小倉智昭「コレクション用の部屋を畳み、荷物を入れた自宅から妻と義母が出て行き…。一人暮らしで妻との仲がより親密に」

2024年3月26日(火)12時30分 婦人公論.jp


撮影◎本社 奥西義和

22年間フジテレビの『情報プレゼンターとくダネ!』でキャスターを務めた小倉智昭さん。2016年には膀胱がんであることを番組で公表。その後、膀胱摘出手術、抗がん剤治療についても番組を通して生報告してきました。この度、『とくダネ!』でコメンテーターを務めた古市憲寿さんからの質問に答える形で、自らの半生を語った『本音』を上梓。深刻な病状や奥様との別居などの窮地も自ら笑い飛ばす軽妙な語りは今なお健在。現在の暮らしぶりから、著書のことまでざっくばらんに伺います。
(構成◎岡宗真由子 撮影◎本社 奥西義和)

* * * * * * *

長年連れ添った妻と終活に向けて話し合い


2022年、肺がんの過酷な抗がん剤治療で朦朧とする意識の中、小倉さんは三途の川と思しき場所で亡き父と遭遇しました。「俺はまだ行かない」と伝えたといいます。以来、長年連れ添った奥様と終活に向けて、前向きな話し合いを重ねてきました。奥様と義母との3人暮らしを見直すきっかけになったのは……

——『本音』にも、妻と別居することになった経緯を書いてます。決して不仲になったわけじゃない。
世がコロナ禍になって僕のやっていた事業の雲行きが怪しくなり、今まで貯めてきた資金を吐き出さざるを得なくなりました。不運なことにその時期、僕の病気も重なってしまった。

抗がん剤治療の入院時、従業員に給料を支払ってもらおうと、妻に通帳を渡したら、「これ以外の通帳はどこですか?」って聞いてきたの。妻が思ってた残額じゃなかったんだろうね。「他にはないよ」って答えたら腰を抜かすほど驚いていた。(笑)

結構お金を稼いできたけれど、使っちゃったんだよ。若い頃、アナウンサーとして独立した何年かは消費者金融のお得意さんになるくらい苦労した。『本音』には、その頃のことをかなりぶっちゃけて書いたつもり。経済的に苦労した時期があると、倹約家になる人もいるけど僕は逆だった。使えるようになったらとことん使っちゃう。自分のためにも人のためにも。

僕は自宅とは別にビルを借りていて、そこにいただいたものや、これまでコレクションしてきたものを大量に置いていたの。老後の資金繰りのことを考えると、収蔵品のために高い家賃や光熱費を払い続けるのはやめようということになった。
だけど、それらは1フロア60畳の2フロアを占領するほどの量。本は2万冊、DVDや CDは3万点、その他カメラやオーディオ、ギターや絵画、細かなものもたくさんあった。長いことかけてコツコツ集めたものだし、珍しいものもある。売ったり、寄付するにしても限度がある。

手詰まりだった僕に向かって妻が「私と母が実家に戻ってスペースを空けるからリフォームして、この家に捨てられないもの全部収めなさいよ」と言ってくれた。「身体も思うように動かないんだし、老後は好きなものに囲まれていたほうがいいでしょ?」と。

それを聞いた時は、「ありがとう」というより「え?俺じゃなくて母親をとるの?」ってショックだったよね(笑)。通い妻してくれるって言うけれど、1週間に3回が週1回になり、どんどん間遠になっていくんじゃないの?と。そう言うと妻には「私ってそんなに信用ないですか?」と言われちゃった。今まで妻は本当に良くしてくれたし、老老介護で僕と母親の2人もみるのは大変です。僕も納得して去年、大々的な整理と引っ越しを始めました。

2トントラック6台分のものを処分して…


今住んでいる家は、結構大きいよ。ちょうど大橋巨泉さんに「お前、家も買えないのか?」って挑発されて、いい家を探していた矢先、売りに出されて飛びついた。というのも、僕が5畳半の家に住んでいた貧乏時代に、「いつか豪邸に住んでやる」と思って読んでいた『モダンリビング』という雑誌に6ページに渡って掲載されたこともある家だったから。

家主さんが多額の借金抱えての売却だったみたいで、契約に行ったらその家の奥さんが泣いててさ、なんでこんな気の毒な立ち会いがあるんだろうと思ったよ。竣工当初、美術館ができるのかな?って近所に思われたくらい凝った作りの家だったから、惜しむのも当然なんだけど。

ただこういう家ってランニングコストもすごくかかる。全館冷暖房でちょっと壊れても修理が大変だし、天井が高くて温度調節にも一苦労。おまけに入り組んでいるから、妻に言わせると1回の掃除に8時間かかるんだって。妻は他人任せが嫌いな質だから、いつも自分で掃除してくれている。ありがたいよね。

今回のリフォームで、同居していた義母用の洗面所やお風呂、洒落た茶室や仏間なんかも潰して、全部が僕のコレクションを置く場所になった。

リフォームに備えて妻は、自分の荷物をコツコツ整理して、自分の車を使って運び出し、その上、僕のビルの整理も手伝ってくれました。整理は、第1次選抜から始まって、第4次選抜くらいまでやって、4分の3は処分したものの、それでもものすごい量が残ってしまった。2回に渡った引っ越しでは、本やDVDやCDをお任せパックで梱包してもらったの。

僕は全作品をアイウエオ順に並べていたからそのまま入れてくれるかな?と思いきや、当然なんだけど何人かいるスタッフさんがあちこちからスタートして…ほとんどバラバラになった。この引っ越しで僕もすごく疲れたし、それ以上に妻はつらかったと思う。若く見える彼女が老けてしまったように見えたくらい。

検尿カップに赤ワイン


そんな引っ越し真っ最中の去年10月末。術後の健診で訪れた病院でいつものように検尿したら、出血していた。ちょっとじゃないよ。病院に並べられた検尿カップの中で僕のだけ赤ワインが入っているみたい。(笑)病院の先生が慌てて、「小倉さん!すぐに検査しましょう」って。その日のうちに「腎盂がん」の可能性が高いとわかって、1ヵ月後の手術室を押さえられてしまった。手術して腎臓を取れば、お正月は家で過ごせますよと言われたけれど、とにかく早い展開で慌てたよね。

腎盂がんって診断が難しいがんで、最終的には腎臓を摘出するまで判断がつきにくい。最悪、取ってしまってから、「取る必要がなかった」と分かる場合もある。病院の一部のお医者さんは「取る必要はない」との意見だったそうですが、僕の主治医が「小倉さん、取りましょう」と言ったので僕もそう決めた。

手術後、待合に居てくれた妻とマネージャーは摘出したての僕の腎臓を見てくれた。これがまた見た目は綺麗だったものだから僕の主治医も内心慌てたかもしれない。でも病理検査に回したら、筋層の中にしっかりがんが蔓延っていた。だから結果オーライ。ただ腎臓が1個になったので、これから人工透析になる可能性がある。病院の先生は妻に、「手術後すぐに人工透析になるかもしれないけど小倉には言わないでおこう」って言っていたそう。色々調べて考えすぎちゃうからって。今のところは免れているけど、人工透析になるとやっぱり週に2、3回の拘束が4時間くらいはあるでしょ。

だから一人暮らしだけど食生活には結構気を遣っているよ。家に届く腎臓病食を試してみたら、びっくりするほど美味しくない。面倒ではあるけれど、食材を自分で選んで食べたほうがマシだと思って自炊をしているの。その際は、リンやカリウムがなるべく入ってないものを選ばなきゃいけない。マスクして帽子かぶって、スーパーで商品を手にとり、裏を眺めては棚に戻すのを繰り返す姿は、怪しい万引きジジイだよ。(笑)

家に帰ったら帰ったで、お玉1つ見つけられなくて苦労したりね。食事を作るだけじゃなくてお茶碗も洗わなきゃいけない。ゴミ出しも曜日を覚えたり、8時に出すために前日から準備したりって、世の家事を担当している人はみんな大変だと改めてわかった。
お陰様で仕事がなくても、毎日忙しい。料理や家事の合間にDVDを整理したり、Netflix見たりしているとあっという間に一日が過ぎていくね。

お互いに和やかに、優しくなれた


別居婚が始まって以来、スマホは便利だなって思うようになった。妻とは、おはようとおやすみ以外にも「今取材が終わりました」とか、こまめに連絡をとっているの。既読にならないと心配したり、付き合いたてのカップルみたいだよね。

僕らはもともと仲がいい。射撃やゴルフも一緒にやってきたし、妻は僕の事業を支えてくれた。言い争うこともほとんどないし、あったとしても次の日に持ち越すことがない。膀胱がんになった時は、手術で男性機能を失うことを知って逡巡しました。自分の場合は命を優先して手術を受けたんだけど、信頼してるもの同士なら広義の意味ではセックスに近い結びつきが持てるってわかったんだ。それはお医者さんも知らなかったことだよ。

不思議なもので、一緒の家に住んでいた時よりお互いがお互いに優しいの。外食も前はほとんど行かなかったけれど、今は外でご飯を食べたり、手を繋いだりしているよ。それに関しては良かったし、妻が今までやってきてくれたことに対して感謝しています。
ただ血圧が高い夜なんかはちょっと不安になるよね。そんな日はセコムのブザーを胸にかけて寝る。

徒歩15分のところに住んでいるマネージャーに電話しようかなと思ったりもするんだけど、鍵を渡していないから意識を失ったら家に入ってきてもらえない。緊急事態に助けてもらうためにも、そろそろ鍵を渡したほうがいいかなぁと考えているよ。妻の住んでいるところは車で1時間だから、助けを呼んでも時間がかかりすぎる。

「はいはいその通りだねって言っておけばいいのよ」


頼りの妻は、高齢の母親を自宅で1人見ていて大変なんだ。同居していた時のお義母さん、普段はボケてるんだけど、他人が来ると急にそれまでとうってかわってシャッキリする。「え?今までのは演技だったの?」って疑いたくもなった。(笑)彼女は音大の声楽科を出たもんだから玄人裸足の歌い手なの。耳がいいせいで、僕がテレビで歌番組を見ていると「この人の音程は狂っているから気持ちが悪い、チャンネルを変えなさい!」って言ってくる。

『紅白歌合戦』なんか邪魔されて見れなかったね。(笑)そんな事情もあって、うちはリビングにテレビを2台備え付けてて、僕とお義母さん、それぞれ違うテレビ見ていた。なぜか同じチャンネルを見ていても地デジとケーブルでは時差があるから、これが煩わしいこと煩わしいこと。僕はリビングでヘッドホンする生活を送っていました。

それでもたまたま1台のテレビを見ていて海外の戦況が流れてきたりすると「私が群馬に疎開してた時は」っていう長い話が始まっちゃう。「その話、聞きましたよ」って言うんだけど「本当の話なんだからしょうがないでしょ」って言って止まらなくなる。妻は「もうやめてよ」って無遠慮に言えるんだけど、僕が同じように言うと、妻は「そんな厳しいこと言ったらダメなのよ、『はいはいそうだね、その通りだね』って言ってあげないと」って言う。その割に、僕が見てても可哀想だろと思うほどピシャリと言う時もあるから親子喧嘩になるんだよ。どこの家もこういうことは同じだね。(笑)

義母は90歳という年齢のせいなのか、外国籍の人に対する偏見があるんだよね。紅白に海外からの出演者はいらないらしい。(笑)それに対して僕の亡くなった親父は明治生まれだったんだけど「差別は絶対ダメだ」と姉と僕に言い聞かせていた。子どもの頃、住んでいた社宅の近くに廃品回収をしている他国籍の人がたくさん住んでいる地域があって、よくそこに遊びに行っていたの。そうしたら社宅の奥さんがうちの母親に「智昭ちゃん、気をつけたほうがいいわよ」って忠言してきた。それを聞いた親父は「智昭、友だちがいるならどんどん遊びに行け、どんどん家に呼べ」って言ったんだ。そんな親父に育てられたから、今でも差別は絶対ダメだっていうのが染み付いている。番組やっている時もそのことにはいつも配慮していたよ。

今のテレビに何を思うかというと、裏金問題とかプーチンの戦争とか松本くんのことも、司会者はダメなものはダメって意見表明したほうがいいってことかな。コメンテーターにばかり意見を言わせて自分は立場を明解にしない人が多すぎるよね。本にも書いたけど、当たり障りのないこと言うのって言ってないことと同じだと思うんだ。誰にだって自分の意見はあるはずなんだから堂々と言えばいい。

話題のドラマ『不適切にもほどがある!』はもちろん見ています。ロバート秋山くんがやっていた不適切なお色気番組は、山城新伍さんの『独占!男の時間』っていう番組がモデルの1つだと思うんだけど、それに僕も出ていた。あの頃は確かにあれくらいめちゃくちゃだったよ。僕もパンツしかはいていない女性を膝の上に乗せて実況したりしてたから。ゴルフ帰りはビール飲んで車で帰宅するのが当たり前だったし、電車や飛行機、映画館の中でタバコを吸っていた。いい時代だったとは言わないけど、面白かったかな。

その頃からテレビの世界でやってきた僕は、忖度することって現役時代もあまりなかった。今回の本には、さらに好き勝手なことを書いています。なんせ古市がとにかく遠慮なく切り込んで来るんだよ。(笑)古市は若いのに炎上するようなこと平気で言ったりするところが嫌いじゃない。最近はご飯に行くと奢ってくれたりして、ああ見えて優しいんだよ。2人でベラベラ話しているところを編集者さんが聞いていて、面白いから本にしようという話になった。

古市に聞かれたことは病気のことも、しみったれた話だろうが、なんだろうが全部話したね。がんのことは長く生きてたら誰でも付き合うことになる病気だから、本当に僕はあまり恐れてはいない。がんはゴールが見えるから、色々準備ができていいと思う。


ご自身のスタイリングで撮影に。ビンテージのジーンズをおしゃれに着こなす小倉さん

婦人公論.jp

「妻」をもっと詳しく

「妻」のニュース

「妻」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ