ストレスゼロの大傑作『ゴジラ-1.0』時代劇だからこそ描ける現代の問題点
2023年12月7日(木)6時0分 JBpress
(歴史家:乃至政彦)
『ゴジラ-1.0』のくさいセリフ
いつも戦国時代をメインとする歴史ものばかり記事を掲載して頂いているが、今回は『ゴジラ-1.0』から、「過去との対話」という歴史的テーマについて書かせてもらいたい。
上映から一ヶ月ほど、ネタバレを避けるため遠慮していたが、
今回テーマとしたいのは、佐々木蔵之介演じる秋津淸治船長の印象深いセリフ「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
本作は昭和22年(1947)の戦後を舞台とした作品である。
もう70年以上も前のことを映像化するのだから、
昭和を舞台とする作品に定評のある山崎貴監督の作品であるから、
事実の「歴史そのまま」にするのではなく、適度に「昭和ぽさ」
よって、オーバーで“クサい”演出が目立つことになる。このため本作を一種の「時代劇」と感じた人もあるようだ。
私もいくらかはそう思うのだが、特に秋津のセリフは、戦後昭和という特殊な時代らしさが強いと感じた。
現代を舞台とする作品ではちょっと出てこない言葉なのである。
ここにこの映画を現実の我々と無関係なファンタジー作品と見るか
ストレスゼロの大傑作
最初に言っておくと、『ゴジラ-1.0』は本当に素晴らしい。
今の技術で可能な限り、普通の人生では我々が見られないはずの驚くべき光景を見せてくれている──という感動と同時に、映像技術の限界を感じさせられてきた。初代ゴジラも観客たちは、着ぐるみのゴジラが登場するたび、笑いが出ていたという。
昭和なら、怪獣の尻尾や航空機を操演するためのピアノ線が見えてしまったり、平成でも海外のコンピュータグラフィックスと比較にならない作り物感がはっきりしていて、「ここは理性を押さえ込んで/理性を使って、納得することにしなければならない」と自分の情感をコントロールする必要があったのだ。
それが、本作にはない。ストレス・ゼロだ。
ここに『ゴジラ』(1954)、『シン・ゴジラ』(2016)と並ぶ万人向けゴジラ映画がもう一作できた。長年のゴジラファンとして喜ばしい限りだ。
さて、今回の記事はゴジラを持ち上げるためのものではない。
歴史と解釈の話をしたい。
本作『ゴジラ-1.0』はちょっとした時代劇臭がある。もはや歴史と化してしまった昭和前期の雰囲気を、当時の映像や発声を意識しながら、近年蓄積されてきた映像的な「昭和らしさ」を念入りに作り込んでいる。
前世紀に大量に作られた江戸時代ものの映像作品もそうで、
山崎貴監督の作品は、戦前戦中戦後の昭和前期を舞台とする作品が特に高い評価を集めている。観客をこのフィールドに見事引き寄せて、フィクション昭和を心地よく見せてくれている。
誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!
さて、秋津淸治船長の「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」についてである。
これは、実にいい言葉だ。
とてもかっこいいセリフで、日本人なら、なんとなく共感してしまうところがある。
お互いがお互いを思いやり、明るい社会のため、ある程度の自己犠牲を許容する。ここには、
こういうセリフを現実に言うことは、まずないだろう。
例えば、あなたの上司が受注した商品の生産をスケジュールギリギリで進めていたと考えてもらいたい。
みんな時間外労働協定のもと、
だがここでメイン技術者の芹沢スタッフが倒れた。過労だった。
このままでは納期に間に合わない! そしてもはや法的に許される時間外労働が残されたスタッフもいな
そこで上司はいう──。
「このまま納期を守れなければ、全ての努力が無駄になる。だから明日から3日間、俺はタイムカードを切らずに仕事をやる。俺一人で終わらせるわけじゃないがな。でも誰かが……誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!!」
そう言って、あなたたちの顔を見たらどうするだろうか。
たとえ上司が佐々木蔵之介の顔をしていたとしても、ちょっと反応に詰まるだろう。
昭和の思考と行動
秋津淸治よろしく「誰かが貧乏くじ引かなきゃなんねぇんだよ!」というセリフが、美しく響くには条件がある。
それは、相手と自分が、ともに個人の都合より何らかの大いなるものを優先する価値観を共有していなければならないことだ。
その大いなるものとして考えられるものは、国家、信仰、思想だが、秋津艇長の思いはそこにない。官なるものが消失して、それよりも個別の「家族」という小さな共同体への思い、それが繋がりあっているのだろう。
本作の秋津艇長は、個人主義者ではない。
今は薄くなった"押し付けがましさ"が色濃く残る「昭和の男」
本作後半に登場する堀田辰雄艦長は、もと軍人でありながら、重要な場面で、「皆さん、良く聞いてほしい。これは命令ではありません。個々の事情がある方は帰ってもらって構わない。それを止める権利は我々にはない」と言っていて、秋津艇長と少し違った現代的な価値観に基づく言葉を発している。
どちらも相反するような考え方であるが、監督は両方の主張を肯定的に描き、感動的に見えるように仕立てている。
ここに本作の人間ドラマの真髄を感じる。
突き詰めれば、みんな思いは違っていて、矛盾する思いを抱えているが、考え方の違いから対立することなく、最善を尽くしている。
現実の問題と向き合える時代劇
先の堀田艦長に「俺達だけがなぜ貧乏くじをひかねばならんのですか?」と言い放った者もいたが、最終的には、その「貧乏くじ」を進んで受け入れる民間人の戦力が結集して、最後の大作戦に挑む展開となっていく。
こちらをチラチラ見ながら「
なぜだろうか?
ここを考えていくと、
我々は、"強者が「やりがい」
だが、「逃げろや逃げろ」にも限界がある。全員が「逃走」ばかり望んでいては、共同体そのものが滅びてしまう。我々は個人同士を尊重する必要があるが、同時に共同体を失っては生きてはいけない。
初代ゴジラが上映された同年に公開された名作映画にも、「他人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」というセリフがあり、人々の共感を集めた。
秋津艇長のセリフは、現代劇で美しく見せることは難しいが、昭和を舞台とする作品では、人の心を強く惹きつけるところがある。
フィクションのスーパーヒーローが、その文化圏のロールモデルとなることもあるように、我々はフィクションの中に人間の理想を感じ取って、今の問題と向き合う勇気と緊張を背負うことができるのではなかろうか。
秋津艇長と堀田艦長ふたりの言葉を同時に受け入れることで、『
【乃至政彦】ないしまさひこ。歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(ともにJBpress)、『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。現在、戦国時代から世界史まで、著者独自の視点で歴史を読み解くコンテンツ企画『歴史ノ部屋』配信中。
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筆者:乃至 政彦