奥寺康彦氏がブンデスリーガ・レジェンドに選出…デビュー戦秘話や“後輩”への思い語る

2017年11月6日(月)14時57分 サッカーキング

会見場に展示されたマイスター・シャーレを手に取る奥寺康彦氏

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 元日本代表MF奥寺康彦氏が、ブンデスリーガの国際的戦略の1つである「ブンデスリーガ・レジェンズツアー」において、ブンデスリーガ・レジェンドに選出された。これを受け、同氏は6日に都内で会見を行った。

 奥寺氏は1977−78シーズンにケルンへ移籍し、日本人として初めてブンデスリーガの舞台に立った。前例のない挑戦に、当時は迷いもあったという。

「やってみたいなという気持ちはありましたけど、僕らにとっては雲の上のようなレベルだったので、(来てほしいと)言われたときには体が震えました。いろいろな方に相談して、サッカー関係者は『行ってこい』と言ってくれました。一番反対したのは家族でしたね(笑)。結局、行くと決心した理由は、(ヘネス)ヴァイスヴァイラー監督のアツいラブコールでした」

 デビュー戦はほろ苦い思い出が残っている。

「開始1分くらいですかね、(自分が)ファウルをしてPKを取られたというのが、僕のスタートでした(笑)。ただこれも運の強さかなと思うんですけど、GKが止めてくれて、その試合は勝つことができました」



 結局、このシーズンは20試合に出場して4ゴールを記録。ケルンは見事に優勝を果たした。ただ、トロフィーを掲げた瞬間は、嬉しさよりも安心感のほうが強かったようだ。その理由をこう明かしている。

「マイスター・シャーレ(優勝トロフィー)を掲げたときは、嬉しいことは嬉しいんですけど、『よかったな〜』とホッとしていましたね。僕が行った時、マスコミの方々は『お前、サッカーできるのか?』って言うんですよ。ヴァイスヴァイラー監督に対する質問も『大丈夫か?』『あんな東の方から来ているけど、サッカーをやっているのか?』というのがほとんどでしたからね」

 周囲の疑念を自らのプレーで晴らした奥寺氏は、最終的に9年間にわたってブンデスリーガでプレー。通算234試合出場26得点という記録を残し、後に日本人選手がドイツで活躍するための道を切り開いた。

 今回のブンデスリーガ・レジェンドを「日本やアジアの中でもっとブンデスリーガの認知度が広がってくれたらいいなと思い、引き受けました」という奥寺氏は最後に、ブンデスリーガ挑戦を目指す未来の後輩に向けてメッセージを送った。



「どんどん目指してほしいけど、安易に行って、そこから『なんとかなるかな』っていうのではダメだと思います。ちゃんと力をつけて、そして行くことによって肌で感じることができる。旅行に行ったのではわからない。大変だけど、海外に行っていろいろなことを感じてほしいです」

「ブンデスリーガは局面がすぐに変わるのが特長で、それは見ているだけではわからない。インテンシティの強さもそうです。そこの強さっていうのを、日本はもっともっとやっていかないといけない。やっぱり、なかなか日本では体験できないんですよ。見ていても感じられない。それを体験できたのは僕の財産なので、日本の選手も成長するためにどんどん体験してほしいです」

サッカーキング

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