千代田区に5つある「幽霊坂」をめぐってきた

2018年6月30日(土)17時0分 Jタウンネット

「幽霊坂」——。いかにも何かが出てきそうな、不気味な名前の坂を以前、都内で見つけた。いったい、どういった由来からこの名前になったのか、どこにどれくらいあるのか。


調べてみると、同名の坂が千代田区内だけでも5か所あるとわかった。そこでJタウンネット記者は、それぞれを回ってみることにした。


標識がなく探しにくい...


全国各地の坂を研究している「坂学会」の公式サイトによると、「幽霊坂」(別名含む)は都内に14箇所。北区、品川区、港区、文京区、新宿区、千代田区にある。このなかで一番多いのは千代田区ということだったので、今回は千代田区にある幽霊坂に絞って調べてみた。


このページによると、区内の幽霊坂は、次の5か所にある。神田駿河台4丁目、神田淡路町2−9と11の間を西に上った場所、富士見1丁目、富士見1丁目と2丁目の間、富士見2丁目だ。なお5つのうち、富士見町にある3つは坂の名前を示す標識や看板がなく、幽霊だけに「見えない物を見ようとして」、望遠鏡を......ではなく一眼レフとスマートフォンと地図を覗き込んで向かった。


まず、富士見2丁目にある幽霊坂。どこまでが富士見2丁目なのか、1本でも道が違うと富士見1丁目。探し始めて30分ほどかかり、ようやく発見した。


坂を下から上に見た時。この坂の由来について、坂学会のページでは、岡崎清記氏の『今昔東京の坂』(日本交通公社)をもとに、「広い武家屋敷の淋しい鬱蒼とした道」なことにあると説明している。次に紹介する2つ目と3つ目の幽霊坂の由来も、これと同じだそうだ。


左手には、神楽座(KADOKAWA富士見ビル)がある。


続けて、2つ目の幽霊坂。こちらは富士見1丁目と2丁目の間にある。角川第3本社ビルを左手に続く坂が2つ目の幽霊坂だ。


こちらは3つ目の富士見1丁目にある幽霊坂。日本歯科大学生命歯学部を右手、千代田区立富士見小学校を左手にし、その間にある。


さて、筆者はここで1つ気づいたことがある。坂を上りきった場所、さっき通ったような......。ふと、あることに気付いた。坂を上り、右に曲がり少し歩くと、2つ目の幽霊坂があった。2つ目の幽霊坂を通り過ぎ、下ると1つ目の幽霊坂があった。


地図にすると、以下のようになる。丸数字はそれぞれ記事で紹介されている順番だ。飯田橋駅の西口付近にある。


標識があって見つけやすい


さて、今度は御茶ノ水駅周辺へ。残り2つも、それぞれ近くにあり、いずれも標識があったので見つけやすかった。


写真の標識には、


「江戸時代には火消役の屋敷があり、そこへ上る坂道でした。江戸時代の初めは緩やかなカーブで、埃(ごみ)坂あるいは光感寺坂とも呼ばれていました。のちに直線状に整備されて、紅梅坂へとつながっていましたが、大正時代の区間整理で本郷通りができたために2つに分かれた形となりました。このあたりは木々が繁っていて昼間でも薄暗かったことから、幽霊坂の名が名づけられています」

と書かれている。


そして最後の1つは東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)を左手に、坂の途中にあった。こちらの看板には「紅梅坂」とあり、幽霊坂は別名となる。


標識には、


「明治時代に、武家地であったこの地域に駿河台西紅梅町・東紅梅町という町名がつけられました。そのため、この坂道も、紅梅坂と名付けられました。関東大震災後に本郷通りが新設されて分断されるまでは、東側にある幽霊坂と1本の坂道でした」

と書かれている。


つまり、紅梅坂はかつて4つ目の幽霊坂でもあったのだ。地図にすると以下の通り。


幽霊坂、都内にはまだまだあるのでご興味のある方は是非とも探してみてはいかが。

Jタウンネット

「幽霊」をもっと詳しく

「幽霊」のニュース

「幽霊」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ