金魚鉢、窓、室内、家族、ヌード…マティスのお気に入り「モティーフ」と「ヴァリエーション」

2024年3月14日(木)8時0分 JBpress

マティスはいくつかのお気に入りのモティーフを繰り返し描いています。それらを比べて観ることも楽しい鑑賞法です。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)


マティスが好んだ「モティーフ」

 マティスが気に入って何度も作品に登場させたモティーフに、「モロッコ三部作」(第2回参照)の《テラスにて》の少女の前に置かれた「金魚鉢」、《窓から見た風景》の「窓」があります。金魚鉢をモティーフにした作品では《金魚》(1912年)、《金魚とパレット》(1914-15年)がよく知られています。

 マティスが気に入ったモティーフはほかにも「室内」「家族」「ヌード」などが上げられます。マティスのモティーフに対する愛は変わらぬものの、それらの表現にはヴァリエーションがあり、同一モティーフをたどり、比べることによってマティスの様式の変遷が理解できます。

《金魚鉢のある室内》(1914年)には、室内、窓、金魚鉢という3つのモティーフが描かれ、《金魚と彫刻》(1912年)には室内、金魚鉢、女性のヌードがあるといったように、いくつかを組み合わせた作品も多くあります。

「室内」をモティーフにした代表作は、第1回で紹介した初期作品《読書する女》(1895年)、《食卓》(1897年)に始まり、アラベスクや単純化された平坦なフォルムを特徴とする装飾的な作風の《赤のハーモニー》(1908年)、《赤いアトリエ》(1911年)、《茄子のある室内》(1911年)などがあります。

 また、後半生になりますが、1946年から48年、油彩画の最後の時期に描かれた作品群のなかの《大きな赤い室内》(1948年)は、赤を用いた最後の作品であり、マティスの絵画の集大成といって良いものでしょう。

「窓」を描いた傑作として上げられるのが《コリウールのフランス窓》(1914年)でしょう。マティスは第一次大戦の始まる頃から、このように抽象度の高い、緊張感に満ちた画風に向かいます。色面として黒を使い、外が見えないように塗りつぶしたこの絵は、制作途中ではないかといった議論も呼んだ作品です。

 ほかにもフォーヴ的な《開いた窓》(1905年)や、窓だけを描いたわけではありませんが、窓が象徴的に多くを物語っている《会話》(1908-12年)、《窓辺のヴァイオリニスト》(1918年)などがあります。

 家族から安らぎを得ていたマティスには「家族」をテーマにした作品も多くあります。若い頃より夫人をモデルに《帽子の女》《緑の筋のあるマティス夫人》(第1回参照)などを描いていますが、シチューキンの注文で描いた《画家の家族》(第2回参照)では長女と2人の息子、夫人を描いています。

 また、ピアノの前にいる次男を中心に幾何学的な構図の《ピアノのレッスン》(1916年)、これと同じ部屋の構成で家族全員を描いた《音楽のレッスン》(1917年)という2点は、自然主義的な《音楽のレッスン》に対し、現実感の希薄な幾何学的な構成を見せる《ピアノのレッスン》というように、全く対照的なアプローチで描かれています。


マティスの描く「ヌード」の特徴

「ヌード」を描いた作品には、第1回で紹介した点描の《豪奢・静寂・逸楽》や《生きる喜び》、《生きる喜び》の中央部分と同じ輪舞する男女をテーマにした《ダンスⅡ》《音楽》(第2回参照)といった裸婦像群があります。

 また、《青いヌード—ビスクラの思い出》(第2回参照)、パリの美術館が初めて購入した《赤いキュロットのオダリスク》(1921年)、後半生の作品には、これまでと画風を変え、平面的で単純化された表現の《大きな横たわる裸婦(ピンク・ヌード)》(1935年)など、横たわる裸婦像も多く手がけています。

 晩年の切り紙絵で4点の連作《ブルー・ヌード》(1952年)もマティスの代表作です。これらは際立ったヴァリエーションを示しており、マティスの幅の広さや芸術的進展を示す作品です。

 このほかにもセザンヌを意識しているような初期の造形性がみられる《カルメリーナ》(1903-04年頃)や、装飾という言葉と表現様式にマティスが追求した芸術のあり方を端的に示している《模様のある背景の装飾的人体》(1925-26年)、《大きな横たわる裸婦(ピンク・ヌード)》とほぼ同時期に描かれた《座るバラ色の裸婦》(1935-36年)などの代表作があります

 またマティスは、1917年からは南フランスのニースを活動拠点として、《赤いキュロットのオダリスク》を代表とする「オダリスク」と呼ばれるハーレムの女性をモティーフにした多くの絵画を制作しました。この時代はマティスだけでなく、オリエンタリズムを支持した多くの芸術家が、オダリスク作品を描いています。

 しかし抽象的な肉体表現などから、この時代をマティスが力を抜いた「弛緩時代」と批判する者も多くいました。

 模様のある衝立や布など、「オダリスク」の装飾性は、その後の作品に見られる絵画の中の空間の平面性の強調に繋がっています。また、画面空間と人体のボリュームを組み合わせるという造形的な課題にも取り組み、装飾と肉体表現の試行錯誤が見て取れる作品群です。


キュビスムと同じモティーフのバリエーション

 マティスとよく比較されるのがパブロ・ピカソです。マティスは1869年、ピカソは1881年生まれで、マティスが12歳年上でした。ふたりは1906年、ガートルート・スタインの家で出会い、以後50年にわたって交流しました。世に出るまで苦労した遅咲きのマティスに対してピカソは早熟な天才で、性格なども対照的でした。

 美術史では、鮮やかな原色を大胆に用い、色彩を解放したマティスは「フォーヴィスム」の代表的な画家、対象を複数の角度から幾何学的面に分解し、再構成することで形態を解放したピカソは「キュビスム」の創始者です。キュビスムは、色彩に重きを置いたフォーヴィスムに対する反動として生まれました。ともに20世紀の芸術の近代化に大きく貢献したふたりは、当初、ライバル関係でしたが、しだいに交流を深めていきます。第二次世界大戦中も文通を重ね、ピカソは生涯マティスに敬意を払ったといいます。

 1910年代、マティスはキュビスムから学んでキュビスム的な作品を描きました。立体によって人物を表現している《白とバラ色の頭部》(1914年)もそのひとつです。

 キュビスムは前から見た顔、横から見たから顔、後ろから見た顔というようにいろいろなところからの視点があります。ですからピカソの作品には、顔は正面を向いているのに目が横についていたり、歪んで見えたりしていますが、マティスが描いたキュビスム的作品はその点を理解しておらず、視点はいつもひとつでした。

 マティスはキュビスムの影響を受けたほか、同時期に同じモティーフで自然主義的、抽象的、装飾的といったように異なった表現で創作するということを繰り返しました。ヴァリエーションが多いということもマティスの大きな特徴です。

参考文献:
『マティス 画家のノート』二見 史郎/翻訳(みすず書房)
『マティス (新潮美術文庫39)』峯村 敏明/著(新潮社)
『もっと知りたいマティス 生涯と作品』天野知香/著(東京美術)
『アンリ・マティス作品集 諸芸術のレッスン』米田尚輝/著(東京美術)
『美の20世紀 5 マティス』パトリック・ベイド/著 山梨俊夫・林寿美/翻訳(二玄社)
『「マティス展」完全ガイドブック (AERA BOOK)』(朝日新聞出版)
『名画への旅 第22巻 20世紀Ⅰ 独歩する色とかたち』南雄介・天野知香・高階秀爾・高野禎子・太田泰人・水沢勉・西野嘉章/著(講談社)
『西洋美術館』(小学館) 他

筆者:田中 久美子

JBpress

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