体重120→57キロに激やせ、30代で超人気インフルエンサーに…バイト先のギャルに「キモい」と言われたゲイ男性(35歳)がバズるほど「美しくなれた理由」

2025年1月26日(日)11時50分 文春オンライン

「僕はゲイなので、世間一般の幸せな将来像が描けなかったんです」——大学時代、せっかくの大手企業の内定を得たにもかかわらず、マイノリティであるがゆえに明るい未来を描けなかった、たたさん(35歳)。


 その後、コンビニオーナーとして独立するも、不規則な食生活ゆえ、体重は120キロまでに増量。彼はどうやって57キロまでに減量したのか? そして、努力の末に切り開いた「新しい人生」とは?(全2回の1回目/ 後編 を読む)



今のようにダイエットで変身する前の若かりしたたさん。彼はなぜ変われたのか?(写真提供:たたさん)


◆◆◆


兄は超イケメン、でも弟は…親戚から「残念なほう」扱いされた少年時代


──子供の頃からぽっちゃりしていたそうですね。


たた 生まれた瞬間から太っていました。4000グラムぐらいあったみたいで。ちっちゃい頃からまんまるって感じで。高校生になるまでずっと太っていました。


──それはそれでかわいいですが、ご自身としては嫌だな、と?


たた お兄ちゃんがいるんですけど、めっちゃイケメンなんですよ。痩せてて、イケメンで、どれだけ食べても太らない。それで、子どものころから比べられることが多くて。


 親戚と会うときも「お兄ちゃんはかっこいいのに残念だったな」「お前は中身で勝負だな」って、いじられるみたいな感じで言われるんです。その場では笑いになるんですけど、「自分もお兄ちゃんみたいに褒められたい」とは思っていました。


──学校でも、体型についてからかわれることもあったそうですね。


たた 中学校の時が一番、からかわれていましたね。野球部だったんですけど、ボール回しの時に「デブ、行くぞ」みたいなことを言う人もいて。笑いにはなるんですけど、こっちはうれしくないじゃないですか。でも別に怒りもせず、ただ「ははっ」って合わせて笑うだけでしたね。一番衝撃だったのが、バイト先の先輩に「気持ち悪い」って言われたんですよね。


──「気持ち悪い」とは?


たた 回転ずしのバイトで、年上のギャルの先輩から言われた言葉です。僕は皿洗いの担当で、シンクの下にある漂白剤を取ろうとしゃがんで立ち上がったんです。その時に、たまたまその先輩と肩がぶつかっちゃったんですよ。そしたら「うわ、キモッ」って言われて。


 それまでは、まわりの人は僕の外見を笑いにしてくれているんだと思っていたんです。でも、その先輩に言われて初めて「僕って気持ち悪いって思われているんだ」と知って、ショックでした。


──その先輩と話したことはあったんですか?


たた 僕、引っ込み思案で、人と話すことが苦手で。その人に限らず、シフトが被っても誰とも話さず、ただ皿を洗っているだけの…ちょっと暗い子でした。


 当時身長155センチで小さかったんですが、体重が80キロぐらいあったんです。それで「そんなに自分ってありえないのか」と思って、ダイエットを決意しました。


──ショックな出来事だと思いますが、よくポジティブに転換できましたね。


たた ポジティブというより、自分がその人に嫌な気持ちを与えているなら、自分を変えなきゃなって。僕ってもしかして「ここにいたら迷惑な存在なのかも」って、思ったんです。


 それで、変わらなきゃ、でもどうしようという時に思い出したのが、バイト先のイケメンの先輩。その人はゲップしてもカッコイイんです(笑)。


──何をやっても格好いい人っていますよね。


たた あの先輩みたいになりたいって思ったときに「自分とは体型も顔も違うから、まずそこからじゃね?」と。当時、倖田來未さんの「午後6時以降は食べないダイエット」が流行ってたので、それを真似して、3か月ぐらいで60キロぐらいまで痩せたんです。


──すごいですね! でも、その後、就活中にもう一度太ってしまったとか。


たた そうなんです。大手に内定が決まっていたんですけど、内定者研修でその会社の外見に関する規則を聞いたんです。前髪は眉毛より上、もみあげは耳にかからないように、金髪はもちろんダメ。メイクもしちゃいけなくて。


「自分は結婚もできないし、子供もできない」ゲイであることの葛藤


──今はだいぶ変わってきましたが、2010年代当時はまだ厳しかったかもしれません。


たた そうですね。僕はゲイなので、世間一般の幸せな将来像が描けなかったんです。良い高校に入って、良い大学に入って、良い会社に入って、結婚して子供を作って…みたいな。自分も途中まではまさにそういうレールに乗っていて、進学校に入って一生懸命勉強したし、大学でも成績2番とかで、大手に就職が決まって…。


 それまでは漠然と大きなものにすがって、レールの敷かれた人生をすすんでいればよかったけど、その先の未来を考えたときに、はっとしたんです。自分は結婚もできないし、子供もできない。だから自分の中で大切にしてきたのが、好きな髪型やファッションで生きることだったんです。


 それなのに、その会社に入ったら、好きな髪型も好きなメイクもできない。本当に幸せなのかなって。それで内定辞退することにしたいんです。


──そうだったんですね。


たた 学生時代、寿司屋と掛け持ちで、コンビニでもバイトしていたんですけど、そこが自分の居場所だったです。コンビニって忙しいから、とにかくシフトをこなすだけで必要とされる。初めて「ここにいていいんだ」と思えたのがコンビニだったんです。だから、コンビニのオーナーになりたいという夢も持っていたんです。


 ただ、当時のフランチャイズ契約は、夫婦じゃないと結べなかった。なので、その時初めて母にカミングアウトして、一緒にオーナーになってもらったんです。


──そこから2年間で120キロまで太ったそうですが、何があったんですか?


たた オーナーという夢を叶えたら、次の目標が見つからなくなっちゃったんですよ。人生の意味が分からなくなってしまって。


 あと、本社の人から「コンビニのオーナーは中で働くものだ」って言われていたので、「じゃあパートさんに任せて自分は中の仕事をしよう」って、店頭はパートさんに任せてバックヤードで仕事していたんです。そしたら動かなくなるわ、廃棄は食べるわ(笑)。


 オーナーだから商品も自分で買っているわけだし、もったいないじゃないですか。それで、朝からシュークリームを食べ、エクレアを食べ、カツ丼を食べ…。夜になるとフライヤーの廃棄も出るんですよ。また丁寧に、うちのアルバイトがメンチカツとかを袋に入れて机に置いておいてくれるんですよ。「もったいないし、あるなら食べるか」というのを繰り返していたんです。


──生活も不規則になりがちですしね。


たた そうですね。当時は仕事が終わって、夜になったら二丁目で飲んでいたので。睡眠時間もなくなるし、すごい生活でした。


 それでどんどん太って。二丁目でもブスはモテないので、太るほど誰からも相手にされなくなってくるんです。でも、コンビニオーナーでお金だけは持っていたので。


 若くてきれいだったころは自分がおごってもらえる側だったのに、だんだん自分がお金を払う側に変わっていったことに気づき始めたんです。遊びに行くのも同伴という形でしか遊べなくなっちゃったんです。


──立場がかわってしまった。


たた そう。ご飯は必ず僕のおごりで、終わった後は「じゃあ、お店に来てね」みたいな。僕としては「違う違う、仕事じゃなくてプライベートで仲良くしてほしいのに」って思うけど、でも、わかってたんですよ、内心は。自分がもう誰からも相手にされなくなっていることに。まわりから見たら「いつも金を払わされてて、かわいそうなやつ」になってたんですよ。自分でもかわいそうだなと思って、自分自身を。


 それで、「変わりたい」って思ったんです。


どうやって120→57キロの減量を?


たた それで「もう1回頑張らなきゃ」って思っていた時に、たまたま「金スマ」でE-girlsさんのドキュメンタリーを見たんです。それまでは「どうせイケメンや美人なんて生まれた瞬間からキレイなんだろ」って思ってたんですよ。でも、みんなめちゃくちゃ努力していたんです。


 それを見たときに、「こんなにかわいい子たちがあんなに頑張っているのに、自分は何をやってるんだ」と、謎のライバル意識が芽生えて(笑)。じゃあダイエットをもう1回するしかないだろう、と思って、まずは腹筋10回から始めたんです。


──そこから120→57キロのダイエットにつながるわけですね。何をしたらそんなに痩せられたんですか?

〈 体重120→57キロに大変身、人気インフルエンサーになったゲイ男性(35歳)が「キモいと言ってきたギャル」と仲直りできた理由「人生に意味のないことはない」 〉へ続く


(市岡 ひかり)

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