神宮外苑再開発「ららぽーと」の名誉のためにも “らしさ”を踏まえた計画を
2023年7月1日(土)6時0分 JBpress
イチョウ並木が美しい明治神宮外苑の再開発をめぐり、反対の声が続出している。
植生への影響が危惧されるだけではなく、高層ビル群・商業施設は神宮外苑にそぐわないとの指摘が出ている。
近隣住人や訪問者が神宮外苑にどのような感情を抱いているか。それが無視される環境整備は拒否されるべきだ。
(吉永明弘:法政大学人間環境学部教授)
「まるでららぽーとのようだ」
再開発には二つの論点がある。一つは、これまでの環境が損なわれるのではないかという点、もう一つは、新しく生まれる環境が望ましいものかどうかという点だ。
そもそも再開発は、それまでの環境よりも良い環境を創出することが目的のはずだ。再開発の結果、前よりも良くなったという評価が生まれれば、その再開発は成功したことになる。逆に、再開発によって環境が悪化したと評価された場合には、その再開発は失敗だったということになる。
これまで神宮外苑再開発をめぐっては、主に第一の点、つまり樹木の伐採数が多すぎるとか、イチョウが枯れる恐れがある、といった点が注目を集めてきた。しかし同じくらい問題視されているのは、眺望を損なう高層ビルが出現することや、新しく建設される商業施設のデザインについてである。
商業施設に対しては、SNSで「まるでららぽーとのようだ」という趣旨の発信が話題になっている。再開発の事業主体に名を連ねる三井不動産が展開する「ららぽーと」を引き合いに、こうした商業施設を作ることに疑問を呈したものだ。
◎「ららぽーと」を引き合いに疑問を呈したSNSのまとめサイト
これは第二の点、つまりこれから創出される環境に対する不満の声である。
再開発をするのであれば、新しく生まれる環境はそれまでよりも良い環境でなければならない。高層ビル群や「ららぽーとのような商業施設」に対して批判が渦巻いてやまないのは、その期待を裏切っているからだろう。
なぜ神宮外苑という場所につくるのか
しかし、高層ビルや「ららぽーとのような商業施設」のどこが悪いのかを考えると、高層ビルや商業施設自体に悪い点はあまりないように思われる。高層ビルやららぽーとに愛着をもっている人もたくさんいるだろう。
ここでの不満の声の中心は、「なぜそれを神宮外苑という場所につくるのか」という点にある。これは再開発をめぐってよく取りざたされる「この場所にそぐわない」という批判である。
このような批判は妥当なのか。
それとも、単なる印象論や感情論にすぎないのだろうか。
「場所」をめぐる研究領域といえば、地理学である。自然地理学と人文地理学に大きく分かれるが、人文地理学のなかに「人間主義地理学」という分野がある。
代表者の一人であるエドワード・レルフは、場所に対する「本物の態度」と「偽物の態度」を区別し、偽物の態度によって「没場所性」(placelessness)が生み出されると主張する。
レルフによれば、「没場所性とは、意義ある場所をなくした環境と、場所のもつ意義を認めない潜在的姿勢の両者を指す」(レルフ1999:298)。偽物の態度によって没場所性が生み出されるということは、いいかげんな場所づくりが「その場所らしさ」を失わせるということである。
では逆に、「その場所らしさ」を生み出すものは何だろうか。これは「風土論」という分野で議論されてきたテーマである。
“らしさ”を尊重した環境整備
日本で「風土」という言葉を広めたのは、和辻哲郎という哲学者である。和辻の書いた『風土』は、昭和初期の本なのに今読んでも面白く読める。
この本のなかで和辻は、気候が人間の文化や民族の性格に大きな影響を与えていることを印象的な例を用いて記している。乱暴に言えば、「その場所らしさ」を決めている大きな要因は気候条件だということになる。
そもそも和辻が風土に着目したきっかけは、ヨーロッパ留学のあいだに「日本との違い」を意識したことにあると言われている。
さまざまな点でヨーロッパと日本は違うのだが、その根底には「湿気」があると和辻は考えた。
時折、「日本らしい風景」に出会うことがあるのだが、注意して見ると、そのような風景には「苔」が見られることから、日本らしい風景の根幹には「湿気」がある、と和辻は考えたのだった(和辻1991)。
20世紀の後半に、この議論はフランスの地理学者オギュスタン・ベルクによって引き継がれることになる。
ベルクは、「その場所らしさ」を決める要因は気候条件であるという和辻の洞察を批判的に検討し、自然からの影響だけでなく人間の営みの影響をも重視して、現代の環境問題にも応答しうる議論を展開した。
簡単にいえば、その地域の自然条件とそこで暮らす人間の活動との相互作用によって「風土」(その場所らしさ)が形成されるということだ。そしてベルクは、環境整備の際に風土の特徴を生かすことを求め、それを「環境整備の規範」として提示した。
ベルクによれば、
A)風土の客観的な歴史生態学的傾向、B)風土に対してそこに根を下ろす社会が抱いている感情、C)その同じ社会が風土に付与する意味、を無視するような環境整備は拒否するべきである(ベルク1994:167)。
B)とC)は、地域住民が環境に対してもっている感情や意味づけを尊重するべきだ、ということだが、A)風土の客観的な歴史生態学的傾向という部分は注意が必要である。
このベルクの考えでは、地域住民が地元の風土の特徴をよく知っていることが前提とされているように見える。
この点に関して、日本の環境倫理学者の桑子敏雄氏と亀山純生氏から、現在は風土の希薄化が進んでおり、住民が地域の歴史や自然の特徴を把握しているとは限らないので、地域の歴史や自然の特徴を明らかにする専門家の役割が重要であるという指摘がなされている。
神宮外苑再開発問題をめぐっては、石川幹子氏や藤井英二郎氏が専門家の役割を十分に果たしているといえよう。
ふさわしい計画が「ららぽ」の名誉を守る
こうした科学的・歴史的な知見によって、風土(その場所らしさ)が明らかにされる。そこに重なる形で、地域の住民の感情や意味づけが重要になってくる。
神宮外苑でいえば、その近隣に住んでいる人たちや、そこを訪れる人たちが、神宮外苑にどのような感情を抱き、どのような意味づけをしているか、が考慮されなければならないのである。
そういったことを無視するような環境整備は拒否されるべきというのが、ベルクが示した環境倫理なのである。
先の規範はやや後ろ向きのものだったが、ベルクはより前向きな規範も提出している。それは、環境整備においては尺度を考慮し、適切な釣り合いを守り、節度の感覚を大事にすべきというものだ。
「尺度を勘違いしないために地図と国土とを、実験室と現地とを粘り強く関係付けること」が大切だとベルクは言う(ベルク1994:169)。
神宮外苑再開発における高層ビル群建設においては、この尺度の問題をより真剣に考えるべきであろう。
最後に、この再開発とは無関係の「ららぽーと」があたかも悪いものであるかのように言われるのは、「ららぽーと」関係者からすれば心外だろう。
流れ弾が当たってしまっている「ららぽーと」の名誉を守るためにも、神宮外苑という場所にふさわしい建物が計画されるべきである。それは地域の歴史や自然の特徴を損なうものであってはならない。
最も風土を守るやり方は、既存の樹木と建物を残すことだろう。
※本記事は、6月27日に開かれたオンラインワークショップ「人文知の視点から見た神宮外苑再開発問題」の中で報告した内容の要約です。
参考文献:
エドワード・レルフ(1999)『場所の現象学』ちくま学芸文庫
オギュスタン・ベルク(1994)『風土としての地球』筑摩書房
和辻哲郎(1979)『風土』岩波文庫
和辻哲郎(1991)『イタリア古寺巡礼』岩波文庫
桑子敏雄(2005)『風景のなかの環境哲学』東京大学出版会
亀山純生(2005)『環境倫理と風土』大月書店
筆者:吉永 明弘