【90歳、老衰のため死去】“妻・大山のぶ代(90)の認知症”に悩む夫が「ラジオでの告白」に人生を救われたワケ「僕の決断は間違っていなかったんだ」
2024年10月11日(金)17時52分 文春オンライン
大山のぶ代さんが9月29日、老衰のため90歳で亡くなったことがわかった。生前は、おしどり夫婦として知られた、大山さんとパートナーの砂川啓介さん(2017年逝去)。2人はどんな人生を送ったのか?
大山さんの認知症に悩む砂川さんが、あるラジオ番組によって救われたときのエピソードを、著書『 娘になった妻、のぶ代へ 』(双葉社)より、一部抜粋して紹介します。
◆◆◆
ラジオでの告白
2015年5月13日の生放送当日、僕はやはり少々緊張していた。
きっと、「早く公表してホッとしたい」という気持ちと、「世間が、どう受け取るのだろうか?」という不安が入り混じっていたからだろう。
そんな僕の心境を察したのか、パーソナリティーを務める大沢悠里さんは、上手に話を引き出してくれた。おかげで、僕のカミさんへの思いや、認知症をなぜ公表したのか、その意図するところが、きちんとリスナーに伝わったのではないかと思う。
放送中もスタジオに続々と届くリスナーからのファクス。「すごい反響ですよ!」というプロデューサーの声に、僕自身も驚いていた。
正直なところ、これほどの反響があるとは想定していなかったのだ。
何より嬉しかったのは、同じように認知症患者の介護を経験したり、今も介護にあたっている人からのメッセージだ。
「砂川さんが公表してくれたことで、私も勇気が出ました」
「なかなか人に言えないことだけに、公表してくれて心強いです」
「涙が出ました……。介護倒れしないように、砂川さんも気をつけてくださいね」
僕と同じように、手探りの状態で“老老介護”を続けている人が、世の中にはたくさんいる——。
身をもってそう感じ、かえって僕のほうこそ、認知症の患者を抱える全国のご家族の方々から、たくさん勇気をもらったと思っている。
非難されることも覚悟はしていたが、その後も僕のところには、バッシングや批判的な意見は一つも届いていない。
番組には、マムシも駆けつけてくれた。
「なぁ、啓介。お前、今日しゃべって楽になっただろう? お前が元気でいることが一番大事なんだからな」
その言葉に、僕は大きく頷いていた。
放送後の反響は凄まじく、ありとあらゆる新聞社、雑誌社からの取材が殺到。対応しきれなくなったので、会見を開かざるを得ない事態になったほどだ。
大親友・黒柳徹子のファックス
もちろん、芸能界の知人たちからも続々と連絡をいただいている。
のび太役を演じていた小原乃梨子さんからは、手紙と、僕が大好きな焼酎「百年の孤独」を送っていただいた。手紙には、カミさんの体調を気遣うとともに、僕に対する温かな激励の言葉が綴られていた。実は、小原さん自身も身内の介護経験があるのだという。だから、カミさんの介護に取り組んでいる僕を、自分のことのように案じてくれたのだろう。
カミさんにとって50年来の大親友で、互いを「チャック」「ペコ」と呼び合う黒柳徹子さんからもメッセージをいただいた。
それまで黒柳さんとカミさんはよく、家にあるファクスで連絡を取り合っていたのだが、公表後、黒柳さんからは珍しく僕宛にファクスが送られてきたのだ。
「ペコはいつも、あなたの幸せだけを願っていました。
これからは、とにかく彼女を大切にしてあげて欲しい。
ペコに、どうかよろしく伝えて下さい」
黒柳さんが、そのようなことを書いたのも無理はない。
僕が還暦記念のライブを開いたときも、黒柳さんに台本を持って行って、「ゲスト出演してくれないか」と頼んだのはカミさんだった。
仲間同士でカラオケに行ったときだって、カミさんは絶対に歌わず、僕にリクエストしてばかりだったな。友人たちからは「君の一番のファンは、大山さんだよね」なんて、よく、からかわれていたっけ——。
僕をずっと見つめ続けてきてくれた、ペコ。
今度は、僕が、彼女を一番近くで見つめる番なんだ。
広がった世界
『徹子の部屋』の収録に呼んでいただいたのは、僕がラジオでペコの認知症を公表してから間もない頃——。
収録では、黒柳さんに宛てたカミさんのメッセージも流された。
「チャック、ペコです。
お久しぶりです。お元気ですか?
啓介さんにファクスが届いて。ありがとうございます。
また番組に啓介さんが出ることになって。よろしくお願いします。
私も頑張りますから。
またね。じゃ、ありがとう」
これは、僕も事前にまったく聞かされていなかったので、かなりビックリさせられた。どうやら、カミさんが小林に手伝ってもらい、こっそり黒柳さんに宛てて録音していたらしいのだ。
少しおぼつかない部分もあったが、メッセージを読み上げる声にはハリがあり、何よりも、ドラえもんの声そのものだった。
思わず黒柳さんが声を詰まらせる様子を目の当たりにして、僕の胸にも熱いものが込み上げていた。
2015年6月12日、『徹子の部屋』のオンエアを、僕は自宅2階のリビングにある大きな画面のテレビで、カミさんと一緒に見た。
「なんで、こんな大げさに……」
カミさんの感想は、この一言だけ。
どうやら、そこで初めて、自分が認知症であることが公表されたと認識したようなのだ。僕はラジオで告白する前に、彼女には少し説明をしたのだが、やっぱり覚えていなかったのだろう。
「ちっとも大げさじゃないんだよ。皆に分かってもらったほうがいいでしょ。ペコが元気になるためにも、本当のことを知ってもらって頑張らないとな」
「うん、あたし、頑張るわ」
番組の中で、徹子さんは画面を通じてカミさんにメッセージを送ってくれた。
「ペコ、徹子さんがペコに伝えたいことがあるみたいだよ」
僕が彼女にそう話しかけると、画面に、笑顔で話す徹子さんの姿が映し出される。
「大山さん、大山さん——。
黒柳徹子ですけど、覚えてる?
一緒に、ご飯食べに行きましょうね。
もう(私の)芝居は終わっちゃったけど、また観に来てくださいね」
「行く行く! あたし、行くよ〜」
テレビに向かって手を振りながら、子供のようにはしゃぐカミさん。その笑顔を見ながら、僕はしみじみと感じていた。
思い切って、カミさんが認知症であると公表して本当に良かった。
僕の決断は間違っていなかったんだ、と——。
僕とカミさんの世界は大きく広がった
カミさんの古い友人たちからも、次々に励ましの連絡をもらった。
「ねえ、砂川さん。のぶ代さんは、私のこと覚えてるかしら?」
「どうだろう……。でも、体調にもよるけれど、親しい人のことは覚えているときもあるんだよ。もしよかったら、時間のあるときに電話でもかけてやってくれないかな?」
その友人は、さっそく電話をくれた。内心ちょっと心配だったものの、カミさんはしっかり彼女のことを覚えていて、しばしの間、思い出話で盛り上がったようだった。
ペコ、ごめんな。
ペコだって、本当はもっと早く皆と会ったり、話したりしたかったんだよね。
僕が今まで隠し通していたせいで、君は友達と触れ合う機会を失っていたんだ。
僕と二人きりの狭い世界に閉じ込められていたんだね。
本当のことを明かした今、僕とカミさんの世界は大きく広がった——。
(砂川 啓介/Webオリジナル(外部転載))
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