2月4日はワールドキャンサーデー。1人娘は5歳、38歳で乳がんが発覚。抗がん剤治療に苦しみ髪を失ったが、新しい産毛に「再生した私」を感じた
2024年2月4日(日)10時0分 婦人公論.jp
絵画部門入選『再生した私』 伊藤理恵(いとう・りえ)さん
2月4日はワールドキャンサーデーです。世界中の人が、がんに関する意識を高め、知識を増やし、がんに対して行動を起こすことを目的として、各地でさまざまな取り組みを行っています。がんサバイバーの方の作品と思いを紹介した記事を再配信します。
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がんと告知された時の不安、がんと共に⽣きる決意、そしてがんの経験を通して変化した⽣き⽅など、⾔葉だけでは伝えきれない想いを絵画・写真・絵⼿紙で表現する「場」があります。がんサバイバーの方の思いが詰まった作品を紹介します。
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1人娘は5歳。「死んじゃったらどうしよう」
それは、38歳の3月であった。「乳がん」という言葉が私の頭のなかを駆け巡り、目眩がして暫く動けませんでした。1人娘は、5歳。「死んじゃったらどうしよう。」という不安が胸を締め付けました。私の乳がんは乳腺全体に細かいカルシウムが沈着した「石灰化」ががんになったものでした。その上、浸潤している事も分かり、「全摘」になると聞いて、私と主人は息を飲みました。先生は「全摘同時再建」というものを説明してくれました。5月の始めに手術は行われた。
第二リンパ節まで切除されましたが、無事に成功しました。中期、ステージⅡBということで、念の為にワンクールの抗がん剤を勧められました。私は抗がん剤をやりたくなかったですが、娘の為、生きる為にやることを決意しました。
洗面所の鏡に映る私の頭に
抗がん剤は非常にだるく、回数を増すごとに回復しづらくなりました。私は娘に何もしてあげられないことで自分を責め、死への恐怖は心を支配していきました。その時、「ママは何もしなくても、ここに居るだけでいいんだよ。」という娘のひと言に私は救われました。目から鱗が落ちるとはこう言うことを言うのだと思った瞬間でした。その後も10年のホルモン治療は長く、時には辛くて耐えられそうにない時もありましたが、私は乗り越えられてきました。
私がこの作品で表現したのは、「再生した私」です。抗がん剤で髪の毛は抜けます。非常に辛い経験でした。しかし、ある日、洗面所の鏡に映る私の頭に赤ちゃんのように柔らかい髪の毛が生えてきたのです。1つの光が差したように非常に嬉しかったです。必ず、再生されるということを実感しました。
15年経っても再発の可能性はありますが、今の私は正直何の不安もありません。思考が現実になると知ってから、楽しいことばかり考えるようになったからだと思います。1度きりの人生、自分を愛して労って思いっきり楽しんでいきましょう。あなたの幸せを心から願っています。
第13回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス
がんと生きる、わたしの物語。コンテスト 受賞作品一覧
・絵画部門最優秀賞『きらきらゆらゆら悔いなく自分らしく』
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