「スパルタだと思っている人も多い」偏差値50の無名高校→東大・京大合格者数トップになった進学校「西大和学園」の“知られざる教育内容”
2024年6月29日(土)12時0分 文春オンライン
〈 なぜ偏差値50の“無名高校”が、東大・京大合格者数トップの進学校になれたのか…「西大和学園」創設者が明かす“急成長のヒミツ” 〉から続く
奈良県にある私立中高一貫校の西大和学園。今や、東大、京大合格者数で全国トップレベルの進学校だが、わずか30年前までは偏差値50の無名私立高校だったという。西大和学園はいかにして共学トップの進学校になったのだろうか?
ここでは、西大和学園の創設者で、学園の会長でもある田野瀬良太郎氏の著書『 なぜ田舎の無名高校が東大、京大合格トップ進学校になれたのか 西大和学園の躍進 』(主婦の友社)より一部を抜粋して紹介する。(全4回の4回目/ 3回目 から続く)
![](https://news.biglobe.ne.jp/trend/0629/0339593540/bso_0339593540_1_thum800.jpg)
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「受験勉強じゃなく、いろんなことを学びたい」という子が出てきた
平林校長が西大和スタイルの伝道師として奔走するあいだ、今村教頭には教員たち、特に学年部長たちをまとめるマネージメント役をお願いしました。
「学年部長は僕と同じ30歳そこそこのヤツらばかりで、みんな突っ走っているんです。それこそ野武士集団ですよ。それをまとめろと?」
「君かて野武士の先頭切って走ってたやないか。今度は野武士を束ねる総大将になったらええ」
判断力が早く、物事をはっきり言う彼ならできると踏んだ、私なりの檄(げき)です。
これまでは、交渉力のある学年部長がいい人材を集めて他の学年に回さないということも少なくありませんでした。すると、どうしても各学年の実績に差が出てしまいます。また、各学年が行事から授業カリキュラムまで好きなように組んでいくので、学校全体の統一感も薄れているという現状もありました。それらを調整するのが今村教頭に課せられた大きな仕事でした。
ひとつの学年が勉強ばかりさせていて行事が二の次、三の次になっていたら、行事が得意な先生を入れる。中学2年生の学年はどうしても英語が弱いとなったら英語のエキスパートの先生を投入する。そして、各学年でバラバラだったカリキュラムや行事を見直し、よりシステマチックにしていく。この数年間にわたる調整で、学校がさらにひとつにまとまっていきました。
2001年に西大和学園が東大・京大合格者数全国ベスト10に入った背景として、校長や教頭たちのそうしたアクションも少なからず影響していたと思います。
校長や教頭のもとには、日々、学年部長や教員たちからさまざまな指導提案が上がってきます。
「数学や物理で飛び抜けた才能を持つ子には、大学レベルにまで食い込んだ授業を受けさせてみたらどうか」
「アメリカの語学研修旅行で、子どもたちの英語に対する認識は一変する。もっともっと生きた英語を習得させるプログラムを組むべきではないか」
「西大和はスパルタだと思っている子どもや親御さんも多い。入ってくる子どもたちも変わってきているのだから、これまでとは違う授業カリキュラムを組みましょう」
たしかに、この時代に入ると、以前とは明らかに異なるタイプの生徒も入学してくるようになっていました。
「1回解けば分かるから、同じような問題を3問も宿題で出すのはやめてください」
とさらっと言うような、あらかじめ理解力の高い子どもたちです。
新たな方向に軌道修正
彼らは「スポーツもやりたい、ボランティアもしたい、科学実験もやってみたい」と好奇心も旺盛で、オールマイティにすべてをこなします。
1995年には、それまでの7時限授業を週3日は6時限に減らすなど、すでにカリキュラム変更にも着手してはいましたが、ある程度管理力で子どもたちに学力を定着させていくという初期の方針は、まだ踏襲されていました。しかし、こうした新しいタイプの子どもたちに対しては、時間や課題の量で縛るようなやり方は、もう向かないのではないか。子どもの変化を考えたら、量より質でいくべきではないか。
社会的にも1999年の学習指導要領の全部改正にともない「ゆとり教育」が開始されようとしていた時代。「スパルタ教育」が悪の象徴のように言われることもあり、そのイメージが定着してしまうのは学校としてもマイナスです。そうした社会の動向も探りながら、教員たちのあいだでも、教育や指導のスタイルをめぐって、毎日のように議論が戦わされるようになってきました。
そんななか、2001年4月から平林校長の職を引き継いだのが前・教頭の今村先生です。校長就任時は37歳。2人目の生え抜き校長となりました。
新校長をはじめ、教員たちは中学生の親御さんたちと世代的に変わりません。
「自分の子どもを西大和に入れたら、こんなことをしてもらいたい」
職員会議でも、学校帰りのお酒の席でも、つねに教育談義は親目線。だから余計に力が入るのです。そういえば、私も高校をつくったときは43歳で、彼らと同じ気持ちでした。
議論を重ねた結果、今村校長は西大和学園を新たな方向に軌道修正することを決めました。
「西大和ならではの面倒見のよさは残しつつ、生徒が自由に取り組めるようなあらゆるステージを用意する」
多面的な教育力の強化です。ここから西大和学園の教育内容は、さらに大きく変わっていくことになりました。
(田野瀬 良太郎/Webオリジナル(外部転載))
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