最高の信頼感、「変わらぬ」英国スーツスタイルを新鮮に着るために必要なもの

2023年9月5日(火)12時0分 JBpress

取材・文・撮影(表記以外)=中野香織


見た目の「新しさ」を前面に演出しない世界

 紳士服のスタンダードを定めてきたロンドン、サヴィル・ロウ一番地の「ギーヴズ&ホークス」の2023年秋冬コレクションには、相変わらず、バリエーションが極端に少ない。5年前と、それほど変わっていないようにも見える。スーツスタイルのアイコンでもあるチャールズ国王にいたっては、10年前にも見た気がする既製服につぎはぎまで当てて、同じものを着ている。

 ファッション界は久々に登場した大きなトレンド、「クワイエット・ラグジュアリー」で盛り上がっているが、それを言うならクラシックなイギリスのスーツ界はボー・ブランメルが君臨した19世紀初頭から「クワイエット・ラグジュアリー」を淡々と貫いている。

 メンズスーツの世界は、見た目の「新しさ」をことさら前面に演出しない。トレンドに左右されないインテグリティ(一貫性のある高潔さ、誠実さ)を重視するからだ。とはいえ、スーツを着る人の中身は、常に時代の変化に応じてアップデートされていてほしい。アップデートができている人が着る「変わらぬ」スーツスタイルが与える信頼感こそ、最強である。

 さて、ギーヴズ&ホークスの「変わらぬ新作」を見てそんな感慨を抱いたのは、東京・南青山にあるヴァルカナイズ・ロンドンで行われた2023年秋冬メンズファッションの展示会であった。

 出席者のなかに、チャールズ国王の皇太子時代に8年間、側近として働いた経験をもつ男性がいた。ターンブル&アッサーやハケット・ロンドン、そしてグルナディア・ガーズ(近衛兵)の制服といったトラディショナルなイギリス服を背景に彼が語る紳士論が、本物を知る人ならではの説得力があるのでここに紹介したい。

 スーツを着る私たちの心構えを新たにしてくれるだけでなく、2023年夏を席巻した「君たちはどう生きるか?」という問いの答えを考えるためのヒントまで得られるかもしれない。


インテグリティと「自分がどうありたいか」という問題

——イギリス紳士が、人に対しても事業に対しても、もっとも大切にするというインテグリティは、どのように身につけ、表現できるものなのでしょう?

「若い時に考え抜いたことが基盤になります。目の前のことに流され続けて修復不能になり、最後にちぐはぐになるよりは、首尾一貫した哲学をもっているほうがずっといいでしょう? イギリスのジェントルマンはいくつか譲れないピンを持ったうえであとは自由に振舞うというようなインテグリティを大切にしますね」

——その姿勢は、装いにおいても見られますか?

「そうですね、決まった型やルールが一応ありますが、その中で自由に遊びます。ピアノの鍵盤が無限にあったらこれほど豊饒に音楽は生まれてなかったはずです。88の鍵盤と白と黒。その決まりの中で自由に遊ぶからイノベーションが生まれるのです。決まったルールがあるから守れというのではなく、その人にインテグリティさえあれば、自由に外していいのです。おしゃれというのは自分を曲げてまで人からどう見られるかを気にすることではありません。自分がどうありたいかという問題です」

——日本の男性は細かいルールを徹底的に「正しく」遵守しようとする傾向があるように見受けられますが、裏返せば、それは「自分がどうありたいかという問題」に対する自信のなさの表れなのかもしれませんね。考え抜いた一貫したポリシーがあれば、逆に些細な部分は「外して」いても、かえって人として強く見えることがあります。ルール破りもごくごく自然にやってのけるということがよいのでしょうね。


ダンスパーティーでものおじせず、船が沈む瞬間にも頼りになる人間

「ええ、自然さはすべての場面で求められます。たとえば、王室の公式行事では秘書官がつき、一日を取り仕切るわけですが、その際に、分刻みの警察のセキュリティやゲストの行動が書かれた何十ページにもわたる資料が渡されます。ところが、当日になると、皇太子が着いた瞬間にあとは忘れろ、と言われます。自然さの方が大事なので、あとは主体的に判断して行動せよ、ということです」

——うわあ、日本だとマニュアルから少しでも外れると叱責されそうです(笑)。その場その場で主体的に判断して行動できるということも、インテグリティが大前提になっていますね。一瞬の判断は身体の細胞までしみ込んだ思想で左右されるように思います。

「一瞬の判断と言えば、イギリス発のスポーツ、ラグビーもそんな風にして生まれていますよ。ラグビーはイギリス紳士の養成機関であるパブリックスクールのひとつ、ラグビー校で生まれたことはご存じですよね?」

——はい、フットボール(サッカー)の試合中に、ウェブ・エリスがボールを持って走り出したのがラグビーの起源とされていますね。

「彼はルールを破ったのだと思われがちですが、そうではないのです。明文化されていないルールの狭間を突いたのです。『地面のボールを手で拾ってはいけない』とは書いてあるのですが、「誰かが蹴ったボールに手で触れてはいけない」とは書いてない。この隙間を突いたのです。英語で、Fine Disregard(美しく無視する)と言いますが、イノベーションってこのようにして起きるんです。そういうことが考えられる主体性があることが大事じゃないですか?」

——そんな主体性はどのようにして育てることができるのでしょう?

「たとえば私のイギリスの友人は、美術館にいくと、『どれが好き?』『どれをベッドルームに飾りたい?』と子供に徹底的に聞きます。そういう目線で絵を見始めると、自分の感情と矛盾しない善悪や美しさの定義が語れるようになります。それが服装はじめ、いろんなことの基軸になるのです」

——日本では服を買うときに「どれが売れていますか?」と聞く方が多いようですが(笑)。軍隊式の「右に倣え」教育の賜物でしょうか。

「自分の感情と、善悪や美しさのロジックがつながると、どんなシチュエーションでも素敵な、インテグリティのある人間になれます。ダンスパーティーでものおじせず、船が沈む瞬間にも頼りになる人間に」


 どのような瞬間にも主体的に判断して美しい行動に移せるインテグリティのある人間。こんな理想像を描きつつ、感情と行動の基準がまっすぐに結びつくように、日々、感情に意識的に向き合って「自分の選択」を積み重ねていくことで中身をアップデートしていきたい。イギリス紳士の人間観に基づくユニークな対話を通して、そんな風に思わされた。

 同時に、イギリス紳士服のステイタスがかくも不動である理由にも、あらためて思いが及ぶ。服が高品質だから威信も高い、というわけではない。品質は当然の前提である。服を着る人が、感覚と直結した主体的な価値判断をすることができるから服のステイタスも高くなるのである。

 そんな価値判断ができる人は、結局、多くの場面で、ルールメイキングの主導権を握ることになる。模倣すべきは表層のきまりごとではなく、ルールを作った人の心の姿勢ですね。

筆者:中野 香織

JBpress

「スーツ」をもっと詳しく

「スーツ」のニュース

「スーツ」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ