父を武装勢力の攻撃で亡くし、兄は今も行方不明 日本戦で2ゴールのイラク代表FWが歩んだ過酷な人生【アジア杯】

2024年1月20日(土)16時0分 ココカラネクスト

日本戦で2ゴールをねじ込んだフセイン。その気迫は凄まじいものがあった。(C)Getty Images

 歴史的なアップセットだった。現地時間1月19日、サッカー・アジアカップ(杯)グループステージ第2戦で、日本代表はイラク代表に1-2で敗戦。歴代最多の国際Aマッチ連勝記録が「10」で止まり、決勝トーナメント進出はインドネシア代表との最終節に持ち越しとなった。

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 優勝候補の一角を崩したイラクは、まさに熱狂の坩堝と化した。なにせ、日本がアジアカップのグループステージで敗れるのは、1988年大会で開催国となったカタールに敗れて以来、実に36年ぶりの出来事。それだけに下馬評も高くなかったが、“メソポタミアのライオン(イラク代表の愛称)”は、見事に大衆の予想を覆したのである。

 快進撃を牽引したのは、189センチの大型ストライカー、アイメン・フセインだ。

 開始早々の5分に左サイドからのクロスを日本のGK鈴木彩艶がはじくと、ルーズボールをヘディングでねじ込んで先制弾をゲット。これで勢いに乗った27歳の点取り屋は前半アディショナルタイム4分に、ふたたび左サイドを突破したアハメド・アルハッジャージのクロスに反応。またも頭で押し込んで2点目を奪った。

 値千金の2点をもぎとったフセイン。彼は愛する家族のために並々ならぬ覚悟を持って、今大会に臨んでいる。

 イラク北部の小さな田舎町キルクークに生まれたフセインは、7歳でイラク戦争を経験するなど幼少期から過酷な人生を歩んできたという。地元が石油生産が盛んな地域であったために、武装勢力による攻撃の対象となり、2008年には父親がアルカイダによるテロ攻撃で他界。さらに警察官だった兄は、過激派に拉致され連絡が取れなくなっている。

 相次いで家族を失う過酷な経験をした彼にとって、サッカーは数少ない生きる希望だったのかもしれない。「(サッカーを)辞めてしまったら、僕は何も変われない」と語った青年は、ひたむきにボールを追い続けた。

 十代で台頭したフセインは、母国のサッカー界の英雄とされるユニス・マフムードの「後継者」と呼ばれるまでに成長。2018年にはチュニジアの強豪スファクシャンに移籍すると、昨年8月にはモロッコの強豪ラジャ・カサブランカに加入。クラブが「行政上の損害」を理由に契約を解除するまでプレーしていた。

 日本戦後に「得点王争いはどうでもいい。たしかに個人の成績は大事だけど、それよりも大事なのは優勝トロフィーを持ち帰ることだ」と豪語したフセイン。森保ジャパンを飲み込んだ気迫は、凄まじいものがあった。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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