井上真吾 尚弥・拓真をチャンピオンにした「五・三・二」の育て方とは。「負けたら息子を殴る親もいる。でも子どもを所有物のように勘違いしてはいけない」
2024年5月20日(月)12時30分 婦人公論.jp
(書影:講談社)
24年5月6日、東京ドームにて、マイクタイソン以来34年ぶりとなるボクシングのタイトルマッチが開催。世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥選手(大橋)が、元世界2階級制覇王者ルイス・ネリ選手(メキシコ)に6回TKO勝ちをおさめました。「日本ボクシング史上最高傑作」とも呼ばれる尚弥選手をトレーナーとして、そして父として支えてきたのが真吾さんです。今回、その真吾さんが自身の子育て論を明かした『努力は天才に勝る!』より一部を紹介します。
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自分のボクシングへの「愛」が子どもにも伝わって
尚弥にボクシングを教え始めた当時を振り返れば、親として、自分が大好きなボクシングを好きになってくれるように、飴と鞭を使い分けて工夫していました。それに子どもたちがうまくハマってくれたかな、という感じです。
親がやらせるというよりも、子ども自身が長じるにつれ、ボクシングの素晴らしさに気がつき始めていった。興味本位で始めたことですが、一生懸命やり続けることで競技の深奥が見えるようになったのです。
「左フックを打つときは前足に体重を乗せて」。
「パンチは最後まで打ち抜け」。
少しずつ練習の強度を上げ、少しずつ成長してきました。
今もあまり変わりませんが、当時、子どもの時分からボクシングをしていた選手はほとんどいませんでした。尚弥のクラスメートを見ても、野球やサッカー、水泳を習う子どもが大半でした。
15歳以下のキッズボクシングの大会は今でこそ後楽園ホールで全国大会が開催されていますが、当時は横浜さくらボクシングジム、熊谷ボクシングジムなど個々のジムで行うスパーリング大会があった程度で、組織立ってはいませんでした。
「オリンピックで金メダル」「世界チャンピオン」という遠い目標はあっても、球児にとっての「甲子園」、サッカー少年にとっての「国立競技場」のような目標となる舞台はなかったのです。それでも、尚弥と拓真はボクシングの練習を繰り返していました。
自分が愛するボクシング。その愛が、いつしか子どもにも伝わったのでしょう。じつはあのときのどこかの時点で「僕はサッカーがやりたいんだ」と子どもに言われたら、それは仕方がないと断念していたと思います。
「五・三・二」で育てる
自分なりのあの当時の指導を振り返り、あえて言葉にすれば、
『努力は天才に勝る!』 (著:井上真吾/講談社現代新書)
「五・三・二」。
で育ててきました。全体を一〇とすると、五は普通に接する。「ボクシングもいいけど、勉強もするんだぞ」「明日のマラソン大会はボクシングの練習でやってきたことを思えばチョロイもんだ。頑張れよ」、そんな日常的な親子の会話が半分を占めます。
つぎの三は「褒める」ことです。とりわけ小さいときはよく褒めました。
「今のジャブは切れていた。ブルース・リーでもかわせないぞ」。
子どもが英雄視している人物を取り上げて褒めました。自分も褒められると嬉しいので、子どもたちも積極的に褒めました。子どもは褒められるとよりノッてくれるし、よしもう一度、と頑張ってくれるものです。
自分は普段の練習でも子育てでも、いいところを見つけたらその場ですぐに褒めます。「ガードがちゃんと上がっている。偉いぞ」「箸の持ち方が上手になった」とその都度褒めるのです。
最後の二は「叱る」ことです。ここがポイントです。ただ単に「何でできないんだ」「昨日できただろ」と声を上げて叱ることはいけません。叱るにはコツがあります。「ダメだ」「やめちまえ」と汚い言葉は使わないことです。
「そんな練習で強くなれるのか」。
「それ、よくないと思わない?」
叱るときこそ、上から押さえつけるのではなく、自分がこう言われたら納得できるな、と一回間を置いて考えてから語りかけます。
子どもには子どもの人格が
我が息子ですが、他人格です。頭ごなしに叱りつけない。侮辱をするような言い方も避ける。常に聞く耳を持ち、全否定してはいけません。
自分の影響下に置いてマインドコントロールするかのような、そんな指導はしたことがありません。子どもには子どもの人格があります。三人の子には、自分で物事の是非を考え、他人に気をくばることができるように育ててきたつもりです。
ときおり、子どもを自分の所有物のように勘違いしている光景を見かけることがあります。キッズボクシングの会場で、試合に負けたお子さんを怒鳴り、ひどいときには怒りに我を忘れ、息子を殴るお父さんが稀にいます。
そのお子さんが慢心したり、手を抜いて負けたのならまだわかります。その家庭の指導法ですからそれは尊重します。でも私はそんな指導は指導者として失格だと断言します。
もし自分がその家の子どもであれば、そんなギスギスとした中でやりたいとは思えないし、やり遂げられないと思うのです。
やるだけやって相手の方が一枚上手であれば仕方がない。相手もこの日のために最善の練習をしてくるに決まっているのですから。対策も練る。勝負だから「勝ち」もあれば「負け」もある。最善を尽くして、でも負けることは勝負の世界ではときにあることです。そのときは負けても慰める。実際に負けたときにも、
「よくやった。尚は力を出し切った。つぎに頑張ればいい」。
と慰めました。翌日からその敗北を糧にして練習すればいいのです。
「ハートのラブ」で育ててきた
逆に子どもですから調子に乗ることもあります。スパーリング大会でいい成績を残して、いつまでも余韻に浸っていると、「おまえに負けた子は、コンチクショウと思って厳しい練習をしているぞ」と、厳しい競技だからこそ、あえて厳しくあたったときもありました。
長男は二階級王者、次男は世界ランカーです(編集部注:書籍刊行2015年12月当時)。
その実績から私は2014年度に、その年度にもっとも功績のあったトレーナーに送られるエディ・タウンゼント賞をいただきました。この受賞、そして尚弥の二本のベルト、拓真のOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王者のベルトは私たちだけの力で獲ったものではありません。親子でお世話になっている大橋ボクシングジムの大橋秀行会長をはじめとする大橋ジムの皆さんの力があってこそのものでした。
そして、ボクシングに専念できる環境を作ってくれた妻・美穂や長女・晴香のおかげです。
エディ賞の由来となった、エディ・タウンゼントさんはガッツ石松さん、赤井英和さん、井岡弘樹さんら数々の名ボクサーを指導された方です。エディさんは優秀なトレーナーであり、人格者でもありました。精神論が根強く残った時代に論理的なトレーニングを取り入れ、選手だけでなくトレーナーも指導されたようです。
「リングの上で叩かれて、ジムに帰って来てまた叩かれるのですか? 私はハートのラブで選手を育てるの」。
自分の指導も同じです。ボクシングのトレーニングに竹刀はいりません。顔はよく強面と言われますが、「ハートのラブ」で二人を育ててきたのです。
※本稿は、『努力は天才に勝る!』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
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