「どう見てもカニカマ」「カニカマの化石」 多摩川で見つかった「奇妙な石」の正体は...SNS上で浮上した「有力説」にしみじみ

2023年8月6日(日)8時0分 Jタウンネット

「ヘンテコな石(?)を発見 もとは何だったんだろう」

そんな疑問とともにX(旧ツイッター)上に投稿された写真が注目を集めた。

これが一体何か、読者の方は分かるだろうか?

映っているのは、赤色や白色が入り混じった石のようなもの。そこいらに落ちている灰色の石とは比べ物にならないほどの鮮やかさ。本当に石なのか?

これは2023年7月23日、多摩川を愛でる会の古畑さん(@TamagawaLovers)が投稿した写真。同日の朝6時頃、多摩川の河川敷を散策していた際に、それを発見したという。

「朱色と白色が混ざったマーブル模様のような見た目で、角がきれいにとれていて美しいと思いました。ただ、あまりに美しいので『これははたして石なのか?』という疑問も」 (古畑さん)

正体不明の石のような物体には3万1000件を超えるいいねのほか、

「どう見てもカニカマ」
「カニカマの化石かと思った」
「鱒寿司」
「ベーコンの化石ですね」

など、様々な声が多くのユーザーから寄せられている。

カニカマ派がかなり多かったが、全く別の有力説を唱える人物を発見した。

「ヘンテコな石」の正体は...

「豆ケリかと」

話題の投稿にそうリプライしたのは、shiroaiko(@shiroaiko12)さん。1998年からビー玉の収集を始め、その産業史を研究している「ビー玉研究家」だ。世界からビー玉愛好家が集まるフォーラムで、日本のビー玉情報を発信しているという。

shiroaikoさんは、「豆ケリ」という耳慣れない言葉と共に、こんな写真をリプライに添えていた。

白と朱色のマーブル。なんと、くだんの石(?)にそっくりではないか!

28日、DMでの取材に応じてくれたshiroaikoさんによると、ガラスでできた小物玩具。ビー玉についての資料を探す中で目に留まった存在だったという。

大正期の初め頃、「石けり」という遊びが子供たちの間でブームになっていた。作家・大岡昇平のエッセイや当時の子供たちの作文にも登場しているそうだ。「豆けり」はそれのミニサイズ版で「昭和豆ケリ」と書かれている資料があるため、昭和期に作られたものだろうとshiroaikoさんは推測している。

豆ケリ特有の「硝子種を鋏で切断した痕」

shiroaikoさんによると、かつて遊ばれていたガラス製の小物玩具が今の時代に見つかるのは珍しいことではないが、「豆けり」や「石けり」についての資料は多くない。それでも、昭和初期の東京に製造者がいたことはわかっており、東京で遊ばれていたことは確実だとする。疎開前に浅草で遊んだ石けりセットを持っていた人や、自分の豆けりコレクションを持っている60歳くらいの人も知っているそうだ。なお、生まれも育ちも仙台、今年50歳になるshiroaikoさんは遊んだことがないとのこと。

「豆けりと判断できたのは硝子種を鋏で切断した痕がハッキリあったからです。
豆けりも石けりも必ずこのカットラインがあります」(shiroaikoさん)

切断痕は、 shiroaikoさんがリプライに投稿した私物の豆けりにも見られる。

ところで、多摩川を愛でる会の古畑さんが投稿をしたのは23日7時35分。shiroaikoさんが「豆けり」の可能性を提示したのは同日9時25分。あまりに素早い"有識者"の登場に、「Twitter、情報の宝庫」「Twitterの集合知って凄いなぁやっぱり」「すぐ出てくるのすごいな」など感心するユーザーも続出。

拾い主である古畑さんはshiroaikoさんからのリプライについて「この『豆けり』も、昔、小さな誰かが蹴っていたのかな...と思うと、なんとも言えないしみじみとした気持ちになりました」と語った。

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