宇野昌磨だけじゃない、フィギュアにおける採点、基準の統一の問題をどうする

2023年11月27日(月)20時30分 JBpress

文=松原孝臣 


4つの4回転ジャンプすべて回転不足

 11月24・25日にフィギュアスケートのNHK杯が行われた。

 男子シングルは鍵山優真、宇野昌磨の両名が他を圧する演技を披露。鍵山が優勝、宇野が2位の成績で終え、ともにグランプリファイナル進出を決めた。

 両者の好演技の一方で、大会を終えて大きく報じられたのは、ジャッジ、つまり採点の部分だった。

 宇野はフリーを終えたあとのミックスゾーンでの取材でこう話した。

「(試合を振り返って)プログラム全体が中国杯からやってきた練習をしっかりと出せた試合で、ほんとうに自分が考えてやってきた練習を体現できたよい試合だったと思います。点数とか採点とか、ほんとうに人それぞれだと思いますし、人がつけるものなので文句も言いたくないですし、僕の力及ばずなんだろうなと。僕の限界を感じた試合でした」

 宇野はフリーで4本の4回転ジャンプを跳んだ。冒頭に4回転ループ、2本目に4回転フリップ。後半に入っては4回転トウループ−トリプルトウループの連続ジャンプ、続く4回転トウループが2回転となったことから最終ジャンプの予定を変えて4回転トウループ−ダブルトウループ。4回転ループを鮮やかに成功させたのをはじめ、ジャンプの精度をとってみても「よい試合だった」と振り返るのが自然なパフォーマンスを見せた。

 ところがそれら4つの4回転ジャンプはすべて「q」マークがつけられた。qマークとは、4分の1回転不足しているとされたときのもので、つまり宇野の4回転ジャンプはいずれも回転不足と判断されたのである。結果、得点は伸び悩み、2位という結果へとつながることになった。

 宇野自身、ジャンプに手ごたえはあっただろう。だからこうも語った。

「けっこうきれいかな、と思ったんですけど。厳しかったなというのは感じますし、採点のルールとか人がつけるものなので人それぞれだし、回転不足をつけるのはどうなんだという気持ちでもないし、言えることは今日のジャンプ以上を練習でもできる気がしないということです」

 そのほかにも、ジャンプで回転不足をとられたことへの言及は続いた。優勝した鍵山の演技を心から称えつつ、そしてジャッジへの批判ではないことを表明しつつ慎重に、回転不足とされたことへの違和感を話した。


他の大会とは異なる際立った厳しさ

 それは宇野のみの実感ではない。この試合を含むこれまでの演技を見てきた元スケーターなども含め、今大会での「厳しい」判定を感じる向きが圧倒的であった。

 採点競技は、フィギュアスケートに限らず、人の目を介するため、しばしば採点のあり方が議論を呼ぶ。改善への試みもある。例えば体操の場合、富士通が選手の動きを測定する装置と約1400ある技を解析するデータベースから主に構成された自動採点システムを開発、今日ではオリンピックをはじめとする各大会で活用されている。

 体操では種目によっては技の「1度」の角度の違いで得点が変わるルールになっている。それを人の目で判断できるのかへの疑問からスタートした。当初、審判側からは反対の声が多かったというが、選手や指導者など現場サイドからは歓迎の声が多く、何よりも公平性を希求する姿勢により実現した経緯がある。

 そうした事例はあるにせよ、多くの場合は「人の目」にとどまる。NHK杯であらためて浮き彫りになったのは、人の目で判断すること、何よりも基準の統一感の問題であった。


フィギュアスケートであげられてきた課題

 NHK杯では、宇野に限らず女子をみても、回転不足に関して厳しいと感じさせる局面があった。大会を通じて厳しくみていたとも解釈できる。だが、グランプリシリーズは最終戦のNHK杯を含め6戦行われている。他の大会でも同じような基準であればここまで多くの人に波紋を投げかけなかっただろう。

 だが今回の際立った厳しさは他の大会とは異なる。それは基準にぶれがあること、大会ごとのジャッジのばらつきを示している。ジャッジはジャンプやスピンなどの要素の種類やレベルなどをみる技術審判、各要素のGOEの評価や演技構成点をみる演技審判などから成り立っているが大会を通じて同メンバーではない。各所からの「厳しい」という声は、他の大会と比べてのものであり、人が変われば基準が変わることを意味している。回転不足の問題に限らず、GOEにおいてもプラスとマイナスとで極端に振れるケースが過去にあったのも、それを示しているのかもしれない。

 これまではクリーンとされていたものが回転不足とされるなら、シーズンを通して競われるシリーズの大会で基準が安定しなければ、選手や指導者が目指すべき演技の拠って立つ土台が崩れることになる。ジャッジする側は、安定させるためにどこまで努めてきたのか……。それは選手の払う努力に見合うレベルであったのかどうか。

 これまでもフィギュアスケートであげられてきた課題が、あらためて突きつけられる大会となった。宇野の変わらないスケートに対する思いと率直さから発せられた思いは、だからこそ、真摯に受け止められるべきだ。

 また、競技である以上、順位なり得点がつけられ、熱心なフィギュアスケートファンを除けば、どうしてもそれが目に、耳に飛び込んでくる。内容へと目を向けるのはその次となりかねない。

 表現をより追求する姿勢を示して臨んだ今シーズン、NHK杯で宇野がショートプログラム、フリー双方で示したのは、静寂をも思わせる曲のもと、自身の演技によって氷上に、あるいは銀盤をも取り込んだかのような際立った世界であった。今シーズン掲げたテーマとどれだけ誠実に向き合ってきたかをも思わせる。そうした演技の内実が、ともするとクローズアップされない状況が生まれたとするなら、何よりも不幸なことだ。そういう意味でも、採点のありようは今後、より真剣に取り組まれるべきではないか。

 演技終了後の取材で、宇野はこう語ってもいる。

「ほんとうに僕は優しい人たちに恵まれたなと、今日の試合を終わった後に思いました」

 宇野が演技しているとき、自らも演技しているかのような熱を帯びて見守り、そして演じ終えた宇野を称えるコーチのステファン・ランビエールの姿があった。ランビエールに限らず、宇野をサポートする人々の注ぐ愛情と情熱は、NHK杯に限らずいつもさまざまな場面で伝わってくる。 

 見守る人々の喜びこそ宇野の喜びであること、周囲への思いがあって、発せられた一連の言葉でもあったように思えた。

筆者:松原 孝臣

JBpress

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