「初の女性弁護士」誕生が大きく報じられるも『虎に翼』寅子モデル・三淵嘉子自身は意外にも冷めていて…「法律の仕事に従事するかは何とも言えません」

2024年5月13日(月)6時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

24年4月より放送中のNHK連続テレビ小説『虎に翼』。伊藤沙莉さん演じる主人公・猪爪寅子のモデルは、日本初の女性弁護士・三淵嘉子さんです。先駆者であり続けた彼女が人生を賭けて成し遂げようとしたこととは?当連載にて東京理科大学・神野潔先生がその生涯を辿ります。先生いわく「嘉子の談話はやや冷めた内容のようにも思える」そうで——。

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新聞での報道と嘉子の本音


明大法学部卒業後の1938(昭和13)年3月、高等試験司法科を受験した嘉子は見事に合格。初めての女性合格者の一人となりました。そして当時の新聞は、「初の女性弁護士」の誕生を、大々的に報じました。

11月2日付の『東京朝日新聞』夕刊では、「“法服”を彩る紅三点、“女性の法律問題は女性が—”、弁護士試験・初の栄冠」という見出しで、3人の写真と談話とを掲載しました。

他にも、「初の女弁護士三人 合格発表 一年後には颯爽法廷へ」・「惨めな妻や母を敢然擁護」などという記事を、複数の新聞に見つけることができます。

当時の嘉子の談話は、まだ弁護士になったわけではない段階であるためか、喜びの中にも不安が入り混じったような、やや冷めた内容のようにも思えます。

嘉子が語ったこと


例えば、嘉子は以下のように述べています。

「女弁護士を目指しての受験だなどと云はれては困ります。法律を始めたのはこれからの婦人の社会生活にはどうしても法律の知識が常識として必要だと思つたからです(中略)これから法律の仕事に従事するかつて……それは今まだ何とも言へませんワ……」

「之から先の方針も未だ決まつて居りません状態です。仮令(たとい)若し弁護士になるに致しましても職業として立つて行くと云ふよりは、只管(ひたすら)不幸な方々の御相談相手として少しでも御力になりたいと思つて居ります。

それには余りにも世間知らずの無力な、空虚な自分を感じます。晩成を期して、学問の上でも、社会の事に就いてももつともつと勉強し、経験を積んでその上での事でございます。そこ迄自分がやつて行けますか何うか……。只私の望みは仮令何の道を歩むに致しましても夫々の道に応じて、世の為、人の為、自己の最善を尽したいと思ふのみでございます。」

嘉子の生涯を貫く重要な「哲学」


この時、多くの新聞記者が、弱い女性を救うために弁護士となったという物語で嘉子のことを捉えようとして質問を繰り返した、と嘉子は後に語っています。

しかし、自身が弁護士を志した動機は弱い女性を救うためではなく、(女性を含む)困っている「人間」の力になるためであったと、後に嘉子は振り返っています。


(写真提供:Photo AC)

嘉子は女性であるという自覚よりもむしろ、人間であるという自覚の中で生きていて、これは、嘉子の生涯を貫く重要な「哲学」だったと言って良いでしょう。

ただ、試験に受かったばかりの嘉子の心に、そこまでの確かなイメージができあがっていたかはわかりません。

談話にある通り、「世の為、人の為、自己の最善を尽したい」という思いは強くあったでしょうが、それを後に語るほど心の中で整理できていたわけではないかもしれません。

女自身の手で護ることのできる日


また、弱い女性を救うためという意識よりは、女性の社会的地位を高めたいという意識が強かったであろうと想像できます。

嘉子は合格から数日後、「読売新聞」に寄せた文章「女と法律」の中で、「私が“女弁護士”になつたといふことは、私一個の小さな問題ですが、女が弁護士になれるといふ制度ができたことは、大きな問題です(中略)長い間『男の法律』で裁かれてゐた『弱い女』を『女だから』知らなかつた法的な無知を、女自身の手で護ることのできる日の近づいたことを皆様と共に喜びたいと思ひます」と書いています。

この言葉は、弱い女性を救うことが大事なのではなく、「弱い女」という決めつけを打ち破っていきたいという、嘉子の気持ちを示しているのではないでしょうか。

※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。

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