中村俊輔氏 海外移籍の意識芽生えたU20W杯 現在のU20代表へ「重要なのは1対1」
2025年2月28日(金)5時0分 スポーツニッポン
【月刊中村俊輔 2月号】横浜FCの中村俊輔コーチ(46)がサッカーの魅力を語り尽くす「月刊中村俊輔」。2月号のテーマはU—20アジア杯&U—20W杯。96年に4強入りでアジアを突破し、ベスト8入りした97年の本大会で芽生えた意識、得た経験とは?当時を振り返り、同じ道をたどる現U—20日本代表にエールも送った。(取材・構成 垣内 一之)
「それまで日本代表に入ったことがなかった。チームメートは1学年上のJリーガーばかりで、“自分のレベルで大丈夫?”と思っていたら、(自分の好きな)トップ下で先発で出られた。昔はトップ下というポジションがあったからね」
今も決して忘れない97年世界ユース選手権(現U—20W杯)W杯予選も兼ねた96年アジアユース選手権(現U—20アジア杯)。高校3年(桐光学園)だった俊輔氏は各世代を通して初めて日の丸を背負った。
「中国と韓国に負けたけど、そこでライバルというか、相手から敵対視されていることを初めて知った。それは五輪代表もA代表も同じ。戦術うんぬんを超えた戦いが必要。特に韓国とは、やるか、やられるかの戦い。そういう戦いがあるのはW杯ではなく、アジア。それを18歳で体感できたのは良かった」
日本は1次リーグを2位で突破し、2大会連続本大会出場を決めたが、準決勝で韓国、3位決定戦でUAEにPK戦で敗れた。俊輔氏は大会を通して日の丸の重み、アジアでの戦いの重要性を初めて体験した。
「韓国には力負けだった。だから“これじゃまずいな”って。周りがプロでやっている中で、自分は戻ったら高校でやらないといけない。ちょっと焦ったよね。だから、(帰国後は)複数のJクラブの練習に参加させてもらった」
本大会までの約8カ月間は、さらなるレベルアップに精進。「一番は日本のため。少しでもいい成績を残したかった。あとは同年代で、自分がどれだけできるか」と臨んだU—20W杯マレーシア大会では、アジアとはまた違った戦いを学び、新たな目標もできたという。
「8強で激突したガーナ戦が一番印象に残っている。既に欧州の強豪に所属する選手もいた。届かなそうなボールが届いたり、“組織的なサッカーをしてきたら嫌だな”という印象を受けた。そういった経験は五輪、A代表にもつながったと思う。やっぱりアフリカはアフリカ、アジアはアジアの特徴がある。南米も同じ。アンダー世代で、日本を代表して出られたのは良かった」
海外移籍の意識が芽生えたのもU—20W杯だった。「海外の選手は20歳からどんどん伸びて、ビッグクラブに移籍する人もいる。“置いていかれないようにしないと”と思った。目標が増えたよね。目標が大きくなって、変わった大会。目を世界に向けるようになった」
その後のキャリアに大きく影響を与えたU—20世代。最後に4大会連続の本大会出場を決めた現U—20代表に「何もないところから一人で違いを生み出せるというのは、やっぱり欧州でも価値が上がる。それを日本代表にも落とし込めればいいと思う。やっぱり重要なのは1対1、個だからね」とエールを送った。