建築家・村野藤吾の世界観が大爆発した傑作《日生劇場》その最大の見せ場は?

2023年11月30日(木)12時0分 JBpress

文=三村 大介 画像提供=公益財団法人ニッセイ文化振興財団


エジソンの名言の本意

『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』

 これは誰もが知る発明家、トーマス・エジソンのあまりにも有名な言葉である。

 さて、この名言、みなさんはどのように解釈しているであろうか?

「発明の天才、エジソンだって、ひらめきはたった1%、その成功は圧倒的に努力によるものだ。努力が何より大切なのだ!」

 といったように理解している人が多いのではないだろうか。

 ところがである。実はエジソン本人は、次のような発言もしているのだ。

「私は、1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になると言ったのだ。にも関わらず、世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化している。そして、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」と・・・

 さらには、「ただ努力だけという人は、エネルギーを無駄にしているに過ぎない!」とまで言ったとか。

 さてさて、こうなると、先のエジソンの名言は、「どれだけ努力しても意味がない」「頑張っても報われない」と、我々が理解していた「努力は重要」という意味とは全く正反対になってしまう。果たしてエジソンの本意はいずこに・・・。

 実は「努力は無駄」と切り捨てたエジソンではあるが、実際、彼は非常に勤勉家だったようで、睡眠時間は4時間程度、1日16時間以上、発明に没頭していたようだ。

 また、「私は失敗したことがない。ただ、1万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ。」と、まるでドリカムの唄のように、失敗してもめげずに前を向くことが大切だというようなこともよく言っていたようである。

 これらのことから察するに、エジソンのかの名言の本意は、「努力だけでもダメ、ひらめきだけでもダメ、それらが両方あってこそ、天才と呼ばれるに相応しい」というのが、正しい解釈なのではなかろうか。つまりは、「天才の成分は、1%のひらめきと99%の努力」という感じ。おそらくエジソンは上っ面だけの自己啓発本のような「努力は報われる」とか「がんばれば夢は叶う」といった能天気で手放しの努力至上主義に釘を刺したかったのではなかろうかと私は考える。

 この「努力」というものについて、野球選手の大スター、イチローも興味深い発言をしている。

 ある時、「努力は報われますか?」と問われたイチローはこう応えたという。

 「報われるとは限らないですね。もっと言えば努力と感じている状態はまずいでしょうね。その先に行けばきっと人には努力に見える、でも本人とってはそうでないという状態が作れる。そうすれば勝手に報われることがあるんです」

 実はエジソンも「私は一日たりとも、いわゆる労働などしたことがない。何をやっても楽しくてたまらないからだ」とイチローと同じような主旨の発言をしている。

 こう考えてみると、『天才とは、1%のひらめきと99%の努力である』という金言は、努力を努力と思わず、楽しく無我夢中でやり続けた先にひらめきが舞い降りる、それをできるのが天才である、そう解釈するのがエジソンの真意に近いのではなかろうか。

 さて、今回紹介する建築家はある意味、エジソンやイチローにも通じる天才・村野藤吾。実は彼もエジソンのように、「1%と99%」に関してとても興味深い言葉を残している。果たしてどのような内容なのか。それを彼の代表作である傑作《日本生命日比谷ビル》の解説を通して紹介したいと思う。

《日本生命日比谷ビル》は、1963年[昭和38年]に竣工した鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階建、地下5階、延べ面積約43,000㎡のオフィスと劇場から成る複合ビルである。一般には、この劇場の名前である《日生劇場》として呼ばれることが多いので、私も以降、《日生劇場》として解説させていただく。

 さて、この《日生劇場》は、日本生命が創業70周年事業として、「人々の心に少しでも潤いと憩いを与え、ひいては将来の文化の発展に寄与することができれば」という当時の社長の思いから計画がスタートしている。その設計に抜擢されたのが当時70歳を超えていた村野藤吾。

 えっ70歳オーバー!? と驚くことなかれ。彼の代表作である《世界平和記念聖堂》(1954年[昭和27年]・63歳)や《千代田生命保険本社ビル(現目黒区総合庁舎)》(1966年[昭和41年]・75歳、《箱根プリンスホテル》(現ザ・プリンス箱根芦ノ湖)》(1978年[昭和53年]・87歳)などなど、その多くが60歳を超えてからなのだ。

 しかも、93歳で亡くなる直前まで現役で活躍していたことを考えると(事務所での打ち合わせ後、自宅の床で永眠したのだが、彼の上着のポケットには、翌日に出張で東京に向かう飛行機の切符が入っていたそうだ)、《日生劇場》の依頼を受けた時は彼がノリに乗っている時期だったということになる。


随所に発揮された「村野らしさ」

 村野藤吾の建築の特徴と言えば、その造形や装飾の独創性にあり、当時の主流であったモダニズム信奉者から反動的といった批判も受けるものの、それには動じることなく異彩を放つ存在であった。そして、この《日生劇場》においてもそんな「村野らしさ」が随所にいかんなく発揮されている。

 まずは石張りの外壁。この当時、近代主義建築が全盛期だったこともあり、建築の外壁といえば打放しコンクリートが常識となっていた中、この石積みの意匠はまさに時代と逆行するようなデザインである。

 桜御影とも呼ばれる薄紅色の万成石(まんなりいし・花崗岩の一種)が、馬目地(横方向は一直線に通し、縦方向は半分ずらした目地)で積まれ、重厚感を醸し出している一方、石表面はビシャン叩き(石の表面をたたき、細かい凹凸をつくって、自然の風合いを出す粗面仕上げ)となっているので、柔らかな肌のような暖かさも漂わせている。

 その壁面には、ブロンズ製の独創的な装飾の手摺の付いた古典建築風バルコニーが整然と配置され、風格が漂う。建物の角も面が取られ、同様な意匠を施すことで、街に対しての威圧感を軽減させ、親しみやすさを生み出しているのもニクい演出だ。

(にしても、この《日生劇場》が竣工してから5年間ほど、かの傑作、F.L.ライトによる《帝国ホテル》とこの建築に並んで建っていたかと思うと、阿吽の像もしくは風神雷神がごとく、畏怖の念すら感じてしまう。)

 次にエントランスの開放的なピロティーを見てみよう。そこは柔らかく波打つ軒と、丸みをおび、敢えて天井と縁を切った柱のデザインのおかげで石の重々しさはなく、訪れる人を優しく迎えてくれる。また、ポップなモザイク画が施された高価な大理石の床と、直線的な工業製品のアルミの天井とが相反することなく、村野藤吾らしい大胆で、ちょっとエスプリの効いたデザインとなっている。

 さらに、エントランスを抜けロビーに入ると、そこは白を基調とした気品高い大理石の床と、幾何学を巧みに組み合わせたアールデコ風のアルミ製の天井が相まって、近未来的な趣となり、外観のクラシカルな雰囲気とは別世界の空間となっている。

 こんなロビー空間において、一際目を引くのがなんと言っても真紅の絨毯が際立つ美しい階段である。

 村野藤吾はその意匠において、特に階段のデザインを得意としており、彼のどの作品にも美しい階段が存在するのだが、その中でもこの《日生劇場》の回り階段は最高傑作と挙げる人が多い。

 細い手すりと木製の側桁が描き出すその緩やかな曲線は、繊細さと柔和さを共存させた優雅さを漂わせ、段板の最初の1段目は敢えて、床と同じ大理石とし、しかも床から浮かせていることで、軽やかさも生み出している。

 また、南部鉄で作られた支柱はU字を組み合わせて楕円形にしたユニークな形状をしているのだが、目線の移動で細くなったり太くなったりと、見るシチュエーションによって印象が変わるのがとても面白い。

 この階段において村野自身が1番こだわったのは、実は上げ裏だったようで、あたかも1枚の布で作られたかのように、つなぎ目の無い美しい後ろ姿にするために、鉄板の溶接作業には非常に苦心したらしい。さすが、「階段の魔術師」と言われる村野藤吾のこだわりは、そんな普通は見過ごしがちな部分にも及んでいたとは脱帽である。


劇場最大の見せ場

 さて、そんなこだわりの建築家・村野藤吾の世界観が爆発していると言っても過言でない、この劇場の最大の見せ場は、なんといっても客席内部である。

 扉を開け、一歩内部に足を踏み入れるとその目の前に広がるのは、うねるように波打つ有機的な曲面で構成された壁や天井。ここは地底の洞窟か?はたまた巨大鯨の胃袋の中か??そのなんとも妖艶で魅惑的な空間に誰もが息を呑むであろう。

 さらに、天井に目を凝らすとそこには2万枚もアコヤ貝の貝殻が散りばめられており、また、壁面には、彩鮮やかな特製のガラスモザイクが張られ、より一層幻想的で神秘性を帯びた雰囲気を創り出している。このような唯一無二の圧巻の空間を生み出した村野藤吾という建築家の独創性にはただただ感服する。

 これら以外にも、この《日生劇場》には、受付カウンターから扉の取手、照明から椅子やテーブルに至るまで、これでもか!というほど、村野藤吾のこだわりを満喫することができるのだが、これだけ自由に思う存分デザインをさせてもらえる村野藤吾という建築家に尊敬と羨望を感じると同時に、それを依頼した(許容した?)クライアントにも敬意を表したくなる。


「村野の1%」

 さて、ここで「1%」の話。

『日経アーキテクチュア』の元編集長で画文家、編集者である宮沢洋氏によると、村野藤吾は『日経アーキテクチュア』のインタビューで、自身の創作とクライアントの関係について、次のような興味深い発言をしているそうだ。

「いよいよ最後になって1%が残るわけだ。これが村野藤吾なんです。村野藤吾に頼んだ以上は、そこまで取るわけにはいかないでしょう」

「村野藤吾がやらない以上はできないというところが出て、その1%が時として全体を支配する影響力を持つこともあるんです。その意味の村野藤吾の作品であるわけです」

 与条件を離れて建築家に与えられる余地はいつも1%しかない、村野藤吾はその1%を「聖域」と語ったという。これがまさしく『村野の1%』という逸話である。

 さて、みなさんはこの話を「こんな私でも、自由に自分を表現できるのは1%程度なんですよ」という村野の謙虚さと取るか、それとも「私だったら、自由に自分を表現するには1%で十分だ」という自信と取るか、どちらと考えるだろうか?

 いやいや、それよりも、「えっ?たった1%?《日生劇場》なんて『ほとんど村野』なんじゃないの?」と疑問を持つ方もいるのではないだろうか? 何を隠そう、私もその一人だ。こんなに村野ワールドを堪能できる《日生劇場》でも本当に1%なのか否か……ここで改めて、《日生劇場》の意匠を、村野藤吾の設計コンセプトからもう一度、読み解いてみたいと思う。

 まずは外壁の石張りについて。

 これは村野藤吾が、《日生劇場》が今後、百年の使用に耐えつつ、品位と風格を備えた記念的な建物とするため、どのような材料が適当であるかを入念に検討した結果、万成石を採用したと述べている。

 また、外観の表現については、石を使用しているゆえ、少し様式的になってしまうところがあることを認めた上で、ディテールはもちろん、壁面のビシャン仕上げや、全体のヴォリューム感などは、「ただ人間の感触を対象に考えているだけ」と言っている。

 先にも説明したが、当時はコンクリート打放しといった実用性重視の建築が隆盛を極めており、この石張りの豪華な建築に対し、世間のみならず若い建築家などからも批判の声が上がったようだが、彼には「百年の寿命」と「記念的建築」のためという確固たる主張があったので、それらにはいささかも動じることがなかったようだ。

 また、客席の表現についても、村野自身は音の拡散を生むために、客席の天井も壁も曲面の多いものが望ましいと判断し、それをそのまま建築的な表現にしたと言う。彼は自身で精力的に土を捏ねて形を調整し、音響についても、1/50や1/10といった巨大な模型を使って、幾度も実験が繰り返されチェックされたようだ。

 こうしてみると、村野藤吾が言う「1%」は、決して、偽善的かつ自己満足的な観念や想像から生まれ出てくるものではなく、あくまでもクライアントの要望やあらゆる与条件の先に生まれ出るものであると言えるかもしれない。

 現に彼は、「1%以外の99%はクライアントと話し合いすべき内容、自分に任せたから自由にできるなんて大それたことだ」とも言っているのだ。すなわち『村野作品は1%の自分と99%の自分以外で成立している』ということだ。それでも「ホントに1%?」と思うかもしれないが、おそらく彼の中では我々から見て『ほとんど村野』であるものは、彼から溢れ出てくる想像力にとっては1%程度だったということなのではないだろうか。

 さて、最後に、村野藤吾の《日生劇場》における逸話を1つ紹介したい。

 どのような趣旨で開催されたか定かではないが、ここ《日生劇場》でパーティーが開かれた時の話である。ある新進気鋭のモダニストの建築家が会場に居た村野藤吾を捕まえて、ロビーの大階段の前で、「村野先生、この階段の手すり、長さが足りないのではないですか?これでは、機能上、安全上問題ありです。設計ミスではないですか?」と詰め寄ったそうだ。

 確かにそう言われると、手すりが1段分足りず、これに手を添え上り下りするには、少々心許ない気もするが・・・村野藤吾危機一髪!と言ったところだが、この詰問に彼はこう応えた。

「いやいや、君。これはこの大階段を下りてくる淑女の手を、恥ずかしがり屋の多い日本人紳士が、てらいなく優しく手を差し伸べエスコートできるようにデザインしたのですよ」

 いやはやなんとスマートでウィットのある回答だろうか!これには、さすがの若手建築家もぐうの音もでなかったとか。村野先生、カッコよすぎ。

 ここまで見てきたように数々の名言、逸話を残した天才・村野藤吾だが、今の私にもっとも響くこんな言葉も残してくれている。

「建築家は50歳から」

「建築家が独立するのは50歳ぐらいになってからでいい」

 人生100年時代。私もまだまだこれからだと信じて精進します、村野先生。

筆者:三村 大介

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