51年前の対決は横浜に軍配 横浜―広島商の決勝戦
2024年11月24日(日)16時51分 スポーツニッポン
明治神宮野球大会・高校の部はあす25日、横浜—広島商の決勝戦となった。このカードを懐かしむオールドファンも多いのではないだろうか。
1973年(昭48)の第45回センバツ大会。作新学院の江川卓(元巨人)が大会通算60奪三振の大会新記録をつくった大会。優勝候補に挙げられていたが“昭和の怪物”を下したのが広島商。準決勝で激突し2—1の僅差でものにし決勝に進出した。一方、初出場横浜は初戦となる2回戦で小倉商と延長13回、4番・長崎誠の大会史上初となるサヨナラ満塁本塁打で勢いに乗った。東邦、鳴門工を下し決勝戦へ進んだ。
広島商の1番は主将の金光興二遊撃手(現法大野球部部長)捕手は元広島監督の達川光男がおり、左腕・佃正樹は4試合で失点はわずか1。横浜も2年生エース永川英植(元ヤクルト・故人)が大黒柱。試合巧者の広島商か、パワーの横浜かの一戦は手に汗握る展開となった。
横浜が延長10回、虎の子の1点を奪ったその裏。広島商は2死三塁と一打同点の場面を作った。ここで3番の左打者・楠原基の飛球は左翼線に飛んだ。横浜を率いる当時29歳の渡辺元(後に渡辺元智)監督は「勝った!」と思ったという。しかし左翼・冨田毅のグラブに当たったものの打球は落ち同点、11回に突入した。血気盛んな青年監督は「冨田の野郎!」と顔を真っ赤にし「ベンチに戻ったら怒鳴りつけてやろうと思った」と後に取材したときに話してくれた。冨田もショックで遅れてベンチに戻るのだが、その遅れが渡辺監督の気持ちに変化をもたらせた。「怒るつもりが、冨田にはバットで取り返せばいいんだ」と自分でも驚くほど激励の言葉をかけたという。
昭和の時代、鉄拳は当たり前。冨田も殴られると覚悟してベンチに戻ったが、監督の激励に燃えるものがあった。11回、2死一塁から打席に立った冨田はカウント2—2から左翼ポール際に決勝の2ランを放って横浜に初出場初優勝をもたらしたのだ。その後、80年にエース愛甲猛(元ロッテなど)で夏の甲子園制覇、98年に松坂大輔(元西武、レッドソックスなど)を擁し春夏連覇を果たすなど全国の強豪校へと駆け上っていく。
今回は創部126年目で明治神宮大会初出場の広島商が初優勝を目指す。立場は逆となったが、どんな戦いになるのか。51年前のセンバツは木製バット、入場行進曲は天地真理の「虹をわたって」であった。
(敬称略)