定年シングル女性に家は買える?長女はつらいよ、ローン撃沈でお先真っ暗!真面目に働いても、定年で「無職のシングル女性」に

2024年3月27日(水)12時30分 婦人公論.jp


写真提供◎photoAC

昨年は、モトザワ自身が、老後の家を買えるのか、体当たりの体験ルポを書きました。その連載がこのほど、『老後の家がありません』(中央公論新社)として発売されました!(パチパチ) 57歳(もう58歳になっちゃいましたが)、フリーランス、夫なし、子なし、低収入、という悪条件でも、マンションが買えるのか? ローンはつきそうだ——という話でしたが、では、ほかの同世代の女性たちはどうしているのでしょう。今まで自分で働いて自分の食い扶持を稼いできた独身女性たちは、定年後の住まいをどう考えているのでしょう。それぞれ個別の事情もあるでしょう。今回からしばらく、「老後の住まい問題」について、1人ずつ聞き取って、ご紹介していきます。

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前回「アラ還、シングル、終の棲家探しはどこへ行く?家を失い、行政サービスから零れ、「透明な存在」にならないために」はこちら

老後の家がありません!みんなはどうしてる?


会社を定年退職したら、ただの無職のシングル女性になっちゃうのよ。マンションを買うなら会社員のうちよ——。

こんなふうにアドバイスしてくれる先輩女性がいたことが、名和田祥子さん(仮名、57歳、東京都内在住)にとってはラッキーでした。それまで賃貸暮らしだった祥子さんはつい1ヵ月ほど前、老後を暮らすためのマンション探しを始めました。でも、いきなり、ローンの壁にぶつかりました。

「どうしよう〜。お先真っ暗〜」

短大を卒業して就職してからこの方、35年以上、ずっと給与振り込み口座にしてきた某メガバンクが、いきなり、祥子さんの住宅ローンの事前審査を落としてきたのです。ローンが借りられないなら、マンションなんて買えません。

「ショック〜。ずっと使っていた銀行なのに〜」

私しか、稼ぐ人がいないんだから


祥子さんは、地方の出身です。短大進学で上京し、卒業後は大手企業に一般職として就職しました。時は男女雇用機会均等法の黎明期。祥子さんは均等法1期生でした。広報や営業補佐、企画など、事務方の仕事を続けて来ました。明るく気さくな姉御肌で、仕事も出来ます。どの職場でも後輩の男性社員らに慕われ、中心的な存在になりました。

でも、祥子さんの会社はすっごい男社会です。なかなか昇進させてもらえず、同じ立場の同期は最低でも課長になっている現在もまだ、肩書きは課長補佐のまま。上司によっては、わざわざ申し送り事項に「名和田は要注意。昇進させないように」と書いて、祥子さんの出世を阻んだほどです。自分よりも立場は下だけれど仕事のできる祥子さんが、出来ない上司にとっては目障りだったのでしょう。ある時など、上司に不当に低い評価をされたり、考えた企画と手柄をまるごと横取りされたり。それでも祥子さんは新卒で入った会社に、ずっと尽くしてきました。

そんな会社なら、とっとと見切りを付けて辞めてしまえ、と思いがちなところですが、祥子さんは真面目な性質です。「辞めたくても辞められないのよ。私しか、稼ぐ人がいないんだから」。自分1人なら身軽でしょうが、実は、祥子さんは田舎の実家を背負っていたのです。

祥子さんは4人きょうだいの長女。父母は祥子さんが上京後に離婚しました。実家の母は飲食店を経営し、女手一つで弟たちを育て上げました。あちこちに多額の借金のあった父を、離婚後も死ぬまで経済的に支え、家屋敷を売ってまで億単位の借金を肩代わりしました。妹や、地元にUターン転職した弟にも、なにやかやと母は金を出していました。そんな母に、祥子さんは仕送りをし続けました。毎月とボーナスのたび、お金を送っていました。3年前に母が末期がんだと分かってからは、仕送り額を増やすために、家賃を3万円下げて、狭い部屋に引っ越したほどです。

その母が、2年前に亡くなりました。母の遺品を整理していて、祥子さんは、実家のいろいろな問題に気付きました。すべての記録や書類をきちんと母が残してくれていたためです。


『老後の家がありません』(著:元沢賀南子/中央公論新社)

自分の将来に影響することになるとは


まずは弟の借金。自家用車2台の代金を含め、多額のお金を母が弟に出していることが分かりました。問い詰めると、弟はなんと、母以外にもいろいろなところから借金をしている、と白状しました。総額数百万円。家庭持ちの弟が生活を立て直せるよう、祥子さんが弟の借金をぜんぶ肩代わりしました。自分が銀行からまとめて借り入れ、弟に毎月、自分に返済させています。

母が最後に暮らしていた家は、遺言どおり祥子さんが継ぎました。母の死後、傷んでいたところを、祥子さんは、リフォームローンを組んで修繕しました。家族が何かの折に集まれる場所を残したい。みんなで母の思い出に浸りたい、と思ったからです。だから祥子さんは毎月、東京から新幹線と在来線を乗り継いで4時間もかけて、通っています。庭の手入れをしたり、風を通したりするためです。

実は、実家には、離婚して出戻った妹が母と同居していました。メンタルの不調を訴え、お金も、食事も生活の面倒も、すべて母が見ていました。母の死後、母の代わりに祥子さんがなし崩し的に面倒を見続けるのはつらい。光熱費や固定資産税は祥子さんが払っています。せめて数千円でもいいから、家賃を入れてくれ、と相談したら、妹は出て行ってしまいました。そのまま音信不通です。家族全員のハンコが揃わないため、いまだ相続登記ができないままです。そして、せっかくみんなで集まろうと思った家なのに、祥子さん以外のきょうだいは、誰も寄りつきません。

庭には小さな畑もあります。草むしりをしていると、よく小さな発見をしました。「あ、こんなところにウリ植えてる」。よく、母と一緒に種を蒔いたり、野菜を育てたりした祥子さんですが、自分も知らないうちに母がしたことを、畑仕事をしていて気付きました。みごとにプチトマトがなって、隣近所にお裾分けに行くと、そこで母の話を教えてもらったり。この家を買った時に母が植えた木が、毎年みごとに実を付けます。果実は近所や友だち、弟たちにも届けます。「ママが植えた木に実がなったよ」

祥子さんは、それで良いと思っていました。東京に出て大企業で働いている長女の自分が、家族のために出来ることはするつもりでいました。まるで長男です。一族の稼ぎ頭として、弟妹たちも支えています。当時は、それが自分の将来に影響することになるとは、祥子さんは思ってもいませんでした。

パワハラ上司に目の敵に


母の病気が発覚した頃は、職場でも祥子さんはつらい時期でした。パワハラ上司に目の敵にされたのです。取引先との段取りを全部済ませた後に、上司がしゃしゃり出て行きます。パワポの資料を作っても「ここを直せ」と、ごくごく細かい直しを要求してきます。

「私が作ったのが気にくわないんでしょ。あんな、自分で直せるくらいなのに。とにかく、なにか手を入れたかったんでしょ」。同僚が「大丈夫?」と心配するほどでした。

母の病気が分かった直後に実家に帰った時も、わざわざ実家まで電話で細かい問い合わせをしてきました。担当外のことにもかかわらず、です。その数ヵ月後、余命の短い母が、家族みなで食事をしたいと言った時も、飛び石連休の中日に休暇を申請したのに認められませんでした。母と弟妹たちとの食事会のためだけに、祥子さんは往復8時間近くかけて、泣きながら日帰りで地元に戻りました。翌日の平日、会社に祥子さんでなければこなせないような急務はなかったのに。ほとんどいじめのようです。

にもかかわらず、祥子さんの考えた企画は横取りされ、その上司の手柄になってしまいました。ずっと仕事人間で、会社に忠誠心を抱いてきた祥子さんですが、ここに来て、すっかり切れてしまいました。母の死後、もっと適当にやろう、でも、定年まで居続けて、お給料はもらおう、と思うようになりました。


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会社の定年は65歳まで延長になりました。60歳を過ぎるとどのくらい給与が減るかは分かりませんが、年金も65歳からなので、65歳まで働くしかありません。母への仕送りのため節約した家賃分は、いまは貯蓄に回せます。そこで、祥子さんは老後の家を買うことを考え始めました。つい1ヵ月ほど前から、不動産仲介業者に頼み、物件を探し始めました。そこで初めて、弟の借金をかぶった銀行のフリーローンや、実家のリフォームローンが、自分の与信枠を狭めている、と気付かされたのです。

35年以上真面目に働いてきたのに


「知らなかったから、もうショックで」

そもそも、住宅ローンの返済期間は最長79歳11ヵ月までなので、あと20年ちょっとしかありません。返済期間が短いイコール借り入れ枠は小さくなります。そのうえ、他のローンがあることで銀行から住宅ローンで借りられるのはすごく少ないことを、仲介業者との面談の中で知らされました。せっかく大企業に勤めているのに。途中で転職もせず、35年以上真面目に働いてきたのに。それでも、祥子さんは、少ない予算の中でマンション探しを始めました。

地元に戻る気はなかったんですか?「ないね。だって、戻ったら、あのきょうだいたちに……」。長女として、頼られることは目に見えています。バリバリ稼いだ亡き母に替わって、自分が経済的にも面倒を見ることになるでしょう。実家には、通えるうちは時々通って、庭の手入れをして母の思い出に浸るつもりです。でも、ずっと住もうとは思いません。祥子さんは苦笑します。

「友だちにも言われるの。祥子さん、お願いだから自分のために生きて、って。自分のためにお金使って、って」

予算的には、「終の住処」はほかの地方で買っても良いのでは?——実は考えたそうです。仕事でご縁のあった土地なら、知り合いもいます。「おいでおいで、って言ってくれるのよ」。でも祥子さんは運転免許は持っていません。「車がないとつらいでしょう」。車がなくても過ごせる地方都市となると、コンパクトシティで有名な富山はどうでしょう。「それも考えた。富山いいよね。でも、私、雪はきらいなの」。雪国出身の祥子さん、雪かきや雪下ろしの面倒はよく知っています。というわけで、結局、いま仕事もある東京に、会社員のうちにローンを組んで買う、という選択肢に落ち着いた訳です。

探せば見つかるかもしれない


祥子さんはすでに2回、内見に行きました。予算が少ないので買える物件はないかもと危惧したけれど、それなりに見つかりました。1つ目は、小さい古いマンションでした。狭いけれど、予算内で買える物件が都内にあった、と分かって、少しほっとしました。探せば見つかるかもしれない、と希望が持てました。


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もう1つは、「なに、いま夜逃げしたの?」って思うほど、残置物が残ったままの部屋でした。地下鉄駅徒歩10分で、北向き1階でしたが、キッチンが広いのが気に入りました。コロナ後、自宅で自炊することが増えて、祥子さんは料理に目覚めました。ワンルームでもいいけれど、コンロが一口しかないのはイヤでした。不動産に詳しい年上の女友だちに、この物件のことを相談したら、目をきらりとさせて、「いいかもしれない」と言われました。「どうせ年を取ったら階段じゃないほうがいいんだから、1階はあり」と言われ、そうか、と納得。いざ申し込もうと思ったら、そこで不動産屋から「残念ですが、売れてしまいました」と言われました。競合は現金買いだったそうです。残念。

「私くらい少ない予算の物件になると、投資家が現金で買えちゃうのよね。現金には負けるから」

そう。不動産売買は弱肉強食。現金買いに勝る者はいません。ローン審査を待つこともない、即金ですぐ契約が成立する現金買いを選ばない売主なんていないでしょう。

祥子さんはとりあえず、ローンの事前審査を出しました。ローンがつかないと買えませんから。そこで、冒頭の事態です。日常的にお付き合いのあるメーンバンクに断られたのです。「手紙が届いて、何かと思ったら、ペラペラの紙切れ一枚で、事前審査の結果、落ちました、って」。祥子さんは憤ります。もう銀行を替えてやる、と。

老後の住まい探しは始まったばかり


それから10日ほど。仲介業者の担当女性からメールが来ました。「やりました! A銀行さん、審査通りました!!」。今までまったくお付き合いのなかった某メガバンクです。

「良かった〜」。しかも金利は0.3%です。さすがは現役の会社員(モトザワらフリーランスが提示される金利の、半分以下ですね)。祥子さんはほっとしました。「これでやっと、マンションが買える」。都内で、いまの職場への通勤が便利なエリアで、30平米程度でいいので、古くてもキッチンが広い物件。できれば北向きじゃなくて、1階じゃなくて。夢は広がります。

「マンション、見つかるかなあ? 買ったら、遊びに来てね」

もちろん、見つかるでしょう。65歳の定年まであと7年強。祥子さんの老後の住まい探しは始まったばかりです。

男女雇用機会均等法が1986年に施行された後に就職活動をした均等法第1期生は、今年、60歳の定年を迎えます(大学を現役合格だった場合)。つまり均等法世代の女性たちが大量に、現役を引退する時期なのです。史上初めての、女性の大量定年退職です。定年延長で65歳定年になっている企業も多いですが、還暦は、老後の住まいについて考える適齢期であるのは間違いないでしょう。彼女ら、アラ還の働くシングル女性たちは、定年後、どこに住むつもりでしょう。老後の、終の住処について、どう考えているのでしょう。それぞれの事情を聞き取って紹介していきます。

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