中国歴代皇帝の非道な「特権濫用」4選! 酒池肉林、殺人遊戯…

2023年10月21日(土)7時0分 tocana

 中国史上の歴代皇帝は“生ける神”と崇められ強大な権力を誇っていた。その途方もない権力をほしいままにして飽くなき強欲を満たした皇帝たちの非道な特権濫用ぶりが語り伝えられている——。


ハーレム:司馬炎、玄宗

 中国の皇帝の多くは正妻のほかに、多くの側室(妾)をはべらせていた。その数100人以上の女性を側室として囲うのはごく一般的であったのだ。まさに“ハーレム”である。


 西晋の初代皇帝である司馬炎(236-290)は領内に1万人もの側室を抱えていたともいわれ、毎夜、羊が引くリアカーに乗って遊覧していた司馬炎は、羊が止まった場所に一番近い女性の部屋で一夜を過ごしていたという。


 一方で唐の第9代皇帝である玄宗(685-762)はその生涯の終わりまでに4万人以上の女性を自分の領土に抱えていた。


 飽くなき女性への執着は晩年まで続き、玄宗は60代の時に自分の息子の妻・楊貴妃に魅かれて離婚させ、彼女を側室の1人に加えたのだ。


 こうした側室はある種の“奴隷”ではあったが、城内での生活は側室にとってそれほど悪くはなかったといわれている。


 普段は刺繍や縫製などの女性らしい活動で時間を埋めたり、女性同士のコミュニティの中で下位の側室が上位の側室や皇后自身に仕えることも一般的であった。


 とはいえ彼女たちの主な義務は、ベッドで皇帝を喜ばせることであり、この任務に選ばれることは大きな名誉であり、もし皇帝の子供を産むことができれば、女性はあらゆる種類の賞賛と栄誉を受けることになったのだ。


酒池肉林:紂王

 贅の限りを尽くした放蕩に耽る皇帝も少なくない。


 殷の最後の皇帝である紂王(ちゅうおう、1105BC-1046BC)は“酒池肉林”で享楽の日々を送った皇帝として知られている。


 それは文字通りの“酒池肉林”であり、領内に酒で満たした池を持つ“楽園”を作り、そこに生える木々の枝には酒の肴になる串焼き肉を無数に掛けさせたのである。


 紂王はこの“楽園”に裸の若い男女を招き入れて飲めや歌えやの乱痴気騒ぎ毎晩行っていたのだ。


“酒池肉林”を地で行った紂王の頽廃ぶりで国は衰え、紀元前1046年、周の武王にいとも簡単に滅ぼされてしまうのだった。


殺人遊戯:後廃帝

 9歳で即位した南朝宋の第7代皇帝の後廃帝(こうはいてい、463-477)はサイコパスの暴君であった。


 自分の命令に従わないものはすぐに暴力をふるい、即位後も毎日のように凶器を持って街に出ては気分次第で虫けらのように人々を殺していたのだった。


 ニンニクばかりを食べている人間の腹はニンニク臭いのかを確かめるためにその人間の腹を割いたり、たまたま通りかかった妊婦の腹が気になり切り裂こうとしたりもした(未遂であったともいわれている)という。


 ある日彼は城内で裸で眠っている将軍を目撃し、その丸々とした腹に興味を抱いたのだった。


 その日以降、後廃帝はこの将軍の腹を標的に見立てて物を投げつけて的中させ、日々虐待していたという。


 しかし将軍がこの若い皇帝に復讐するまでに時間はかからなかった。477年7月、帝位から引きずり落とされた後廃帝は将軍らによって殺害されたのだ。


囲碁に負けて殺人:景帝

 前漢の第6代皇帝である景帝(188BC-141BC)は中国皇帝の中で名君とされる1人であり、父の文帝と同様に漢の基盤を固める善政を行い、その治世は「文景の治」と賞賛されているが、実はきわめて残忍な一面があったという。


 囲碁の愛好家でもあった景帝はある囲碁の対戦で負けた腹いせ(イカサマに腹を立てたという説もあるようだ)に、碁石を相手の頭に投げつけ、当たり所が悪かったのか死亡させてしまったというエピソードが残されている。


 おそらく景帝にとっても思わぬアクシデントであったように思えるが、もちろんこの時代の皇帝が罪に問われることはない。


 このように強大すぎる“皇帝特権”を享受し、それを普通のこととしていた皇帝たちだが、彼らの同類はこの今の時代にもどこかの組織で外部にはわからないよう影で君臨していたりもするのだろう。



参考:「Ancient Origins」ほか

tocana

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