大谷翔平 妻・真美子さんの「本当の退団理由」と水原氏が「いちばん“しんどかった”こと」《人生激変の3年間証言集・前編》

2024年4月27日(土)6時0分 女性自身

誰も予想できなかったことがたった2カ月で次々と起こった。2月29日(日本時間、以下同)、大谷翔平選手(29)が結婚を発表。韓国遠征に旅立つ3月15日にツーショットを公開し、お相手は元バスケットボール選手の田中真美子さん(27)だと判明した。


祝福の嵐から一転、開幕戦後に盟友・水原一平通訳(39)の違法賭博への関与が発覚。4月12日、水原容疑者は銀行詐欺の容疑で米連邦地検から訴追され、大谷の被害額は総額1千600万ドル(約24億5千万円)を超えた。


真美子さんとの出会い、結婚。一平の裏切り……大谷翔平の人生を激変させた3年間をたどる。


全幅の信頼を置いていた人間に24億円以上の大金を盗まれていたと発覚しても、大谷のメンタルは崩れなかった。水原容疑者の訴追から一夜明けた13日には、松井秀喜氏に並ぶ日本人最多のメジャー通算175号本塁打を放った。開幕から40打席ノーアーチと自己ワーストを更新したが、待望の今季1号を放ってから調子を取り戻した。


「やっぱり、僕らの想像を超えてくる選手ですよね。ほとんどの人から『無理に決まっている』と言われながら二刀流を成功させたように、今まで未踏の地を開拓してきた経歴が『何があっても乗り越えられる』という自信の裏付けになったのだと思います。ドジャースのキャンプ取材に行った今春も、大谷は威風堂々としていました」


大谷の尊敬するダルビッシュ有と親交が深く、かつてベストナイン3回、盗塁王1回に輝いた野球評論家の高木豊氏(65)はそう語る。


「ずっと一緒にいた通訳が急に消える直前に、真美子さんと結婚した。やっぱり、大谷は運が強いなと思います。これほどの選手でも、今の状況で家で一人ぼっちになると孤独を感じるし、余計なことも考えてしまうかもしれない。妻の存在は本当に大きいですよ」


4月9日の試合後には「ここ数週間いろいろあったので、隣に誰かいるかどうかはだいぶ違うと思うし、そういう意味ではいてくれてよかったなと思うことはありました」と新妻・真美子さんへの感謝を述べていた。


「言葉の通じない海外での生活ですから、お互いに孤独を感じると思うんですよね。2人で支え合っていく必要があるし、これから絆はより深くなるでしょう」(高木氏)


■本誌が「2人の出会いの場」を目撃——真美子さんは大谷と水原氏に挨拶を


大谷と真美子さんの出会いは、約3年前の2021年だった。雑誌『Number』(3月28日号)のインタビューでは《彼女が『最初に会った』と言うときのことを僕は認識していなかったんです。彼女曰く『すれ違いざまに挨拶してくれた』と言うんですけど、僕はそれがどこなのか思い出せない。練習施設の中の廊下だって……》と答えている。実は、本誌は同年11月、その瞬間を目撃していた。


「場所は東京・豊洲の『アシックス スポーツコンプレックス 東京ベイ』(今年3月15日閉館)です。館内のトレーニングルームやプールなどが標高2千〜4千メートル相当の高地と同じ低酸素に保たれていた施設です。


当時、大谷選手はアシックスと契約しており、シーズンオフにはよく訪れていたようです。その日真美子さんは一足先にその場を後にして、帰り際には大谷選手に同行していた水原氏にも挨拶をしていました」(取材記者)


メジャーリーグで挑戦を続ける大谷、バスケの日本代表候補にも選出された真美子さんはやがて引かれ合う。時差のあるアメリカと日本で同じ時間に、同じ配信作品を見るなどの交際を続けた。花巻東高校時代の同級生で同じ野球部だった山根大幸さんはこんな話を聞いていた。


「高校のころ、好きなタイプについて『明るくて、優しい女性がいい』と言っていました。もともと、翔平はバスケ漫画の『スラムダンク』が好きなんですよ。高校野球を引退した後、体育館に3年生が集まって、よくバスケットをしていました。翔平はうまかったですね」


大谷は前出の『Number』で、妻について《僕と一緒で、何が欲しいというタイプじゃなくて、何でもいいけど実用的に使えるものがいいかな、というタイプ》と話しており、誕生日にはサイズの合うシューズをプレゼントしたという。


真美子さんの富士通レッドウェーブ時代の知人が証言する。


「彼女は物欲のあまりない女性です。洋服は着心地のよさや汚れにくさを重視していましたし、バッグもシンプルでたくさんものの入るタイプを愛用していました。


大谷選手と同じく、機能性を大切にしている。引退後も私服はパンツスタイルが多くて、ナイキやユニクロなど動きやすくシンプルな格好をしていました。ピンクのかわいらしいスカートやピンヒールなどは履かないタイプですね」


一方で、こんな“倹約家の本音”を漏らしたこともあったという。


「チームメートに『ブランドのイメージモデルになりたいなぁ。そうすれば、洋服をもらえるから、困らないでしょう?』とポロッとこぼしていたときもありました。逆に言えば、外見には高いお金をかけたくないのかもしれません」


2人が出会った’21年の9月、水原容疑者は違法賭博に手を染め始めていた。日本ハム時代の同僚で、通算1千4安打を放った巧打の内野手だった大引啓次氏(39)も今回の事件に衝撃を受けた。


「一平は学生時代にバスケをしていて、大のNBAファンだった。私は彼と同い年で、バスケ好きだったので、よく話をするようになりました。『歴代ナンバーワンのポイントガードはクリス・ポールでしょ』『いや、もっとうまい選手はいるよ』などと熱く語り合いました。


一平は基本的に引っ込み思案の性格ですけど、周りに乗せられると空気を読んで、いじられキャラになって場を和ませていた。だから、信じられないですし、本当に残念で仕方ありません」


大引氏は当時の彼の性格をこう見ていた。


「結果が出ないと、外国人選手はイライラしますよね。そのとき、一平は怒りを全て吐き出させていました。『こうしたほうがいいんじゃない?』のような余計なことは言わずに、受け止めていた。選手にとって、すごく居心地のいい通訳なんだなと思っていたのですが……」


新庄剛志(現・日本ハム監督)の師匠としても知られ、’14年から2年間、日本ハムの打撃コーチを務めた柏原純一氏(71)も落胆する。


「一平は当時、メジャーでも実績のあるメンドーサ投手の通訳をしており、仲がよかった。その輪に翔平が入って、2人は親交を深めていったようです。一平は常に外国人選手に寄り添っていましたよ。彼のおかげで、異国の地で不安を取り除いて活躍できた選手もいたと思います。銀行詐欺の報道を聞いて、あぜんとするばかりです」


■日本ハム時代の同僚が一平本人に直撃「通訳より僕がしんどかったことは…」


’18年、大谷はエンゼルスに入団する際、水原容疑者を通訳に選んだ。本人の努力や徹底的な自己管理が二刀流として成功した一番の要因だが、彼のサポートも大きかった。『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2024』(廣済堂出版)の編著者である友成那智氏はこう語る。


「エンゼルス時代、水原氏は通訳のみならず、キャッチボールの相手や運転手を務めたうえに、練習のデータも計測していたと聞きます。通常業務の範囲を超えて、貢献していた。大谷が’21年にMVPを獲得した直後、エンゼルスは水原氏に『最優秀通訳賞』を贈ったほどですからね」


大引氏は’20年2月にコーチ留学をした際、キャンプ地に赴いて2人と再会していた。


「2人がキャッチボールを終えた後、『一平ちゃん、うまくなったね』と私から話しかけたら、『いやぁ、通訳より何より、これがいちばんしんどい』と憂鬱な表情を浮かべていました。世界一の選手の練習パートナーを務めるプレッシャーを感じながら努力しているんだなと思いました。へたなりに頑張る姿が翔平もうれしかったはずなのに……」


水原容疑者は一時期、大谷の誰にも明かさない本音を聞いていた。


《翔平は基本、野球の自己評価がめちゃくちゃ低いんですよ。ほかの選手のことは『すごいなあ』とか言ってすごく褒めるんですけど、僕が『いや、自分の方が全然すごいじゃん』みたいに言っても『いやいやいや』と。謙虚とかそういうレベルじゃない。なんなんですかね(笑)》(’22年11月11日配信/NHK WEB特集)


この特集内で、大谷は野球に身をささげる覚悟を示していた。


《1日のできることをなるべく野球に割いて、野球の中で獲得できるものを多くしたいな、と。


(中略)無駄な時間というか、リラックスする時間すらもちゃんと管理したいし、野球に専念するところはしたいし、寝る時間もちゃんと管理したい。もし6歳ぐらいからそういう考えでできていたら、もっといい選手になれたと思います》(前掲・NHK WEB特集)


だが、いちずに邁進する純粋な心は身近な相棒に利用されていた。


水原容疑者はイチローやダルビッシュなどの活躍で日本が世界一に輝いた’09年のWBC決勝をドジャー・スタジアムで生観戦し、野球の仕事への憧れを強くした。そんな彼にとって、自らも通訳として参加した昨年3月のWBC優勝は絶頂の瞬間だっただろう。


大谷は投手として2勝1セーブ、打者として23打数10安打で打率4割3分5厘、1本塁打、8打点の成績を残し、MVPを獲得した。花巻東高の同級生である山根さんはLINEで大谷とやり取りした。


「初戦のあとに『ナイスピッチ!』と送ったら『Thank you、Thank you!』、優勝した日に『世界一おめでとう!』と打ったら『ありがとう!』と返信がありました。昔からWBC制覇を目標にしていたし、翔平も本当にうれしかったんでしょうね」


それから1カ月後、真美子さんは現役を引退。会見では「決めた理由ですか? う〜ん……本当にいろいろあるんですけれど……難しいな」と言葉を濁していた。


「彼女はお菓子作りが得意でケーキはスポンジから作っていました。将来の夢は『お母さん』と言っていたと聞いて、納得しました。だから、料理にも熱心だったんだなって。退団時は『フードマイスターの資格を取って、食べて元気になれる料理を考案したい』と話していました」(前出・実業団時代の知人)  前出の『Number』で、大谷は《作ってもらって美味しかった料理は何でしょう》と聞かれ、《彼女としては作るのが難しい料理を言ってほしいんでしょうけど……へへへ。僕はカレーがやっぱり美味しかったですね》と話している。


【後編】大谷翔平 韓国で水原氏の裏切りが発覚…真美子さんの言動が韓国人の心を打った理由《人生激変の3年間証言集》へ続く


(取材:シリーズ人間班/文:岡野誠)

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