『カラーパープル』の舞台は南北戦争から50年後。1985年版は、スピルバーグが無冠に終わった、まさかの作品

2024年3月4日(月)12時0分 婦人公論.jp


写真・イラスト提供◎さかもとさん 以下すべて

1989年に漫画家デビュー、その後、膠原病と闘いながら、作家・歌手・画家としても活動しているさかもと未明さんは、子どもの頃から大の映画好き。古今東西のさまざまな作品について、愛をこめて語りつくします!(写真・イラスト◎筆者)

* * * * * * *

ソフィアとシュグの格好良さが半端ない


「あんたハーポに余計なこと言ったね?」

ソフィアがセリーに平手をかまし、そしていう。

「私は殴られるままでなんていない。覚えておきな。今度ハーポが私を殴ったら私は、ハーポを殺す!!」

私は、映画『カラーパープル』に出てくるソフィアが大好きだ。1985年のスピルバーグ版もいいが、2023年のブリッツ・バザウーレ監督、スピルバーグ&クインシー・ジョーンズ製作のミュージカル映画、『カラーパープル』のソフィアは最高である!

ソフィアだけではない、主人公セリーの夫「ミスター」ことアルバートの元恋人、シュグの魅力も半端ない。

この物語は、男に支配されることに慣れ、人生を諦めていた黒人女性の主人公・セリーが、自分と全く違う「戦う女たち」に出会うことで、「抵抗し、敬意を勝ち取ること」に目覚めていく映画。そのセリーのメンター役を果たすのがソフィアとシュグだが、その格好良さが半端ない!

「右に出るものなし」と断言したい


私は今上映中のミュージカル版を見た後に、1985年のスピルバーグ版を見た。アカデミー賞10部門にノミネートされながら無冠に終わった、まさかのスピルバーグ作品。

確かに、力が入りすぎたのかスピルバーグらしい迫力に欠ける。しかし無冠だったからこそ彼の中で、この作品のリメイクとリベンジが、大きな課題となったに違いない。

その後30年近い歳月を経て出来上がったこのミュージカル版『カラーパープル』は、その迫力、感動、俳優たちの存在感など全てにおいて「右に出るものなし」と断言したい。

この作品は僅か100年前のアメリカを舞台にしている。主人公のセリーはたった14歳で二度目の出産をし、翌日には父親によって子どもを取り上げられ、どこかに売られてしまう。

悲嘆にくれるセリーの心の拠り所は、妹ネティだけ。しかしセリーはまもなく、まるで「牛1匹をくれてやる」という感じで、父親に結婚を命じられ、「ミスター」と呼ばれる男に嫁ぐ。

その嫁入りのシーンを見るだけで泣きそうだ。ドレスも式もなく、馬に乗った夫の後を徒歩で行く嫁入り。その生活は文字通り「セックス付きの家政婦」。

あまりにも悲惨なのだが、それを淡々と受け入れていくセリーの態度にも驚かされる。最新版では説明がなかったが、85年版では「2回とも父親によって妊娠させられていた」ことが明らかだ。受け入れ難い筋立てだが、それで抵抗もせず、精神を病む訳でもないセリーは強いのか、教養の欠落ゆえに怒りの感覚が鈍いのか。

彼らの芸術は特別なもの


普通なら見るのも辛くなる展開だが、ミュージカル版では妹ネティとの幸せな時間を彩る美しい音楽や、やがて現れるパワフルな女たちの歌がこの作品を見事なエンターテインメントにしている。

その合間には父親に乱暴されそうになってセリーを頼ってきたネティをまたミスターが狙い、拒まれて逆上。ネティを追い出したり、その後セリーに届いたネティの手紙を隠し続けたり。酷いことが満載なのだが、引き込まれて見てしまうのは、この映画の力である。

しかし、アメリカの黒人社会の凄絶な歴史を知らないと、日本人には「遠すぎる話」になるかもしれない。

簡単に説明するが、アメリカに売られた黒人の悲劇は15世紀ごろに始まる。「奴隷海岸」と言われるアフリカ西部の大西洋岸で多くの黒人が捕らえられ、新大陸アメリカに奴隷として送られたのだ。  

この歴史はA・ヘイリー原作のテレビシリーズ『ROOTS』に詳しく描かれているので、ぜひご覧いただきたい。「奴隷に人権なし」の辛すぎる生活は19世紀の南北戦争まで400年近く続いた。

余りにも過重な労働をこなすために歌った曲がブルースとなり、教会ではゴスペルが生まれ、後にジャズや独特のダンスとなっていく。彼らの芸術は実にパワフルで魅力的だが、悲惨な差別や労働を耐え抜き、闘って権利を勝ち取った歴史の賜だ。だから安易に真似しようとしてもできない。そのくらい特別なもの。

完全に独立と自由を勝ち得たわけではない


それでも15世紀以降の「完全なモノ扱い」から、彼らは少しずつ白人社会と友好的な関係を築いていく。

そんな空気を描くのは『風と共に去りぬ』。主人公スカーレットにため口をきく女奴隷マミーは、ちゃんと人間として扱われているし、マミーを演じたハティ・マクダニエルは、黒人で初めてアカデミー賞を受賞している。逆に言えば1940年まで、黒人俳優には栄誉は与えられなかった。

奴隷解放戦争でもある南北戦争は1861~1865年。19世紀中ごろにやっと奴隷解放の機運が高まった訳だが、黒人が完全に独立と自由を勝ち得たわけではない。

『カラーパープル』の舞台は南北戦争から50年後の1900年代(20世紀)初頭。形だけ解放されたものの、彼らは「黒人しかいない町」で暮らし、白人社会とは隔絶している。

白人からの差別は根強く、私の大好きなソフィアは、白人の市長の嫁に「メイドにならない?」と言われて断り、その侮辱にお得意の「平手」で応えたため、6年も投獄される。抵抗も大切だが、相手を間違うと人生台無しである。(涙)

そんな社会の圧力を小さいうちから体で覚えさせられた主人公セリーが、「生き延びるためには逆らわない」態度を身に付けたのも仕方がないと思えてくる。実際、私の母もそんな人だった。「女の人生は不幸で当たり前」と思い込み、どんなに父に殴られても離婚出来なかった。

私はそんな母に「やる気になれば自立し、離婚できるはずだ」と言い続けた。大人になってからは、実行してみせたくて、家を出て漫画家になった。

が、母は自分にできなかったことを成し遂げた娘を決して褒めなかった。認めてしまえば「我慢が人生」と耐えてきた自分の人生が無駄になってしまうからだろう。それは彼女の精一杯の保身だったと今は思う。

応援せずにいられない


黒人社会でも女性たちが声を上げ始めたのはたった100年前だ。戦前の教育を受けて育った母にそれしかできなかったのは仕方のないことだったのかもしれない、私たちは「幸運な時代」に生まれたと言うことなのだろう。

そんな母のもとで育った私だから、ソフィアの男たちへの強い言葉、シュグの型破りの魅力に陶酔し、応援せずにいられない。遂にセリーが男たちに抵抗と否定の言葉を吐いたとき、長年の監獄生活とその後のメイド体験で廃人同然になったソフィアが笑い出し、自分を取り戻すシーンは感涙ものだ。

私たちは私たちであるために、不当な暴力に耐えたり、納得いかない生き方を受け入れてはいけないのだ。そのことをこの映画は教えてくれる。

さて、ミュージカル版とスピルバーグ版の1番の違いは、女優たちの美人度と迫力。セリーは85年版では若いウーピー・ゴールドバーグが演じ、気の毒なほど痩せて弱弱しい。しかし、今回のセリー役ファンテイジア・バリーノは、最初こそびくびくしてるが、ガタイはよし!

1番違うのはシュグだ。85年は「モデル的な美人」のマーガレット・エイブリーだったが、今回はタラジ・P・ヘンソン。迫力や歌のうまさは半端なく、お世辞にも美人と言えないのがいい!

ソフィアを演じるダニエル・ブルックスも同様で、ミスターの息子ハーポに熱愛されるのを謎に感じるほど。(笑) しかし、見ているうちに分かるのだ。「他にこんな女がいるものか!」と。

この映画を見た後、きっと貴方の「美人の物差し」は変わるはず。真剣に生きる女性はひたすら美しく、太っていようが年取っていこうが関係ないのだ。心から納得できる女優たちを是非ご覧あれ!

素晴らしいシーンが加えられている


さて、このミュージカル版には素晴らしいシーンが加えられている。それは、セリーを虐げ続けたミスターことアルバートが、飲んだくれて嵐の沼地で行き倒れ、改心するシーン。

「私にしたことが、きっとあなたに返ってくる」そう予言して去ったセリーの言葉が彼の脳裏をよぎり、惨めな自分の最期を予感したミスターは、遂に神の名を呼ぶ。
「神よ…お救いください。悔い改めます…!」

命根性しぶとく、アルバートは死ななかった。その後移民局からの手紙を見て、セリーへの妹ネティがアフリカにいる事、呼び戻すために大金が必要なことを知る。なんと彼は虐げ続けたセリーの妹ネティとその家族を呼び戻すため、土地を売ることを決意。

ライフルをぶっ放して、セリーを頼ってきたネティを追い払い、その手紙を隠し続けたくせに…と思うが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということなのだろう。「許す」ことでしか平安は訪れないと思わずにいられない、実に深く魂を揺さぶってくれる映画なのである…。必見!

P.S.

この作品を練り上げたのは時間と、スピルバーグの執念だ。今回多くの若い才能を発掘したのも、彼が愛を知る天才である証。このミュージカルを生み出させるために、天は1985年にアカデミー賞を与えなかったのかもね!

婦人公論.jp

「舞台」をもっと詳しく

「舞台」のニュース

「舞台」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ