ピレリのチーフエンジニアにインタビュー(2):「スペインではアロンソの活躍でF1が広まった」

2017年11月24日(金)8時10分 AUTOSPORT web

 スペイン在住のフリーライター、アレックス・ガルシアのモータースポーツコラム。今回、ピレリのチーフエンジニアを務めるマヌエル・ムニョスにインタビューする機会が訪れたのでタイヤのこと、現場でどんな仕事をしているのかなど気になることを尋ねてみた。 


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ーーF1ではあまり見られないことですが、あなたは個人的であれSNS上であれ、ファンと交流を大切にしていますね。誰もが行っていることではないと思いますが、なぜファンとの交流を持つようにしたのですか?


マヌエル・ムニョス(以下、ムニョス):もっと頻繁に交流したいと思っているのだけれど、不可能なんだ。実際、まだ返事をしていないメッセージもある。例えば『息子がエンジニアになるために勉強しています』とか、そういったメッセージを受け取っている。


 ファンと交流する理由はふたつ。ひとつは好きだから! 礼儀ある人たちであれば交流するのは素晴らしいことだし、99.9%の人たちは礼儀正しい。それにF1はファンのためのショーだ。ピレリが望むからやっているわけではない。F1はスポーツだがビジネスでもあって、人々のためのショーでもある。


 だから、彼らに対して感謝すべきだというのが私の考えなんだ。メッセージを送ってくる人たちは、インターネットで私を探して連絡してきている。その時間に他のことをすることだってできたはずなのに、私に連絡をしてきたわけで、それは素敵なことじゃないか。


 もうひとつの理由は、自分が“ファンの立場”だったときのことを覚えているから。私は、特にスペイン出身のスタッフの誰かと交流を持ちたいと思っていた。当時、誰かがパドックにだどりつくための手助けをしてくれたらと思っていた。だから私も何か恩返しをしようとしているんだ。残念ながら全員に返事を書くことはできないけれどね。


ーー20年前のスペインはF1に興味のある人がとても少なかったのに、いまでは素晴らしいドライバーやエンジニア、メディアも輩出している。自分がそのなかのひとりであるということについて、またこれからの世代について、どう考えていますか?


ムニョス:20年前、雑誌や新聞を買いに行くと、F1で働くスペイン人についての記事が乗っていたことがあった。そのころF1で働くスペイン人なんて、ひとりかふたりしかいなかった。ジョアン・ビラデルプラット(ティレル、ベネトン、プロストなどでチームマネージャーを務めていた)がその内のひとりだ。その記事を見て『かっこいいなあ、僕もいつかはあそこに行きたいな』と思ったんだ。だから今、そのなかの一員であることは私にとって重要なことだ。


 それから、“アロンソ現象”が起きる前には、スペインでは誰もレースのことなんて知らなかったことも覚えている。今ではバーに入ると、人々が燃料搭載量がどれほど重要かとか、アンダーカットがどうしたとか話している。いったい何が起きたんだろうね!? 驚くのと同時に、とてもうれしい気持ちになるよ。


ーーモータースポーツの世界において、これからやりたいことはなんですか?


ムニョス:私の故郷、マドリッドの近くにある街でホームGPだ。アルカラ・デ・エナーレスというその街のことを、とても誇りに思っていて、そこでのグランプリ開催が夢なんだ。けれどもそんなことはあり得そうにないから、もうすこし現実的な話をしようか。


 ピレリで働いていて最も良いことは、参戦カテゴリーがF1だけではないこと。他のシリーズにも参戦していて、WRCやスーパーバイク、もしかしたらMotoGPに参戦する可能性だってある。そうしたら、もっと面白いことになるかもしれない。私はF1を愛しているけれど、自分の世界がF1だけとは思っていない。レースが好きだし、確かにF1は長年の夢だったけれど、ラリーやダカールで仕事をすることになったとしても、やはり夢のようだと思うだろう。実家の裏庭でホームGPが開催されるのを夢見るよりは、現実的な話なんじゃないかな?


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