ご飯粒を残す人は仕事ができない? 9月9日「食べものを大切にする日」に思うこと

2022年9月8日(木)22時58分 キャリコネニュース

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9月9日は「食べものを大切にする日」だ。「食べもの大切運動」に取り組むベターホーム協会が呼びかけているもので、9月9日の理由は「食べものを捨てない(ナイン)、残さない(ナイン)」の語呂合わせと、重陽の節句(無病息災などを祈る)のタイミングということらしい。


最近では「フードロス削減」という言葉もよく見かける。最近の食料品の値上がりをみれば、食べものを大切にするのは、当たり前にやることである。でも、この問題を考えるとき長年決着をしていないことがある。それが、お茶碗にご飯粒を残すことの是非。そろそろ、この問題に決着をつけようと思わないか? (文:昼間たかし)


頑なに残すことをやめない人たち



お茶碗にご飯粒を残すことの是非は、常に議論のテーマだ。Twitterでの過去の盛り上がりを調べて見たところ、過去10年間で少なくとも年に一度は熱を帯びた議論となっている。2017年には、茶碗にご飯粒を残すことを「完食」とはいわないと否定したツイートに対して、フタに残ったアイスクリームやラーメンのスープなどを例に挙げて反論するツイートが現れ話題になった。


『読売新聞』が運営するサイト「発言小町」が2021年にTwitterで実施したアンケートでは、お茶碗にご飯粒を残すことが気になる、ならないの二択に対して90%の人が気になると回答している(『読売新聞』2021年8月18日付夕刊)。統計としては信頼性に欠けるかも知れないが、お茶碗にご飯粒を残すことには不快感を示す人のほうが多数派なのは確かなようだ。


個人的にも、お茶碗にご飯粒を残すことはありえないと思っている。ご飯粒を残すようなヤツは仕事でも必ずヤラかすというのが筆者の持論である。実際、これまで一緒に食事をしたときに「ご飯粒は残すべきではない」と意見して、それを受け入れた相手とは長らく付き合いがある。対して、それでも残し続けた相手はなにかしらやらかして消えていった。(※編注:たまたまだと思われる)


残す理由は?


筆者は、これまで米粒を残している人に出会う度に、その理由をメモしていたので、そこから拾ってみると……。


「茶碗に張り付いたのを取るのが見苦しい」


「なんとなく面倒くさい」


「そんなこと、注意されたことがない」


「うちは、商人の家系なので、そこまで米に思い入れがない」


「神などいない」


……いかがだろう。理屈は様々だが、注意したところで改める人はほぼ皆無(筆者の経験で一人だけ)だった。


ちなみに、この記事の担当編集者に聞いたところ、100%いつでも残さず食べきれているかどうかは覚えていないと言うので、「そんなことでどうする!」と説教しておいた。態度を改めるべきだ。まったくもう。

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