラウドルップ
▼Jリーグ1年目
1996年/ヴィッセル神戸(2部)…12試合5ゴール
イタリア・セリエAのラツィオとユヴェントスで活躍したラウドルップは1989年にバルセロナへ移籍すると、中心選手としてリーグ4連覇やチャンピオンズカップ(現CL)優勝を経験。その後、レアル・マドリードでの2年間を経て1996年にジャパンフットボールリーグ(2部相当)のヴィッセル神戸へ移籍した。神戸では1年目に12試合出場5ゴールを記録して昇格に貢献したが、翌1997年は負傷の影響もあり3試合の出場にとどまった。
■フリスト・ストイチコフ
▼Jリーグ1年目
1998/柏レイソル…16試合8ゴール
ブルガリア国内でリーグやカップ、得点王といったタイトルを獲得したストイチコフは1990年にバルセロナへ移籍。ヨハン・クライフ監督のもと“ドリーム・チーム”を形成し、リーグ4連覇を達成した。また、1994年のアメリカW杯で得点王となり、同年のバロンドールを受賞。その後、パルマ移籍やバルセロナ復帰などを経て、1998年に柏レイソルへ移籍した。柏では加入後初戦で得点をあげると、ファーストステージ4試合の出場で3ゴールと期待に応える活躍を披露。セカンドステージと合わせて16試合出場8ゴールを記録した。
■ディエゴ・フォルラン
▼Jリーグ1年目
2014年/セレッソ大阪…26試合7ゴール
マンチェスター・Uやビジャレアル、アトレティコ・マドリードでプレーし、2度のヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得したフォルランは、ウルグアイ代表でも中心選手として活躍。2010年南アフリカ大会では得点王とMVPに輝いた。2014年1月に加入したセレッソ大阪では大きな注目を浴びたが、26試合出場7ゴールという結果に終わり、チームもJ2降格を余儀なくされた。2年目はJ2で6月までに16試合出場10ゴールを記録したが、1年半の契約を延長せず、日本を離れることとなった。
写真=J.LEAGUE
両者は、22日に行われた2018明治安田生命J1リーグ第17節でデビューを果たした。ヴィッセル神戸のイニエスタは湘南ベルマーレ戦で59分から、サガン鳥栖のトーレスはベガルタ仙台戦で50分からピッチに立ち、チャンスを演出するなど存在感を発揮。惜しくもゴールに繋がる結果は生まれなかったが、今後への期待が膨らむパフォーマンスだった。
もちろん、まだまだ連携面や選手間のコミュニケーションは不十分で、いきなり結果を求めるのは酷な話だ。また、ゴールやアシストだけが活躍を測る指標ではなく、彼らのような選手は存在だけでもチームに“なにか”をもたらしているに違いない。それでもやはり、これだけのキャリアを歩んできた選手である以上、期待せずにはいられない。イニエスタとトーレスは今季終了時、どんな記録を残しているだろうか。
そこで今回は、これまで日本でプレーしてきた超大物外国人選手の中から10人を厳選し、彼らがJリーグ1年目で残した成績を振り返ってみる。
■ジーコ
▼Jリーグ1年目
1993年/鹿島アントラーズ…19試合9ゴール
フラメンゴやブラジル代表で活躍したジーコは1989年に現役引退を表明したが、1991年に鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団に加入。1993年のJリーグ開幕戦でいきなりハットトリックを達成すると、ファーストステージはその3点にとどまったものの、セカンドステージでは13試合に出場して6ゴールを記録した。
■ゲーリー・リネカー
▼Jリーグ1年目
1993年/名古屋グランパスエイト…7試合1ゴール
イングランド代表のストライカーとして1986年のメキシコW杯で得点王に輝き、クラブではレスターやバルセロナ、トッテナムで活躍したリネカーは、Jリーグが開幕した1993年に名古屋グランパスエイト(現名古屋グランパス)へ移籍。しかし、1年目は7試合の出場で1ゴールと輝きを放つことができず、2年目も11試合3ゴールに終わった。
■ピエール・リトバルスキー
▼Jリーグ1年目
1993年/ジェフユナイテッド市原…35試合9ゴール
西ドイツ代表の一員として1990年にW杯制覇を果たした“リティ”ことリトバルスキーは、ケルンで活躍していた1993年にジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)へ移籍。初年から35試合出場とフル稼働し、9ゴールを記録した。
■ドラガン・ストイコヴィッチ
▼Jリーグ1年目成績
1994年/名古屋グランパスエイト…14試合3ゴール
“ピクシー”の愛称で知られるストイコヴィッチは、レッドスター・ベオグラードやマルセイユで中心選手として活躍し、リーグタイトルなどを獲得。また、18歳でユーゴスラビア代表デビューを果たし、1990年のイタリアW杯では大会ベストイレブンに選出された。日本へ渡ったのは1994年6月。名古屋グランパスエイトに加入すると、1年目はセカンドステージで14試合に出場し、3ゴールを記録した。名古屋では2001年までプレーし、J1リーグ通算184試合出場57ゴールの成績を残したほか、2008年から2013年までは監督として指揮を執った。
■サルヴァトーレ・スキラッチ
▼Jリーグ1年目
1994年/ジュビロ磐田…18試合9ゴール
メッシーナからユヴェントスへステップアップを果たした1989-90シーズンにイタリア代表デビューを果たすと、1990年に母国で開催されたイタリアW杯で得点王に輝いた。その後、インテルでの活躍を経て1994年に日本へ。ジュビロ磐田で加入初年度から18試合9ゴールと大活躍し、引退する1997年まで同クラブでプレー。驚異的なペースで得点を量産し、Jリーグ通算78試合出場56ゴールという記録を残した。
■レオナルド
▼Jリーグ1年目
1994年/鹿島アントラーズ…9試合7ゴール
17歳の時にフラメンゴでプロデビューしたレオナルドは、1993年にサンパウロでコパ・リベルタドーレスならびにインターコンチネンタルカップを制してクラブ世界一に輝いた。そして1994年のアメリカW杯後にジーコの誘いを受けて鹿島に移籍し、初年度はセカンドステージで9試合出場7ゴールと大活躍。在籍3年間でリーグ戦49試合出場30ゴールという成績を残し、その後はパリ・サンジェルマンやミランで活躍した。
■ドゥンガ
▼Jリーグ1年目
1995年/ジュビロ磐田…25試合1ゴール
ブラジル国内の名門やセリエAなどで活躍したドゥンガは、ブラジル代表の一員として1994年のアメリカW杯で全試合に出場し、優勝に貢献。翌年の1995年に磐田へ移籍した。磐田では加入初年度から主力としてプレーし、セカンドステージ26試合中25試合に出場。1997年にはJリーグMVPに選出された。
■ミカエル・ラウドルップ
▼Jリーグ1年目
1996年/ヴィッセル神戸(2部)…12試合5ゴール
イタリア・セリエAのラツィオとユヴェントスで活躍したラウドルップは1989年にバルセロナへ移籍すると、中心選手としてリーグ4連覇やチャンピオンズカップ(現CL)優勝を経験。その後、レアル・マドリードでの2年間を経て1996年にジャパンフットボールリーグ(2部相当)のヴィッセル神戸へ移籍した。神戸では1年目に12試合出場5ゴールを記録して昇格に貢献したが、翌1997年は負傷の影響もあり3試合の出場にとどまった。
■フリスト・ストイチコフ
▼Jリーグ1年目
1998/柏レイソル…16試合8ゴール
ブルガリア国内でリーグやカップ、得点王といったタイトルを獲得したストイチコフは1990年にバルセロナへ移籍。ヨハン・クライフ監督のもと“ドリーム・チーム”を形成し、リーグ4連覇を達成した。また、1994年のアメリカW杯で得点王となり、同年のバロンドールを受賞。その後、パルマ移籍やバルセロナ復帰などを経て、1998年に柏レイソルへ移籍した。柏では加入後初戦で得点をあげると、ファーストステージ4試合の出場で3ゴールと期待に応える活躍を披露。セカンドステージと合わせて16試合出場8ゴールを記録した。
■ディエゴ・フォルラン
▼Jリーグ1年目
2014年/セレッソ大阪…26試合7ゴール
マンチェスター・Uやビジャレアル、アトレティコ・マドリードでプレーし、2度のヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得したフォルランは、ウルグアイ代表でも中心選手として活躍。2010年南アフリカ大会では得点王とMVPに輝いた。2014年1月に加入したセレッソ大阪では大きな注目を浴びたが、26試合出場7ゴールという結果に終わり、チームもJ2降格を余儀なくされた。2年目はJ2で6月までに16試合出場10ゴールを記録したが、1年半の契約を延長せず、日本を離れることとなった。
写真=J.LEAGUE
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