かつて存在した「東京の4大スラム」とは? 浜松町はドヤ街だった!
都市の中で極貧層が集中して住んでいる区域を「スラム」と呼ぶ。貧民窟あるいはスラム街とも呼ばれ、生活に必要な公共サービスが受けられず、居住者の健康や安全などが脅かされるといった劣悪な環境を指す。かつて日本では、江戸から明治にかけて「鮫ヶ橋」「万年町」「新宿南町」「芝新網(しばしんあみ)町」が四大スラムと言われ存在していた。
これら東京のスラムは、幕末に幕府軍と薩摩などの官軍との戦争を逃れるために江戸を逃げだした人々が、維新後に首都となった東京に逆流し住み着いたことに由来し、1923年の関東大震災でほぼ消滅したとされる。
スラムの一つであった芝新網町は、現在の港区浜松町にあたる町に存在し、東京湾に面する芝浦の一部で漁師町でもあった。1626年にここで獲れた白魚を幕府に献上したことで褒美に網干場の土地を与えられたことからその名が付けられた。芝新網町は、江戸の中心からも近く何より東海道沿いであったことから、もともと利便性が高いため多くの人が集まっていた町であった。
同時に、土地も安く低所得者が多く集まり、工場労働あるいは東京湾の埋め立てのための土砂運搬などに多くの人々が従事していたと考えられている。日雇い労働者のための簡易宿泊所が多いいわゆる「ドヤ街」でもあった芝新網町は、汚水が道にあふれ、ネズミの死骸が日にさらされ、いたんだ飯が路傍に散らばっているような環境であったという当時のルポが残っている。
芝新網町は「河原者」と称される芸人が多く集まっており、中でも象徴的なのは、願人坊主(がんにんぼうず)と呼ばれた者たちの存在であった。願人坊主とは、江戸時代から存在していた一種の大道芸人であり、市中を徘徊して謎かけやあほだら経、かっぽれ、念仏踊りなどで銭乞いをしていた。それらの芸の中には、寄席や歌舞伎に取り入れられるほどブームを巻き起こしたものもあり、現代芸能の原点ではないかとみなされるほどの影響力があったとも言われている。芝新網町は、他の東京のスラムの中でも特に集中していたことから「願人坊主の町」と称されるほどであった。
もっとも、江戸時代から彼らは蔑視の対象とされており、1886(明治19)年の『朝野(ちょうや)新聞』にも、「一体この地の貧民は昔より正業を修めず、いわゆる願人坊主と言うものの巣窟にて、人の門前に立(たち)て銭を貰うを商法となしおりし輩なれば、その習慣未だに去らず。」と記されている。彼らはブクブク三味線や木魚を用いて唄や語りもしていたが、どのような内容であったかは記録に残っていないという。
現在では、その片鱗も見られない浜松町であるが、このようにスラムと称された時代があった。町の中には、讃岐・小白稲荷神社が残っており、衣食住、未来の加護を願って当時から芝新網町に住む人々の拠り所になっていたという。こうした人々の切実な願いが、スラムであった土地をオフィスビルの建ち並ぶほどに発展した土地へと変容させたのだろうか。
【本記事は「ミステリーニュースステーション・ATLAS(アトラス)」からの提供です】
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