西村修さん、53歳死去 小学校入学式控えた愛息「泣いていた」 妻が明かすパパとの最期に立ち合い...

2025年3月1日(土)4時30分 スポーツニッポン

 プロレスラーで東京都文京区議会議員の西村修(にしむら・おさむ)さんが28日朝、都内の病院で死去した。53歳。東京都出身。通夜、告別式は未定。関係者によると死因はがんだという。昨年4月に食道がんが発覚し、左上半身に転移もありステージ4と診断。10月末に脳に転移した腫瘍を取り除く7時間の開頭手術を受け、リング復帰した12月に大仁田厚(67)らと戦った「電流爆破マッチ」がラストマッチに。闘い続けた不屈のファイターが力尽きた。

 この日、本紙の取材に応じた妻・恵さんによると、1月30日に体調不良を訴えて入院。すでに肝臓にも転移していたが、放射線治療を受け一時的に数値も良くなり「4日に退院することも決まっていた」と明かした。死去前日の27日も「早く退院して息子と遊びたい」と明るく話していたという。28日午前4時ごろまでは看護師と話していたそうだが、午前6時ごろに急変。「連絡を受けて駆けつけた時には、心臓マッサージを受けている状態。7時56分ぐらいに息を引き取りました」と静かに語った。

 3月の退院には、西村さんの強い希望があった。最愛の息子は6歳。小学校入学を来月に控えていた。「昨年5月に息子のランドセルを夫と買いに行きました。3月の卒園式や4月の入学式…出席するのを楽しみにしていたんです」。息子と2人で温泉旅行に行くほど溺愛。パパっ子に育った息子は「退院したら一緒に熱海に行きたい」と、西村さんに伝えていたという。そんな大好きなパパの最期に立ち会った。恵さんは「“パパと熱海に行けなくなった”と泣いていた」と振り返り、声を震わせた。

 1990年に新日本プロレスに入門し、91年4月にプロデビュー。93年に米国への武者修行から海外転戦を経て95年帰国。伝統を重んじるクラシックスタイルを踏襲。黒のショートタイツ姿でグラウンドでの関節技などを得意とし、マイクアピールは独特の哲学と言い回しで「西村ワールド」と呼ばれた。11年には文京区議会選挙に出馬し当選。区議会を優先しながらフリーとしてプロレスにも参戦し“戦う区議”として注目を集めた。リングの上で見せる鋭い視線、そして燃える闘志は人々の心に刻まれた。

 西村 修(にしむら・おさむ)1971年(昭46)9月23日生まれ、東京都出身。高校在学中に新日本プロレス学校で練習を積んだ。98年に1回目のがん(後腹膜腫瘍)を発症。当時の闘病の実体験から、玄米や発酵食品など日本人本来の食べ物が健康にいいと着目。復帰後は食育活動にも力を入れ、区議として区内の小中学校の給食改善などに取り組んだ。

 ▽食道がん 食道の粘膜の表面からできる。初期に自覚症状はないが、進行するにつれてのみ込みにくさやせき、声のかすれ、体重減少などが起こる。国立がん研究センターによると2020年には約2万4500人が食道がんと診断。がんが大きくなると食道の外側へ広がり、気管や大動脈などの周囲の臓器への転移、リンパ液や血液の流れに乗って、食道外にあるリンパ節や肺、肝臓などの他の臓器へ移る。5年生存率はステージ1で約80%、ステージ2で約40%となり、早期発見が重要となる。一般的に男性に多く、50代からの罹患(りかん)率は女性の約6倍。喫煙や飲酒が発生の大きなリスク要因で、熱い物の飲食も危険性を高めるとされる。

スポーツニッポン

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