『M-1』を攻略するための3つの要素とは? 日本一お笑いの詳細を描いた『ワラグル』著者×お笑い評論家が語る!

2021年7月18日(日)16時0分 tocana


 『22年目の告白-私が殺人犯です-』『AI崩壊』などの作品で知られる作家の浜口倫太郎氏の最新作『ワラグル』(小学館)が7月14日に刊行された。


 この作品の舞台はお笑い業界。『KING OF MANZAI(KOM)』という漫才の大会に挑む若手芸人たちの苦闘を描いている。


 浜口氏はもともと大阪で放送作家として活動しており、数々の番組を手がけてきた。その経験を生かしたリアリティのある描写が楽しめる作品となっている。


『ワラグル』の刊行を記念して、浜口氏とお笑い評論家のラリー遠田の対談が行われた。ラリーは浜口氏とは以前から交流があり、普段からお笑い談義をしているという。


 第2回では、作品内にも登場する『M-1』の攻略法などについて語り合った。
(第1回はこちら)


ラリー:『ワラグル』の中では、『M-1グランプリ』のような漫才の大会で勝つための戦略論が語られる場面もあります。そういうのも結構細かいところまでリアルに書かれていますよね。たしかに、こういう話ってお笑い界隈でよく言われてるよな、みたいな。


浜口:少年が達人から空手を教わる『ベスト・キッド』っていう映画があるじゃないですか。この小説の中でやりたかったのは、あれで全く違う教え方したやつ同士が戦ったらどうなるんやろう、っていうことだったんです。それが漫才だったらできるなと思って。芸人によって方法論が全く違うから。


ラリー:そこで「漫才ではニンを出すのが大事」っていう話が出てきますけど、あれって最近になってお笑い界でよく使われるようになった言葉ですよね。


浜口:そうなんですよ。「ニン」の語源が、僕も調べたんですけどちょっとわからなくて。僕の印象では、ブラックマヨネーズが『M-1』で優勝したときぐらいから言われ出したと思うんですよ。ニンというのは「その人らしさ、個性」のような意味です。


ラリー:それが大事だということは、芸人だったらみんな理解はしてるじゃないですか。でも、実際はそれを見つけるのが難しかったりするんですよね。



浜口:そうなんですよ、むちゃくちゃ難しくて、なかなか見つかるもんじゃないんですけど、最近の若い芸人はすぐに見つけたりしているので、大したもんだなと思います。


ラリー:自分ではわからないことが多いんですよね。プライドもあるし、自分自身はなかなか客観的に見られないから気付きにくい。


浜口:やりたいことと自分に向いていることは違ったりしますからね。狩野英孝さんが「MCをやりたい」って言っていたりとか。でも、芸人も結構こだわりが強かったりするので、それをなかなか変えられない。客観的に見て「そっちの漫才じゃない方がいいのにな、ニンを消しちゃってるな」って思ったりすることもあります。


ラリー:漫才の大会で勝つためにはニンが大事っていうのがあって、その一方で「システムが大事」っていう話も出てくるじゃないですか。笑いが取れるシステム、型のようなものを新しく作ると『M-1』で勝てる、っていう定説もありますよね。


 その両方の理論があるんですよね。「ニンの理論」と「システムの理論」があって、『M-1』の決勝ではそれがせめぎ合う。でも、もう一個だけ絶対的な原則があって、それが「笑いの量」なんですよね。結局、ニンでもシステムでもいいんだけど、一番ウケたやつが勝つ、っていう。そういう最先端のお笑い理論みたいなものが、この作品の中にはそのまま出てくるじゃないですか。そういうところも面白いです。


浜口:そうですね、たぶんお笑い好きだったら何となく知ってる話なんですけど、あんまりちゃんと書いている本もないので、こういうものに乗せて書いたら楽しいんじゃないかな、みたいな感じで使いました。



ラリー:しかも、それをここまで専門的なところに落とし込んで書けるっていうのは、やっぱり浜口さんがその業界で仕事をしてきたからだと思います。



浜口:ありがとうございます。『M-1』というかお笑い賞レースっていうしっかりした枠組みがあるから書けたんだと思います。漫才を扱った小説でも、お笑いの話をここまで真正面からやっているのって意外とないんですよね。いざストレートを投げてみたら、あんまりない球だったのかなと。


ラリー:一番難しいからじゃないですか。お笑い業界の経験がない普通の作家は、このディテールをたぶん書けないんですよ。


浜口:それはそうかもしれないです。小説家の方がけっこう気楽にお笑いのことを書こうとするんですけど、知ってる人間からすると難しい分野だよ、っていうのがある。漫才というのも、文章にしたら基本的に面白くないんですよ。だから、この作品ではほとんど漫才の中身を書いてないんです。


ラリー:あえてそうしていたんですね。


浜口:漫才のことは漫才師の視点で書いていないんですよ。周りから見てどうなのかっていう話にしている。たけし(北野武)さんの映画でも、実際に殴っているシーンは切って、殴られた後の場面だけ見せて想像させるっていうのがあるじゃないですか。そういう感じを狙いました。


 僕は漫才作家をやっていたときによく怒られたのが、「これは『読んで面白い漫才』であって『やって面白い漫才』じゃない」って。実際にやって面白い漫才っていうのは、文章にしたときにはびっくりするぐらいつまらなかったりするんです。


ラリー:漫才でも2種類ありますよね。読んで面白い漫才もあると思うけど、その2人がしゃべるからこそ面白く感じるっていうものもある。


 あと、大喜利のような形式だったら、文字で読んで面白いものでもある程度は通用するんだけど、しゃべりだと流れていっちゃうから、漫才では多少ベタな方がウケるみたいなこともありますよね。


浜口:そこが難しいんですよ。だから、漫才台本を文章で見せて面白くしようと思ったら、余分なワンフレーズを足すとか、ちょっと形容詞を付けるとか、そういうことをしないと面白くならないと思います。


でも、それって僕からしたら漫才台本じゃないんですよ。漫才台本では省略が大事だと教わってきたので。


ラリー:よく言われますよね。ここの一言を削ったらもう1個ボケを増やせる、みたいな。


浜口:そうそう、テンポ良くやるためには短く切っていかないといけないんです。だからあえて書かなかったんですけど、編集者に全くないのもダメだって言われたので、ちょっとだけ自分が書いたやつを入れました。


ラリー:あの「利き手」のネタですよね。


浜口:そうそう、利き手の話です。


ラリー:あそこだけ妙にしっかりしたネタだな、と思ったんですよね。これはプロの仕事だなと。


浜口:あれはたしか僕が二十歳ぐらいのときに書いたやつなんです。あれだけ思い出として残しておこうと思って。


ラリー:今の話に関連するんですが、芸人のネタって言葉の一語一句、一文字単位で調整を入れているじゃないですか。この言い方よりこの言い方のほうが伝わるとか、これ削ったら1秒伸ばせる、とか。


そういうことを日常的にやっているから、芸人は言葉に敏感な人が多いですよね。芸人が書く小説で面白いものが多いのも、そういうことなんでしょうね。


浜口:『M-1』の決勝に行くようなネタって、F-1のレースに出る車ぐらい細部までスキなく仕上げているじゃないですか。それをちょっとわかってほしいなっていうのはありました。


ラリー:たとえば、プロの小説家の作品に出てくるたとえ話が面白い、っていうような話があるじゃないですか。それはそれですごいんですけど、バラエティ番組で展開されるような芸人たちのやり取りでは、ものすごい切れ味のフレーズが瞬間的にバンッて出てくるじゃないですか。ああいう技術って、小説家に置き換えたらとんでもない能力だと思うんですよね。


浜口:たしかに、あらゆるクリエイターの中で、瞬発力が異常に高いのは芸人だと思います。作家はある程度は考えて作るじゃないですか。でも、芸人はほんまに一瞬の攻防ですからね。


ラリー:お笑いライブで王様みたいにその場を仕切っているような芸人が、いざテレビに出ると、先輩方はもっと速い、とてもじゃないけど話に入っていけない、とか言ったりしますよね。だから、その速い中でも、テレビの第一線にいるような人の能力はさらにケタ違いなんでしょうね。


浜口倫太郎(はまぐち・りんたろう)
1979年奈良県生まれ。漫才作家、放送作家を経て、2010年『アゲイン』で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し小説家デビュー。著書に『シンマイ! 』『廃校先生』『22年目の告白—私が殺人犯ですー』『AI崩壊』『お父さんはユーチューバー』など多数。

tocana

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