バスケWリーグで「地域密着」東京羽田を1部昇格に導いた“レジェンド”指揮官の理想は…「私が何もしなくていいチーム」

2025年2月28日(金)13時55分 読売新聞

昇格を決めた2月23日、大田区総合体育館には3000人を超す観客が訪れた。同日現在では今季Wリーグで最多の数字となった(2月23日)

 女子バスケットボールのWリーグは2月23日、2部にあたる「Wフューチャー」で東京羽田ヴィッキーズが今季の1位を確定させ、来季の1部「Wプレミア」への昇格を決めた。4年目の萩原美樹子ヘッドコーチ(HC)(54)は1996年のアトランタ五輪代表で、日本人選手で初めて米女子プロバスケットボールリーグ(WNBA)でプレーした女子バスケ界のレジェンド。東京羽田で初めてWリーグの指揮をとり、地域密着型クラブの文化に触発されながらチームを成長させてきた。(編集委員 千葉直樹)

 「本当にほっとした。なんで勝ったのか覚えてないです」——。三菱電機を86−76で破って昇格を決めた23日の試合後、萩原さんの第一声は少しうわずっていた。

 Wリーグは今季(2024〜25年シーズン)から13年ぶりに2部制で実施されている。チーム間の実力差が大きいなどの課題があり、2部制の導入には、実力の拮抗(きっこう)したチームの対戦を増やして競技力や魅力の向上につなげる狙いがある。昨季の順位で14チームが二つのリーグに分かれ、WフューチャーはWプレミア(8チーム)の下部リーグとして6チームが5回戦総当たりを行い、1位がWプレミアの8位と入れ替わりに自動昇格する仕組みだ。

「2つの文化」の間で…

 99年の全日本総合選手権優勝を最後に現役引退した萩原さんは、その直後の99〜2000シーズンからスタートしたWリーグではプレーしていない。高校卒業後の89年に共同石油(現ENEOS)に入り、大型フォワードとして日本リーグで4年連続得点王となるなど活躍。引退後は早稲田大学で学び、同大のHCや、日本協会女子ジュニア専任コーチとして年代別の代表で指揮をとり、指導者経験を積んできた。「そろそろWリーグで挑戦してみたい」と考えていた4年ほど前に東京羽田からオファーを受けた。

 コロナ禍のさなかで、チームの成績も低迷しており、コロナ明けをにらんで体制の刷新が急がれていた時期だった。冨田里利ゼネラル・マネジャー(GM)は「実業団やクラブのコーチはやったことがないという萩原さんに、私たちは逆にわくわくして声をかけました。うちはWリーグでは東京で唯一のクラブチームですが、萩原さんはそういう成り立ちのチームを理解してくれました。日本協会でのコーチ経験や人脈に期待しました」。

 旧日本リーグの荏原製作所を前身とする東京羽田は、13年に東京都大田区を中心に活動するプロクラブチームとなった。特定企業に属さず、大小200を超えるスポンサー・協賛企業に支えられる地域密着チームとして、多くの熱心なファンを持つ。その反面、活動環境が充実した企業チームに比べて資金力で劣ることも否めない。チーム所有の専用体育館や寮を持たず、練習は地域に開放されている企業の体育館を優先的に使わせてもらう。選手たちはスポンサー企業とアスリート社員契約を結び、それぞれの自宅から練習に通っている。

 就任1年目は萩原さんにとって、いわゆるトップチームと東京羽田との「2つの文化」の間で戸惑ったシーズンでもあった。

 「私の現役時代もそうでしたが、寮と体育館の往復をしながら食事やトレーニングなどすべてチームが見てくれるのが当たり前の環境だった。トップのチームは多かれ少なかれそういうものだと思っていました。

 でもここ(東京羽田)ではトレーニングをしたくてもコロナ禍で練習施設が閉鎖されてしまって場所がなかった。中学校の体育館も借り、電車や自転車で移動して限られた時間をやりくりする。それでは、と機器を買っても、今度は置くスペースがない。何もかもがイレギュラーでした。選手は自宅から通うので、食事やコンディションのケアなどがなかなか行き届かない。スポンサー企業に物心援助など応援してもらいながらバスケットをやる環境を目の当たりにしました」

「こんなに負けた経験がなかった…」

 1年目がリーグ9位、2年目が11位、3年目が10位。いずれも大きく負け越した。 「現役時代はこんなに負けた経験がなかったので、今になってこんな経験をするとは……。逆に、ちょっと新鮮でもありました」と冗談めかしてはいても、現実に苦しみ、思考錯誤を繰り返す道のりだった。

 だが、次第に力のある選手が集まってきた。

 萩原さんが目指すスタイルは、インサイド、アウトサイドの連係でボールを回して確率のいいシュートを打つバスケット。2年目にはフォワードの高原春季選手、3年目には待望のビッグマンとして1メートル88のセンター栗林未和選手、3点シュートが武器の千葉歩選手、そして課題だった「4番」と呼ばれるパワーフォワードのポジションに今季から加藤優希選手が、それぞれ移籍で加わった。その中には萩原さんが日本協会のコーチ時代に年代別代表で関わった選手もいる。本橋菜子選手、星澤真選手、軸丸ひかる選手ら生え抜きの選手と新しい選手の融合で、チームの骨格は整っていった。

 「地域密着型のクラブチームとして地元やスポンサー企業とのつながりが強い。そういうチームカラーに魅力を感じてくれる選手が増えてきていると感じます」

 2部制へのリーグ組織改編は昨シーズン前に発表された。1部残留を目標に臨んだ昨季は、シャンソン化粧品から1勝、ENEOSにはひとけた点差で惜敗するなど強豪に肉薄したが上位8位には残れず、良い流れを継続することの難しさを痛感したシーズンとなった。

 「前半に上位チームと当たって負けが込み、気持ち的に追い込まれた。悲壮感が漂い、練習中に過呼吸の選手が出るなど、私も初めての経験でした。選手はつらかったと思います」と萩原さんは振り返る。

 迎えた今季、下馬評では前シーズンのそれぞれ9、10位だった三菱電機と東京羽田が「2強」の位置づけだった。「1位でプレミア自動昇格」を目標に掲げた東京羽田は、開幕からの7連勝で好発進するとライバルの三菱電機と互いに譲らず、3位以下のチームを大きく引き離してシーズンの首位争いを続けた。

 後半戦には高原選手、栗林選手の「飛車角」を体調不良で欠く苦しい時期もあったが、他のメンバーの奮起で窮地を乗り越え、1月末の時点で2位以上を確定させたチームは19勝3敗で三菱電機と並び、中断期間をはさんで2月22、23日の直接対決2連戦(東京・大田区総合体育館)を迎えた。

 リーグ戦の順位は勝率で決定するが、2チーム以上が同勝率の場合は、5試合制の直接対決の結果で決まる。三菱電機とはこの時点で3試合を戦って1勝2敗。3試合目だった昨年11月23日の試合(群馬・高崎アリーナ)では1点差でリードしていた第4クオーター残り1秒の痛恨のファウルをきっかけに同点とされ、延長で敗れた悔しい経験がある。東京羽田がフューチャー1位で自動昇格を果たすためには、2月の三菱電機戦で2連勝することが絶対的な条件だった。

天王山の戦い、3000人の大観衆が後押し

 決戦第1ラウンドの2月22日。萩原さんが「全体的に気負っている、すごく硬かった」というチームはシュートタッチに苦しみ、1点リードされた第4クオーター残り2秒に加藤選手の逆転シュートが決まって劇的に勝利した。

 翌23日、ホーム会場の大田区総合体育館にはプレミア昇格の瞬間を見ようというファンを中心に、リーグ今季最高となる3193人の観客が訪れた。昨季のWリーグの1試合あたり平均入場者数は1300人弱だから、2部制の今季のフューチャーでは破格の数字だ。会場全体が熱気に包まれた一戦は「今年のチームは日替わりで誰かが活躍する」(萩原さん)という言葉を象徴する試合となった。ファウルがかさんだセンターの栗林選手に代えて投入したイベ エスターチカンソ選手と、ルーキーながら勝負強い洪潤夏選手がそろってチーム最多の16点を挙げるなどベンチメンバーが躍動し、三菱電機を10点差でねじ伏せた。

 試合後のコートで選手に胴上げされた萩原さんが振り返る。

 「今年は崩れることが少なくなった。昨季までは、一度崩れると歯止めがきかなかったが、今季は最後までリバウンドをつなげるなど、持ちこたえられるようになりました。

 就任した4年前は青写真をどう描こうかという感じでした。あまりにも想像と違う、あれもない、これもない、みたいな感じだった。どうやって選手を集めて強化していくのか、まったく見えない状況だった。でもフロントと話をしながら、羽田らしさを考えていった中で選手が集まり始めた。昨季までは、頑張っても勝つことができなかったが、今年はやっただけの成果が得られ、それが崩れないことにつながったと感じています」

チームに影響を与えた愛弟子の存在

 萩原さんが東京羽田に行こうと決めた理由の一つには、チームの生え抜きでパリ五輪代表の本橋選手の存在があった。早稲田大で4年間教え、日本協会の専任コーチ時代にも交流を続けるなど強い師弟関係で結ばれている選手だ。大きな膝の故障を克服してきた、その本橋選手が31歳になった今も頑張っているチームだった。

 「今年は本橋が積極的にチームに関わってくれています。今までは、代表活動で半分くらいしかチームにいなくて、本人なりに気を使ってたのかな。昨季にフューチャーに落としちゃったっていう責任感もあったからだと思います。パリから帰ってきて、すごく変わりました。もともと、チーム内で発言力のある選手ですが、期するものがあったと思います。それがチームに波及した。みんな、私の言うことよりも本橋の言うことを聞きますから(笑)」

 その本橋選手が話す。

 「(五輪での)負けが悔しくて。結果じゃなくて、そこまでの過程とか、言葉で表現するのは難しいですが、もどかしくて情けないとか、いろんな感情があって終わってしまった。そういう思いを自分もしたくない、チームとしてもしたくない。パリの経験をただの経験で終わらせず、次につなげるんだという思いが強かった。そう思えたのは(東京羽田)ヴィッキーズがあったからです」

 萩原さんにヘッドコーチとしての「信念」は、とたずねたら意外な答えが返ってきた。

 「選手に任せたい。私の理想は、HCが何もしなくていいチーム。流れが悪かったらベンチがタイムアウトを取る、それだけでいい。トップリーグでもそういうチームが作れるでしょうか。

 練習ではどうしても言わなきゃいけないことだけ話します。選手同士が良く話し合うチームがいいと思う。練習の前後にその日の目標や成果を、選手たちは自主的に話し合っていますが、今年は良くしゃべっていますね」

回り道ではなかった、と思える来季の戦いを

 東京羽田は来季、トップリーグの「Wプレミア」に所属する。リーグでは外国人選手登録規定の改定で「通算5年以上日本に在留していること」という条件を撤廃して欧米の外国籍選手の加入を認めることなどもあり、さらなる変革の時代を迎える。

 本来なら、昨季にリーグ8位以内で初年度のプレミア入りを決めたかった東京羽田だが、今季の2部での戦いで成功体験を積んだことは、決して回り道ではなかったはずだ。プレミアでの戦いは決して楽なものではないだろうが、萩原さんは来季に目を向ける。

 「今季はフューチャーにもそれぞれ特徴のあるバスケットをする良いチームが多くて、すごく鍛えられた。選手は成長し、皇后杯(全日本選手権)でもプレミアのチームに勝ってベスト8まで進むことができました。そういう勢いをもって、選手たちがプレミアでも戦えればと思っています」

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