書でもなく絵でもない。107歳まで生きた美術家・篠田桃紅さんを生き方の師に。100点を超えるコレクションを集めた〈篠田桃紅作品館〉を開館

2024年4月28日(日)12時30分 婦人公論.jp


「篠田桃紅作品館」代表の松木志遊宇さん(撮影:大河内禎)

書の域にとらわれず、独自の表現を拓いた故・篠田桃紅さん。その研ぎ澄まされた感性や生き方に、多くの人が魅了されてきました。ファンであった松木志遊宇さんが、篠田さんと交流するようになったのは40年ほど前のこと。
数十年かけて集めた100点を超えるコレクションは松木さんの自宅に併設された作品館で観ることができます。「私の人生の宝物」という親交の日々を、松木さんが振り返りました。(構成:小西恵美子 撮影:大河内 禎)

* * * * * * *

「生き方の師」になってくださった


15歳のときに見た雑誌のグラビアで、着物姿の女性が太い筆を手に、大きな作品に挑んでいました。書の世界を出て墨を用いた絵の仕事を始め、アメリカで活動の場を広げて帰国したと紹介されていて、「すごいなこの方は」と衝撃を受けました。

私は幼いころから書と絵が好きで、特に書道は大人に交じってプロの先生から学んでいました。本当は美術の教師になりたかったけれど、当時は働き口がみつかりませんでしたから、新潟の県立高等学校で国語と書道の教諭の職に就きます。

ずっと絵を引きずっていたので、かつてグラビアで見た「篠田桃紅」という人の、書から絵に転向した生き方にますます関心と興味が向きました。

ちょうどそのころ、篠田桃紅作品展が地元・新潟のデパートで開催されたので見に行きました。作品を間近で見たのはこのときがはじめて。今までに触れたことのない墨色と線の動き。書でもなく絵でもない、その世界にすっかり参ってしまったのです。

和の画材を用い、伝統を踏まえながらも、世界の人に通じる新しい抽象表現を切り拓いている。モダンさを感じました。

●篠田桃紅(美術家)(しのだ・とうこう)
1913年中国・大連に生まれる。5歳から父に書の手ほどきを受ける。47年ころから抽象的な水墨画を描くように。当時、抽象表現主義が盛んだったアメリカで、いち早く評価を受けた。現在、作品はクレラー・ミュラー美術館、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館など国内外数十ヵ所の美術館、また、アメリカ議会図書館や京都迎賓館、皇居のお食堂など二十数ヵ所の公共施設に収蔵される。エッセイの名手としても知られ、『一〇三歳になってわかったこと』はベストセラーに。2021年、107歳で死去。松木さんが所有する55点の作品を収録した画文集『私の体がなくなっても私の作品は生き続ける』(講談社)が発売中


1956年に渡米する前の篠田さん。仕事場の一角で(写真提供◎篠田爽子さん)

以来、熱心なファンとして作品を見続けてきましたが、新潟県高等学校教育研究会の企画運営に携わっていた1985年、憧れの篠田桃紅先生を講師としてお招きしよう、と思い立ちました。

最初は依頼を断られました。その理由は、「壇上(人の上)に立ち、お話をすることは、私の生き方に反します」。「では先生を囲み、みんなで語り合う形でお願いします」と再度手紙を書きました。

どうしても諦められず、何度かお手紙をやり取りし、ようやく引き受けていただいたときは万感の思いでした。先生は72歳、私は42歳。ここから交流が始まりました。


作品館1階の広間。篠田さん自身が選定に関わり、「松木コレクション」と呼んだ特別な作品を、すぐそばで、さまざまな角度から眺められる
【篠田桃紅作品館】新潟県新潟市中央区学校町通2-5245-4/TEL:090・2999・9495/
開館時間:11時〜16時(要予約)月曜休館。月曜が祝日の場合は翌日休館/入館料1000円


展示品は2階にもあり、資料室も併設されている

人間に興味はございません


研究会では参加者から、「どんな人や作品に興味をおもちですか」と質問が出ました。

そのときの先生の、「私は人間に興味はございません。風のそよぎ、雨の音、空気の流れなどを感じ、四季それぞれに流れている目に見えないものを可視化する。それが私の芸術のかたちです」という言葉が鮮明に思い出されます。

秋になると先生は、會津八一さんの「からすみ を いや こく すりて かまづか の この ひとむら は ゑがく べき かな」という歌を思い出すそうです。

かまづか、とは葉鶏頭(はげいとう)のこと。會津さんは庭の真っ赤なビロードのような葉鶏頭を、道行く人が垣根越しに見て、美しさに感嘆しているのがことの外の喜びでした。


茶室の様子。風炉先屏風や棗、水指、掛軸(右)も作品の一つ

そして、その真っ赤な葉鶏頭を赤い絵の具を使わず、墨を濃く磨って描きたいと歌っているのです。心に働きかける抽象表現の世界を感じるこの歌に、先生は大変共感なさっていました。

また、先生は弟子をとる方ではありません。なぜかとお聞きすると、「自分の思いを生み出そうとする行為を、どのようにして指導するのですか。

心に育てたものを表現するのが芸術です。弟子は生み得るわけがありません」と。でも「生き方の師なら」と私に言ってくださいました。

<後編につづく>

婦人公論.jp

「桃」をもっと詳しく

「桃」のニュース

「桃」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ