【開催決定】『奈良・町家の芸術祭はならぁと 2023』

2023年8月3日(木)8時30分 ソトコト

奈良・町家の芸術祭 HANARART 実行委員会は、『奈良・町家の芸術祭 はならぁと2023』を奈良県下の4つのエリアで10月20日より開催します。
『奈良・町家の芸術祭 はならぁと』は、県内の歴史的な町並みや町家で現代芸術の展覧会を開催する地域型アートプロジェクトです。2011年からスタートし、今年で 13 年目を迎えます。
「はならぁと」は、以下の目標を掲げ、奈良県の豊かな文化や暮らしを過去から未来に繋いでいます。
町並みの保存や町家の利活用促進
現代芸術を通じた新たな地域の価値の創出
地元まちづくり団体主体の運営による地域力の向上
住民の町に対する誇りや愛着の醸成 など
これまで12年間の開催を通じて、会場となった空き町家のうち、計45件が店舗や住居として利活用されました。また、地域に新しいまちづくり団体が生まれたり、既存の団体に若手メンバーが加入したりするなど、様々な効果が生まれています。
13回目の今年は、奈良県下の4つのエリアで10月20日より開催。
本芸術祭のメインエリアである『はならぁと こあ』では、インディペンデントキュレーターとして活躍する長谷川新氏をキュレーターに迎え、宇陀松山エリアの芝居小屋や旧医院などを舞台に、グループ展 を開催します。地域性を再考察することで現代日本の課題を読み解き、未来に向けて、新しい価値を提案・発信します。
また、まちづくり団体が自らコーディネーターとなり展覧会を開催する『はならぁと さてらいと』を橿原・今井エリア、桜井戒重 ( かいじゅう)・本町エリアで開催。
新規エリアが小規模にイベントを開催し、まちづくりのステップアップを目指す『はならぁと あらうんど』に、吉野町三茶屋 ( みっちゃや)・殿川エリアが初参加。
芸術祭の開催に先駆け、プレイベント『はならぁとmeeting』を、8月1日から奈良県立美術館を中心に奈良市内各所で開催します。
それぞれの地域の魅力が織りなす、芸術の秋をお楽しみください。


「奈良・町家の芸術祭はならぁと2023」開催概要


公式HP:https://hanarart.jp/
主催:奈良・町家の芸術祭 HANARART 実行委員会
共催:奈良県


【はならぁと・こあ(メインエリア)宇陀松山エリア】


展覧会: 「SEASON 2」
日時:2023年10月20日(金)‒30日(月) 火-木曜日休み 10:00‒17:00 *関係者・プレス向け内覧会 10月19日13:00より
会場:森岡医院、喜楽座、松山会館、千軒舎、石景庵など
キュレーター:長谷川新
出展作家:朝海陽子、クローン文化財(ミレー《種をまく人》)、丸木スマ、山本悠、ユアサエボシ ... and more!
入場チケット:一般500円、高校生以下・障がい者手帳をお持ちの方及び同伴の方1名無料


【はならぁと・さてらいと 橿原・今井エリア】


「日本一の重伝建の町家群が新たな一歩を!」
日時:2023年10月20日(金)‒29日(日)会期中無休 10:00‒16:00 
出展作家:坂野真子、他
サステナブル講座講師:伊藤典明、井上智路、柴田道雄、城者定史、中村斗茂栄、山中淳史、若林稔
会場:阿伽陀屋若林亭、今井町景観支援センター、今井まちや館、旧北町生活広場、旧米谷家、中町筋生活広場、旧西町生活広場
主催:今井町町並み保存会


【はならぁと・さてらいと 桜井戒重・本町通エリア】


本展覧会は、戒重区から桜井駅を一直線に繋ぐ「竹内街道・横大路(旧伊勢街道)」に位置する、元寿司屋・旧医院・駅ロータリーを舞台に展開します。
アートを通して、ふだんあまり意識することのない「経験する」ことに目を向けることで、何げない日常や未来について新たな側面が見えてくるかも知れません。
日時:2023年10月20日(金)‒30日(月)11:00‒17:00 火-木曜日休み
主催:かいじゅう未来計画〜アート・ひと・まちin大和桜井〜、桜井市本町通・周辺街づくり協議会
戒重「経験の透明性」
会場:旧医院、元ひご寿し
出展作家:田中誠人、岡本奈香子、サンディープ・ビスワス、シヴァニ・アガルヴァル、桒原寿行、ウィル・ホール
助成:日本芸術文化振興基金、大阪コミュニティ財団
本町通「オマルトヴェンザー的浪漫紀行桜井編」
会場:JR桜井駅南口ロータリー・ディスプレイ
出展作家:オマルト・ヴェンザー、山下智子


【はならぁと・あらうんど(新規エリア) 吉野町三茶屋・殿川エリア】


三茶屋「土地の記憶-Memories of the land-」
日時:2023年10月21日(土)、22日(日)10:00‒17:00
出展作家:生駒敦、ユージン・ソレール
会場:jiwajiwaな、おうち
地域連携企画:第3回jiwajiwaな、文化祭
殿川「トノガワre-カイタク」
日時:2023年10月21日(土)、22日(日)10:00‒16:00
出展作家:PIKA☆、水内義人、百々武、ハブヒロシ、他
会場:トノカツオフィス、Mrs.triangle、間光-mavie-(10:00‒21:30OPEN)
主催:三茶屋・殿川はならぁと実行委員会


はならぁと こあ | 宇陀松山エリア 出展作家





1974年、東京生まれ。ロードアイランド・スクール・オブ・ デザイン卒業。「見る/見られる」 という行為の関係性や人や物の痕跡を物語のように浮かび上がせる 写真作品を制作。研究者の撮影を通して「自然」 という視座を得たことから、3.11 以降は人と自然の距離に着目し、「風」、「潮」、「川」 などの自然現象を対象に風景に潜在する時間を顕在化させるランド スケープシリーズを発表している。
各シリーズでは、被写体と撮影者、 撮影対象とその写真を見ている鑑賞者との間合いや距離感が常に意 識されており、作品のタイトルにも反映されている。
また、最近ではコロナ 5 類移行に伴い、日常が徐々に戻ってきている中で、 時間の経過や変化を喚起させる状況を調査し、「慣れ」と「 移動の身体性」について考えている。
主な展覧会に「touch」(無人島プロダクション、2021) 、「生成する風景」(小山市立車屋美術館、2016)、「第 6 回恵比寿映像祭:トゥルーカラーズ」(東京都写真美術館、 2014)、「六本木クロッシング 2013 展:アウト・オブ・ダウト−来たるべき風景のために」( 森美術館、2013)などがある。
*画像《バンビ、ベルリン》
2006, from the series sight
© Yoko Asakai,
Courtesy of MUJIN-TO Production





クローン文化財《種をまく人》は、 山梨県立美術館にて撮影された超高精細画像(約 1,350 億画素)をもとに、東京藝術大学 COI 拠点が、芸術家の持つ手技や審美眼に 3D デジタル技術などの最新技術を加えて、 絵画や額縁を凹凸まで精密に再現したものです。
オリジナルの作品は、 未来の鑑賞者へとバトンを繋いでいくことが必要なので、 日光や温湿度などの条件から展示場所が限られてしまいます。 クローン文化財は、 従来は制限されていた条件下での鑑賞が可能となるもので、 今後は、 地域の移動美術館や学校での展示などさまざまな活用が期待されて います。
*山梨県立美術館の解説文を引用します。
ジャン = フランソワ・ミレー 《種をまく人》 1850 年
パリを離れてバルビゾン村に移り住んだミレーがはじめて手がけた 大作。「種をまく人」という画題は、 パリにいた頃からミレーの興味をひいていた。 画面を占めているのは、左手で種の入った袋を握り、 坂を下りながら右手で種をまく農民の堂々とした姿である。 しかしミレーの絵は、当時の人たちが見慣れていた農民の姿とは、 あまりにも違っていた。そのため、 この作品がパリのサロンに出品されたとき、 農民の力強い姿を称賛する人もいたが、 保守的な人たちはこの絵を非難し、 種をまく人を体制に異議申し立てをしている姿とみなした。
*画像:クローン文化財
(ジャン=フランソワ・ミレー《種をまく人》1850 年)
提供 山梨県立美術館





1875 年、広島生まれ。60代の終わりまで仕事や農作業を続けてきたスマは、 三男の開業にともない家計が安定したことで、働き手としては「 引退」をします。そして翌年の1948年から、絵画制作に励むようになりました。したがって、 スマが本格的に絵を描き始めたのは 70歳を過ぎてからです。「わしゃの長生きして絵を描きます」と、 描くことが生きがいになっている旨の発言もしています。
絵画にはさまざまな動植物や人々の生活が生き生きと描かれていま すが、一方で、緑色の獣に見られる色の選択や構図など、「 良い絵にするのはどうしたらよいか」 という視点からの判断も見られます。頻繁に( 概ね肯定的ではあれ)「子供」「プリミティブ」「素人」「 非専門家」「外人」(!)の絵とみなされるスマの絵ですが、 そういった留保抜きに鑑賞しうるものです。
はじめは家族に褒められ、 そこから次第に夢中になっていった絵画制作ですが、 1950年に女流画家協会展や広島県展に出品するとスマの絵は瞬 く間に「発見」されていきました。これは、 息子夫婦である丸木位里・赤松俊子が《原爆の図》 を発表したのと同じ年にあたります。1952年には初個展を開催し約 130 点を発表しています。
1956年、位里・俊子が《原爆の図》 の世界巡回に出て不在の間に、 スマは知人男性に殺害され突然の死を迎えます。81歳の生涯でした。没後には、 遺族や研究者の調査によって被爆体験に関わる絵画を10点ほど制作していたことがわかるなど、スマにとって「 絵を描くこと」はどういった経験だったのかについては、 まだまだ考えるべきことがたくさんあります。そしてなにより、 彼女の絵は、原爆の図 丸木美術館を訪れた鑑賞者を今もなお魅了し続けています。
*画像:おんどりめんどり
提供:原爆の図 丸木美術館





1988 年、埼玉県与野市生まれ。イラストレーター。
コロナ禍のニューヨークで、コミュニティ・ ガーデンの仲間たちと活動していました。 家から鉄道の高架下を歩いて、10分くらいのところ。その場所で実った作物は、 誰でも持ち帰ることのできる菜園です。 採れすぎた野菜は路上の冷蔵庫に置きに行きます。 行列にならんで配給を受け取ることもできます。 ですから貧困だけでなく、 美味しい野菜がいつも私たちの隣人でした。
私は絵日記をつけていました。それを読んだセバスチャンが、 私にワカタイというペルーの薬草が植えてある場所を教えてくれま した。菜園のワカタイはひと夏で、 私の背丈ほどまで大きくなって、 木かげではクムラが昼寝をするようになりました。この猫には、 いくつもの名前がついていました。 黄色い毛並みにちなんだクムラという名前は、 私が初めて覚えたベンガル語で、かぼちゃという意味。
ある秋の日のこと。「 何者かが農園にペッパーを増やしすぎている。 それは隣のモスクのイスラム教徒かもしれない。」 クリスがこのようなことを訴えました。ま、ちょっと待って。 話を聞いてみればわかる。 私と彼女はつたない英語を話す者どうしでした。 だから時間をかけて話をする必要がありました。 だれもが真剣でしたが、笑えてしまうくらいゆっくりと、 日が沈んで暗くなって、帰り道が心配になって解散するまで、 話し合いました。
だんだんと日が短くなり、何もかも枯れ果ててしまいました。 来年のためにニンニクを植えてからひと月がたった初霜の日、 私たちはアシュワガンダの根を収穫しました。 イサベルが用意したウォッカのボトルに、 乾燥させたアシュワガンダを漬けて、チンキを仕込みました。 冬の間、みんなが寂しく過ごしているうちに、クリスマスが過ぎ、 旧正月が近づいてきたころ、それは完成しました。 ちいさな小瓶に分け合いました。帰国までに残されたひと月の間、 私はアパートを掃除しながら、 イサベルにささげる詩を書いて過ごしました。
これが 2023年の3月、大宇陀で、阿騎野薬草農園のみんなと出会うまでの話です。
*画像:ニンニクを植えた日
2022年10月
Queens New Roots Woodside, NYC





*ユアサエボシ(1983年生まれ)が擬態している「架空の三流画家・ユアサヱボシ」 の略歴を書きます。
ユアサヱボシ。1924年生まれ、1987年没。千葉県出身。本名は湯浅浩幸。1940年頃、 上京し看板屋の仕事に就くかたわら、前衛画家・ 福沢一郎のもとでコラージュ作品を制作するようになる。1943年には、先輩画家・山下菊二が描いていた《日本の敵米国の崩壊》 の制作助手を務める。
戦後は、進駐軍相手に似顔絵を描き生計を立てる。また、 紙芝居の着色を担当する 「ヌリヤ」の仕事も手がけていた。1956 -58年にかけてニューヨークに滞在。 レストランで皿洗いの仕事をしながら作品を制作する。帰国後は、 アメリカで購入してきた雑誌記事をもとに制作を行う。1964年にシェル美術賞で佳作入選を果たすが、 東京オリンピック後の不況のあおりで生活苦になりガードマンの仕 事を始める。
1979年の第5回从展出品を最後に、世間から距離を取るようになる。1985年、アトリエ兼自宅が全焼。1987年、 火傷の後遺症により逝去する。
ユアサは後年、自らの絵画を「舶来転地様式」と名付けている。 ここには、 シュルレアリスム、アメリカ文化、あるいはまた、 創作実践と社会運動の共振を信じた「ルポルタージュ絵画運動」 の影響などを経由した、ユアサ独自の方法論があり、 その自信と自嘲両方の感情が垣間見えている。
*画像:《夢》(Dream)
2021
227.3 ㎝ ×324 ㎝
acrylic on canvas
※全てのプログラム内容・展覧会名・会場・ 協賛の情報は2023年7月18日時点のもので、 予告なく変更になる可能性がございます。 また後日追加情報を発表いたします。

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