ウーデゴーアが明かすスペインでの苦悩と学び、そしてアーセナルでの未来「長くここにいるつもり」

2023年2月10日(金)14時11分 サッカーキング

アーセナルのキャプテンとして活躍するウーデゴーア [写真]=Getty Images

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 アーセナルに所属しているノルウェー代表MFマルティン・ウーデゴーアが9日、世界中のアスリートが言葉を発信するプラットフォーム『ザ・プレイヤーズ・トリビューン』にて、自身のキャリアを振り返った。

 若い頃から将来を嘱望されていたウーデゴーアは、2014年8月に弱冠15歳でA代表デビューを飾り、同国の史上最年少デビュー記録を塗り替えた。「ノルウェーには長い間スーパースターがいなかった。たとえ僕が優れていなかったとしても、信じたかったのだろう。結果的に、誇張表現に拍車をかける形になってしまった」と振り返る。“神童”としてその名が世界に知れ渡ると、多くのビッグクラブが獲得に乗り出すようになった。「クラブとの交渉は父がすべてやってくれていたけど、色んなクラブから話があった。レアル・マドリード以外にも、バイエルン、ドルトムント、マンチェスター・U、リヴァプール」と語ると、「実は当時からアーセナルに加入する可能性もあった。コルニーで練習もしたし、アーセン・ヴェンゲルとは食事もしたよ。緊張したね。テレビで見てた伝説の人物が目の前にいるんだ。『今、僕がフライドポテトを食べたら批判されるかな?』なんて考えていたような記憶もあるよ(笑)」と明かしている。

 最終的にウーデゴーアはレアル・マドリードへの移籍を決意した。決断の背景について「家族ともよく話し合った。でも、結局のところマドリーはマドリーだ。チャンピオンズリーグ(CL)の最多優勝クラブで世界最高峰の選手たちが揃っていた。当時僕はイスコの大ファンだったしね。でも、マドリーからのオファーを受け入れると決めた1番の理由は、非常にハイレベルで競争力のあるBチームがあったことだ。そのチームの監督は誰だったと思う?ジネディーヌ・ジダンだ。まさに理想の環境だった」と語る。16歳だったウーデゴーアは世界有数のビッグクラブの門を叩くと、そこには想像もできないような人生が待っていた。

「マドリードに向かう日の早朝、飛行機で僕のことを迎えに来てくれた。本当に早い時間にね。半分寝てるような状態で家を出たから、髪はボサボサ。シャワーを浴びる時間だってなかった。すぐに手に入る服を着て、簡単なものをバッグに放り込んで、飛行機に乗った。マドリードのホテルに着いたら、着替えて、シャワーを浴びて、身支度を整えればいいと思っていたんだ。だけど、飛行機を降りたらすぐにトレーニング施設でメディカルチェックを受け、それから記者会見だとわかった。この日は僕の人生最大の日で、映像は世界中を駆け巡った。多くのビッグクラブとの争奪戦の末にレアル・マドリードが獲得した選手のはずなのに、まるでスタジアムツアーから引っ張ってきた小学生のような姿だった」

「記者会見の数日後には初めてトレーニングに参加したが、正直に言って現実だとは思えなかった。イスコやクリスティアーノ・ロナウド、(セルヒオ・)ラモス、(ルカ・)モドリッチ、(ガレス・)ベイル、(カリム・)ベンゼマと一緒にプレーするようになったのだから。ドレッシングルームでは緊張していたことを覚えている。僕はスペイン語を話せなかったけれど、(トニ・)クロース、モドリッチ、ロナウドといった英語を話す選手たちは、僕の面倒を見てくれた。アドバイスもくれたし、本当に助けられた」

 当時のウーデゴーアはトップチームでトレーニングに励む傍ら、カスティージャ(Bチーム)でコンスタントに出場時間を確保するというプランになっていたという。しかし、ウーデゴーアは「どちらのチームでも自分の居場所を見つけられずに終わってしまった」と当時の心境を吐露。「常にBチームに帯同しているわけではなく、チームとの繋がりを見いだせなかった。トップチームでは練習に来るだけの少年で、試合には出られない。板挟みのような感覚だった」と続けた。

 次第にウーデゴーアは自身のプレーからも輝きが失われていくことを感じた。「安定思考になりすぎていたと思う。自分のプレーをすることよりも、ミスをしないことばかり考えていた。僕の長所は常に違いを生み出し、難しいパスを出すこと。ピッチの上では、本当の自分を見せなければならないんだ。数年間、僕は進歩しなかった」

 その後、2017年冬にヘーレンフェーンへレンタル移籍して出場機会を得ると、そこからはフィテッセ、そしてレアル・ソシエダでもプレー。レアル・ソシエダで充実した2019−20シーズンを過ごした後、レアル・マドリードから復帰の要請が届いた。「今こそこのチャンスをものにしなければと思った。16歳の頃から追いかけていた夢なのだから」と並々ならぬ闘志を燃やしていたが、ウーデゴーアは不運に襲われる。シーズン開幕直前に新型コロナウイルス感染症を患ってしまったのだ。

「ジダンはBチーム時代から僕のことを気にかけてくれていた。今度こそ上手くいくと信じていたが、感染症にかかってしまった。シーズン最初の2試合は出場できたけど、まだコンディションは万全ではなかった。ベストなパフォーマンスができず、その後はあまりチャンスに恵まれなかった。ほとんど何もない期間だった」

 試合に出られないシーズンを過ごす中、「プレーするためにここに戻ってきたんだ。成長し続けなければならない」と感じていたウーデゴーアは、冬の移籍市場でアーセナルへの期限付き移籍を決断する。アーセナルで主力の座を射止めると、翌年夏にはレアル・マドリードを離れて完全移籍することが決定した。結果的にレアル・マドリードで成功を掴むことができなかったが、ウーデゴーアはクラブに感謝しているという。

「はっきりさせておきたいのは、僕はレアル・マドリードで過ごした時間に不満を持っているわけではないということだ。まったくない。マドリードに行ったことは、僕にとって良いことだった。トップになるために何が必要なのか、多くのことを学んだ。世界最高の選手たち、僕のアイドルたちと共にトレーニングした。ベルナベウでプレーした。タフであること、困難に立ち向かうことを学んだ。それが今の僕の一部なんだ。今の僕があるのは間違いなくレアル・マドリードでの日々のおかげだ」

「困難な状況に陥ったときでも、僕はビジョンを見失うことはなかった。頭の中では常に『どうすれば変われるか?どうすればもっと良くなるのか?』と考えている。ビッグクラブで練習を重ね、そこそこの出場時間を得るだけでは満足できない。そんな人間に僕は絶対になれないんだ。僕は常に最高の自分になるために何をすべきかを考えていた。だから、前に進む必要があったんだ」

「16歳の少年に投資してくれたレアル・マドリードには感謝しかない。けれども、僕は落ち着ける場所を見つける必要があったんだ。そして、僕はノースロンドンでそんな“家”を見つけた」

 こうして加入したアーセナルでは、2021−22シーズンの終盤からキャプテンマークを任され、今シーズンからは正式にキャプテンに任命されている。新天地にアーセナルを選んだ理由については「移籍を決める前、Zoom経由でミケル・アルテタと話したことが強く印象に残っている。彼からこのプロジェクトのことをすべて聞いて、挑戦したいと思った。当時、アーセナルはあまり良い成績ではなく、彼のことを信じていない人もたくさんいただろう。でも、彼は別格なんだ。説明するのは難しい。彼が話すことの全てが必ず起こると信じられる」と話す。SNSを通してファンから熱烈な歓迎を受けたことも明かしており、最終的には新天地をアーセナルに決めた。

 今シーズンのアーセナルはプレミアリーグで絶好調だ。プレミアリーグでは20試合を消化した段階で16勝2分2敗という成績で勝ち点「50」を獲得。19シーズンぶりの優勝も狙える位置につけている。ウーデゴーアは本拠地『エミレーツ・スタジアム』のファンが纏う熱気、そしてアルテタ監督のもと歩んできた道のりを自身の言葉で説明するとともに、シーズン残りのシーズンへの意気込みも語った。

「アーセナルのファンのみんなは最高だ。選手によってはあまり影響がないと言う人もいるけど、僕にはとても重要なんだ。『エミレーツ・スタジアム』では、タックルしてボールを奪い取ると、まるでゴールを決めたかのようにスタジアム全体が歓声に包まれるんだ。何でもできるという自信を与えてくれる」

「僕が初めてこのクラブでプレーした2020−21シーズン、最終的には8位でシーズンを終えたたが、クラブの誰もが僕たちの歩む道のりを疑っていないように思えた。すべては計画の中の過程にすぎない。昨季、本当に厳しい状況になったときでさえもね。確かに最後の最後でCL出場権逃したのは痛手だった。だが、僕らはその経験から学び、よりハングリーさを増して戻ってきた」

「今、僕らはタイトルレースに加わっている。けれども、まだまだ先は長い。まだ誰も5月のことは考えていないよ。月並みな表現だけど、僕らは1試合1試合、1回1回のトレーニングを大事にし、目の前の課題をクリアしていく。でも、もしまだこのチームを信じきれていない人がいたら、僕から言わせてほしい。僕らが達成できることに限界はない。このクラブのキャプテンであることを誇りに思うし、長くここにいるつもりだ」

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