スターリングが7人目に? “ビッグ6”の3クラブ以上に在籍した選手たち

2022年7月13日(水)19時53分 サッカーキング

チェルシー加入に近づくスターリング [写真]=Getty Images

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 イングランド代表FWラヒーム・スターリングのチェルシーへの加入が秒読みとなっている。これまでリヴァプール、マンチェスター・Cに在籍してきたスターリングにとって、チェルシー移籍が決まれば自身3クラブ目の“ビッグ6”でのプレーとなるが、これはプレミアリーグの歴史上7人目のことだという。そこで今回は“ビッグ6”のうち3クラブ以上に在籍した他の6選手が、どのクラブで一番活躍したのか、どのクラブのサポーターに一番愛されているのかをイギリスメディア『planet football』の記事を中心に紹介しよう。

■ニコラ・アネルカ


アーセナル在籍期間:1997年2月〜1999年7月
リヴァプール在籍期間:2002年1月〜2002年6月
マンチェスター・C在籍期間:2002年7月〜2005年1月
チェルシー在籍期間:2008年1月〜2012年1月

 今回のリストで、唯一“ビッグ6”の4チームでプレーしたのが元フランス代表FWニコラ・アネルカだ。そんなアネルカのイングランドでのベストシーズンはアーセナルでの1998−99シーズンだろう。当時10代だったが、リーグ戦35試合で17ゴール5アシストという見事な成績を残し、PFA年間若手最優秀選手を受賞。それだけに、1999年夏にレアル・マドリードへ移籍したことには、多くのアーセナルファンが落胆しただろう。

 2001−02シーズンの後半にはパリ・サンジェルマンからの期限付き移籍でリヴァプールに加入し、公式戦22試合5ゴールという成績を記録したが、完全移籍を勝ち取るには至らず。代わりに2002年夏にマンチェスター・Cに当時のクラブ史上最高額となる1300万ポンド(当時レートで約24億円)で加入し、2シーズン半で公式戦103試合46ゴールの活躍を披露。その中には旧ホームスタジアムである『メイン・ロード』で行われた最後の“マンチェスター・ダービー”でのゴール、『アンフィールド』での土壇場の決勝点、ジョゼ・モウリーニョのチェルシーに初黒星を与えた決勝ゴールなどが含まれる。

 その後、チェルシーでは2008−09シーズンにプレミアリーグ得点王を獲得するが、その直前のシーズンにはチャンピオンズリーグ(CL)決勝のPK戦でPKを失敗。トータルで見ると、彼を最も高く評価しているのはマンチェスター・Cのファンかもしれない。

■ウィリアム・ギャラス


チェルシー在籍期間:2001年7月〜2006年8月
アーセナル在籍期間:2006年8月〜2010年8月
トッテナム在籍期間:2010年8月〜2013年7月

 元フランス代表DFのウィリアム・ギャラスは間違いなくワールドクラスのDFだったが、クセのある選手でもあった。チェルシーではクラウディオ・ラニエリのもと、CBとしてプレー。しかし、ジョゼ・モウリーニョが監督に就任すると、サイドバックでの起用が増え、それに不満を溜めたギャラスは2006年にプレシーズンを無断欠席。そのままアシュリー・コールと自身+金銭のトレードという形でアーセナルに移籍した。

 アーセナルでは今でも語り草となっている背番号10を背負い、2007年にティエリ・アンリの後任として主将に就任。しかし、その翌年にインタビューでチームメイトを批判してその座を剥奪された。

 その後2010年夏には新契約に合意できずフリーとなり、トッテナムに加入したことでアーセナルファンからは完全に見捨てられた。なお、チェルシー、アーセナル、トッテナムに在籍したことがあるのはプレミアリーグではギャラスだけだ。スパーズでは貴重な戦力としてキャプテンを務める試合も多く、3シーズンで公式戦77試合に出場。ギャラスを最も愛しているのは、唯一揉めずに退団したトッテナムのファンということになるだろう。

■コロ・トゥーレ


アーセナル在籍期間:2002年2月〜2009年7月
マンチェスター・C在籍期間:2009年7月〜2013年7月
リヴァプール在籍期間:2013年7月〜2016年7月

 6人の中で、在籍したチームのサポーターから最も公平に愛されているのが元コートジボワール代表DFコロ・トゥーレだろう。アーセナルでは2003−04シーズンにプレミアリーグ無敗優勝を達成した伝説の“インビンシブルズ”の一員としてお馴染みで、2009年夏に加入したマンチェスター・Cでは、2011−12シーズンのプレミアリーグ初優勝に貢献。しかし、マンチェスター・Cへの最大の貢献は弟のヤヤ・トゥーレ獲得の助けになったことかもしれない。

 その後、2013年夏にリヴァプールへ移籍。サポーターに嫌われることはなく、2016年夏にはリヴァプールで監督だったブレンダン・ロジャーズ率いるセルティックへ移籍した。ここでキャリア2度目となる無敗優勝を達成し、現役を引退した。このように、トゥーレが最も愛されているクラブを決めるのは難しいが、一番を決めるのであればアーセナルになるだろう。“インビンシブルズ”はやはり特別な存在だ。

■ダニエル・スタリッジ


マンチェスター・C在籍期間:2003年〜2009年7月
チェルシー在籍期間:2009年7月〜2013年1月
リヴァプール在籍期間:2013年1月〜2019年8月

 順番は違うが、スターリングと所属チームが同じになりそうなのが、元イングランド代表FWダニエル・スタリッジだ。元々マンチェスター・Cのアカデミーに所属していたが、2008年にクラブがUAEの投資グループに買収されて大量に補強を行ったことを受け、マンチェスター・Cでの将来を諦めてチェルシーへ移籍。チェルシーでは途中ボルトンへのローンも挟みながら公式戦96試合で24ゴール9アシストを記録した。

 そして2013年1月にリヴァプールに移籍。2013−14シーズンはスターリング、ルイス・スアレスと“SSS”と呼ばれた攻撃陣を形成し、リーグ戦29試合22ゴールの大活躍を見せた。しかし、そこからケガに悩まされることが増え、満足に稼働できないシーズンが続き、2019年8月にリヴァプールを退団。多くのファンが「ケガさえなければ…」と残念に思っている一方、2013−14シーズンに見せた輝きは今も多くの人、特にリヴァプールファンの記憶に深く刻み込まれている。

■エマニュエル・アデバヨール


アーセナル在籍期間:2006年1月〜2009年7月
マンチェスター・C在籍期間:2009年7月〜2012年8月
トッテナム在籍期間:2011年8月〜2015年9月

 なかなか数奇な人生を歩んでいる。元トーゴ代表FWエマニュエル・アデバヨールは、トッテナム戦が大の得意だった。アーセナルでは2006−07シーズンからプレミアリーグでのスパーズ戦で5試合連続ゴールを記録。2010−11シーズンにマンチェスター・Cからレアル・マドリードへ期限付き移籍した際も、CL準々決勝で2ゴールを奪っている。

 このようにアデバヨールが最もゴールを決めている相手がトッテナムだったのだが、2011年8月に彼がチームに期限付き移籍で加入すると、トッテナムファンは両手を広げて迎え入れた。それはやはりマンチェスター・C時代にアーセナル戦でゴールを決めた際、わざわざ“グーナー”が陣取るピッチの反対側まで全速力で走り、セレブレーションを行なったからだろう。その後、完全移籍を果たしたアデバヨールはスパーズの選手としても“ノースロンドン・ダービー”でゴールを決め、ハリー・ケインが更新するまで同ダービーの最多得点記録を保持していた。アーセナルファンからは間違いなく嫌われているアデバヨールだが、シティのファン、スパーズのファンから愛されているかと言われれば、それも疑問である。

■ヨッシ・ベナユン


リヴァプール在籍期間:2007年7月〜2010年7月
チェルシー在籍期間:2010年7月〜2013年7月
アーセナル在籍期間:2011年8月〜2012年5月

 元イスラエル代表MFヨッシ・ベナユンは、評価が難しい選手だ。“ビッグ6”の中で最も輝いたのはリヴァプール在籍時だろうが、イングランドという括りにすれば、それはその前のウェストハム時代になるはずだ。そうとはいえ、リヴァプールでは2008−09シーズンのCLラウンド16でのレアル・マドリード戦で決勝ゴールを決めたり、4−4の壮絶な打ち合いを演じたアーセナル戦で2ゴールを決めるなど、ビッグクラブ相手の活躍も多く、記録より記憶に残る選手だった。

 その後、チェルシーでは怪我の影響もあって3シーズンでリーグ戦わずか14試合の出場に留まり、期限付き移籍先のアーセナルでもかつての輝きを見せたとは言い難かった。以上を踏まえると、今もベナユンのことを最も愛しているのはリヴァプールファンで間違いないだろう。

(記事/Footmedia)

サッカーキング

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