【訃報】イギリスの著名レーシングスクール創設者、ジム・ラッセルが98歳で逝去

2019年4月4日(木)17時7分 AUTOSPORT web

 F1ワールドチャンピオンで2018年スーパーGTのGT500クラス王者でもあるジェンソン・バトンをはじめ、ジル・ビルヌーブやジャック・ビルヌーブ親子など世界中のあらゆるカテゴリーにトップドライバーを輩出した著名なレーシングスクール創設者、ジム・ラッセルが3月30日に他界した。98歳だった。


 イングランド東部出身で兄のピーターとともにガレージビジネスを始めたジム・ラッセルは、1952年32歳のときにクーパーMk4でレースキャリアをスタート。1955年から3年連続で当時のF3選手権でタイトルを勝ち獲り、通算64勝を記録。F2やスポーツカーレースにも進出した。


 その活動と並行して1956年にはロータスの地元としても有名なスネッタートンを拠点に“ジム・ラッセル・ドライビングスクール”を開校した。しかし、1959年に参戦したル・マン24時間レースでクラッシュに巻き込まれ瀕死の大怪我を負い、1961年を持ってドライバーから引退することを決断している。


 そんなラッセルの名を一躍知らしめたのは、1966年に撮影協力を行ったジョン・フランケンハイマー監督の映画『グラン・プリ』だ。三船敏郎も出演したF1サーカスを舞台とするこの映画では、主演のジェームス・ガーナーを含む俳優陣にドライビングレッスンを行うと同時に、ジュニア・フォーミュラのマシンを撮影用にF1ルックへと改造する技術支援も行った。

1952年32歳のときにクーパーMk4でレースキャリアをスタートしたジム・ラッセル。1955年から3年連続でF3タイトルを勝ち獲った
F1、CART、そしてインディ500も制したジャック・ビルヌーブ親子もスクール出身者だ
イギリス・スネッタートンのみならず、北米やカナダでもレーシングスクールを開校


 この実績も含め彼のスクールには続々と若手有望株が集うようになり、F1とインディ500を制したエマーソン・フィッティパルディやル・マン5勝、デイトナ24時間3勝のデレック・ベルらを筆頭に、アンディ・ウォレス、ジェフ・クロスノフ、スコット・プルーエット、ヤン・マグヌッセン、グレッグ・ムーア、ジョニー・オコネル、ジミー・バッサー、ウォーレン・ヒューズ、そしてビルヌーブやバトンなど多くのトップドライバーを輩出した。


 さらにスクールの成功は世界中に波及し、北米やカナダでも直営スクールを開校したほか、シルバーストンやドニントンでもコーチング・プログラムのベンチャーを立ち上げるなど活動を拡大していった。


 そして本拠地スネッタートンではラッセルの義兄弟であったラルフ・ファーマンの創設したヴァンディーメンにもガレージを与え、そのファクトリーからは数々の名作フォーミュラカーが誕生。息子のラルフ・ファーマンJr.もスクールの受講生としてドライビングを学び、海を渡ってフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)やJGTC全日本GT選手権(現スーパーGT)でも活躍を演じるなど、その存在は今なお世界のモータースポーツ・シーンを支える大きな力となっている。

1966年に撮影協力を行ったジョン・フランケンハイマー監督の映画”グラン・プリ”主演のジェームス・ガーナーもドライビングの師事を得た
レースドライバー養成だけでなく、一般向けのドライビングレッスンなど多くのカリキュラムを実施する
ロータスをドライブしたエマーソン・フィティパルディはスクール出身最初の成功者とも言える


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