現代とは対照的?猫は紐付き、犬は放し飼いだった平安時代の猫と犬事情

2024年3月11日(月)6時0分 JBpress

(歴史ライター:西股 総生)


大陸から渡来した猫

『光る君へ』を見ていて、源倫子(黒木華)が飼っている猫・小麻呂に癒やされている方も少なくないと思います。第7話では、打毬を観戦していた倫子らのもとから小麻呂が逃げ出してしまい、あらあら大変、という場面もありました。

 この小麻呂、ふだんは赤い紐に繋がれていることに気がつきましたか? いま、猫を飼っている人は、首輪は付けてもリードなんか付けずに、室内で放し飼いにするのが普通だと思います。でも、平安時代や中世の様子を描いた絵巻物を見ると、猫は例外なく紐に繋いだ状態に描かれています。

 猫(イエネコ)はもともと大陸から渡来した家畜で、弥生時代の遺跡から猫の骨が出土しています。その後、大陸から仏教が導入されるのに伴って、経典などの書物を鼠から守るために、猫もいっしょに輸入されたといわれています。お釈迦様のお葬式に出席しなかったから十二支に入れてもらえない、といわれてきた猫ですが、日本では意外にも仏教の守護者(?)だったようです。

 そんな猫を「かわいい!」と思った人が、いたのでしょう。猫は次第に愛玩用のペットとして飼われるようになります。ただし、猫をペットにできたのは上級貴族など、支配階級に属する人たちに限られました。

 当時の猫は、何せ舶来の高級ペットなのですから、逃げたら大変です。おまけに『光る君へ』を見ていとわかるように、当時の邸宅は壁が少ない開放的な構造です。そこで紐を付けて、柱などに繋いで飼うことが一般的だったのです。

 ですから当時は、猫がいるのは支配階級の邸宅の中だけで、野良猫なんて存在しません。一昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、鎌倉に猫はいませんでした。もし脚本家がうっかり台本に猫を書いても、たちどころに考証によって抹消されてしまったはずです。

 これと対照的なのが犬です。絵巻物を見ると、犬の方は例外なく放し飼いに描かれているのです。猫と犬との位置づけが、現代とは真逆なのです。犬はもともと狩猟用の家畜ですから、屋外で放し飼いにするわけで、当然野犬も増えます。平安時代から中世にかけて、行き倒れた人の死体を野犬があさる光景は、日常茶飯事でした。

 猫は紐付き・犬は放し飼い、という位置づけが逆転するのは、江戸時代になってからです。逆転現象が起きた原因は、都市化にあります。

 平安時代の日本には地方都市はありませんでしたが、中世に入ると、鎌倉をはじめとして少しずつ地方都市ができはじめ、戦国時代になると有力な大名の膝元には城下町が栄えるようになります。

 さらに江戸時代になると、ほとんどの武士は城下に集住するようになり、各地に城下町などの地方都市が栄えます。江戸は百万都市となり、戦乱で長らく荒廃していた京も大都市となってゆきます。

 こうした都市化の流れの中で、鼠の害が深刻化したために、猫の放し飼いが広まってゆきました。自由になった猫たちは、あちこちで繁殖しますから次第に野良猫も増えて、庶民のペットとなることも増えていったわけです。

 一方、都市化が進むと、放し飼いの犬、わけても野犬は何かと問題になってきます。五代将軍綱吉による生類憐れみの令は、綱吉が戌年生まれだから犬を大切にした、というのは俗説にすぎません。もともとは、都市化が進む江戸での治安・衛生対策として犬をどう扱うか、という問題から出発したものです。

 こうして、猫は屋内で放し飼いに、犬は繋いで飼う、というスタイルが一般化して、現代に至っているわけです。

筆者:西股 総生

JBpress

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