明治から平成まで... 4つの時代のトンネル並ぶ「日高耶馬渓」がヤバいほど素敵
2022年7月8日(金)8時0分 Jタウンネット
人間が、ある地点から別の地点まで移動するために作る「道」。
同じ場所に至るものでも、より便利な道が開かれると、これまで使われていた道は「旧道」となる。
そんな人の営みの歴史を垣間見ることができるある場所が2022年7月4日、ツイッターに投稿され、注目を集めている。
旧道の横には旧旧道があって。
— mimizuku@廃墟traveler (@hopigon) July 4, 2022
旧旧道の横には旧旧旧道があって。 pic.twitter.com/DO4gp6Fq6T
「旧道の横には旧旧道があって。旧旧道の横には旧旧旧道があって」
そんなつぶやきに添えられているのは、4枚の写真。大小さまざま、新旧さまざまの4つのトンネルが映っている。
この光景に、ツイッター上では、こんな声が。
「いい感じの隧道だ!」
「おお隠れトンネル」
「トンネルマトリョーシカ状態ですね」
投稿者の「mimizuku@廃墟traveler」(@hopigon)さんは別ツイートで、この光景について、「元々ここは『日高耶馬渓』と呼ばれる交通の難所だった。先のツイートで3つ並ぶトンネルはそれぞれ昭和・大正・明治のもの」とつぶやいている。さらに......。
「先人たちも感じただろう、『この道は耶馬い』と」
耶馬渓(やばけい)とは、大分県中津市にある「日本三大奇勝」の1つとして知られる渓谷だが、「日高耶馬渓」とはいったいどこだろうか? まさか、あの昆布で有名な、北海道の「日高」のことだろうか。
Jタウンネット記者は、投稿者のmimizukuさんに詳しい話を聞いてみた。
旧旧旧道は倉庫になっている...?
投稿者・ mimizukuさんによると、この場所はまさに北海道・日高振興局管内にある様似(さまに)町の「日高耶馬渓」。21年10月、道東へ車中泊の旅に出た際、撮影した写真だという。
訪れる前から「旧道」と「旧旧道」の存在は把握していたが「旧旧旧道」は現地で初めて知ったそう。
「旧旧旧道は現在すぐ横の住民が倉庫として使ってるようでした。しゃがまないと通れないくらいの小さいトンネルです」(mimizukuさん)
この場所を訪れ、mimizukuさんは「海岸線の交通の歴史」を感じたと語る。
そして、感慨深げにこう述べた。
「はじめはトンネルもなく崖沿いを通っていたのでしょう。それから時代を経て技術が進歩するにつれ段々内陸側に大きく長いトンネルを作っていくのです。
大量の人員と建設費を要してようやく完成した道路を、私たちは使っているのだと実感できます。国や建設労働者の苦労をしのぶことが出来ます。
日高に限らず全国各地で断崖絶壁の地形が続く箇所で道路がかけられていますが、どこもこうした背景があるのでしょう」(mimizukuさん)
明治から大正、そして昭和・平成へ...
次に、Jタウンネット記者は、様似(さまに)町役場商工観光課に電話で話を聞いてみた。
「旧国道のトンネル(山中第二隧道)近くで車を降りると、第二隧道の隣にある古いトンネルに気付くと思います。これは大正時代に掘られたもので、『大正トンネル』と呼ばれています。
さらにその海側の小屋のかげには、明治時代に掘られたトンネルも残っています。地元の漁師さんが昆布漁に使う倉庫として使用されています。
昭和時代の第二隧道も含めて、ここには明治、大正、昭和と、3代のトンネルが仲良く並んでいます」(様似町役場商工観光課担当者)
少し離れた場所には、平成に作られた山中トンネルもあり、4代のトンネルを見比べることも一興だろう。なお大正トンネルは、天井が崩落する危険があるので、「トンネル内落石注意」という看板が出ている。
歴史を感じさせるトンネルたちが存在する様似町の「日高耶馬渓」は、アポイ岳の山裾が太平洋に落ち込み、約7キロの断崖絶壁が続く海食崖。
様似町は海岸の特殊な地形が天然の良港となり、古くから交易の拠点として栄えてきた歴史と文化があるという(様似町アポイ岳ジオパーク推進協議会のウェブサイトより)。
「様似町の主な産業は水産業で、昆布はもちろんですが、秋鮭漁も盛んです」
と、商工観光課担当者。
思わず行ってみたいと思ったJタウンネット記者が、様似町へのアクセスを聞くと、とかち帯広空港から車で、約110キロ・約1時間50分。新千歳空港からは、約150キロ・約2時間30分だという。
夏から秋、北海道に飛んで、4代のトンネルを見るのも悪くないかもしれない。