「危篤になるのを、私たちが面会できる日まで待っていてくれた」入院中の91歳母と、コロナ禍で2ヵ月半ぶりの面会。父の声に母の心電図が反応して
2024年12月9日(月)12時30分 婦人公論.jp
(写真:stock.adobe.com)
映像ディレクター・映画監督の信友直子さんによる、認知症の母・文子さんと老老介護をする父・良則さんの姿を描いたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は大ヒット作品に。そして母・文子さんとのお別れを描いた続編『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』の公開から2年半、104歳になった良則さんは、広島・呉でひとり暮らしを続けています。笑いと涙に満ちた信友家の物語から、人生を振り返るきっかけを得る人も多いはず。そこで、直子さんがその様子を綴った『あの世でも仲良う暮らそうや』から、一部抜粋してご紹介します。
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母の意志
母の具合が一気に悪くなったのは、2020年の春でした。そして6月14日、91歳で永眠しました。コロナ禍が影響したのではないか……。私はそう思っています。
胃瘻を造ってまだ1年でした。胃瘻にすれば3年も4年も生きる人が多い中、なぜ1年で旅立ったのか。二通りの考え方ができるように思います。
ひとつは、母は自分の意志で、この時期を旅立ちに選んだのではないかという考え方。
2020年2月末に新型コロナウイルスが一気に蔓延(まんえん)し、それまで上映会や講演会で全国を飛び回っていた私も、すべての予定がキャンセルになりスケジュールは白紙に。ならば県またぎの移動が制限されないうちにと、実家のある広島県呉市に急ぎ帰ったのが、3月初めのことです。
すぐ病院に行き、母に現状を伝えました。
「あのね、お母さん。世界中で変な疫病(えきびょう)が流行ってきたんよ。じゃけん私、いったん東京を引き上げて呉に帰ってきたわ。これからはずっと呉におるけん、安心してね」
面会禁止で会うことができなかった
母はそれを聞いて、思ったのではないでしょうか。
「お父さんを一人置いて行くのがずっと心残りじゃったけど、直子が呉におってくれるんなら、私がおらんようになっても、お父さんは寂しゅうないね。それに今なら、直子の仕事にも迷惑をかけずに済みそうじゃ。今が私の旅立つタイミングじゃろう」
家族思いの母ですから、こんなふうに考えても不思議はないと思うんです。
でも実際は、もうひとつの考え方の方が現実的だとわかっています。それは……。
母が脳梗塞で入院してから1年半、父は一日も欠かさず、母の元に通って励ましてきました。しかし、2020年3月15日から、コロナ対策のため病院が面会禁止に。母は突然、父に会えなくなったのです。
2か月半ぶりに夫婦再会
前日の14日には、父と私で最後の面会に行き、「明日からはしばらく会えんのよ」と念押ししましたが、母は認知症のせいで覚えていられなかったはず。
『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(信友直子/文藝春秋)
きっと「何でお父さんは来んようになったんじゃろうか」と毎日考えたと思うんです。「具合が悪うなったんじゃろうか? それとも私のことを忘れてしもうたんじゃろうか?」と。
面会禁止は2か月半に及びましたから、その間母は、ずっと父のことを案じていたはずです。そして遂には諦めたんじゃないでしょうか。
「こうに長い間来んのなら、お父さんはもう、おらんようになったんじゃろう」と。そして自分自身も生きる気力をなくしたのではないかと思うのです。
母が危篤状態に陥ったのは、6月1日のことでした。
この日はちょうど、5月末の緊急事態解除宣言を受けて、病院での面会が再開された日でした。私たちは午後2時から15分間、2か月半ぶりに母と面会できることになっていました。
久しぶりに母に会うからと、父は朝からお風呂に入ったり、髪を何度も梳(と)かしたりとそわそわ。ほほえましく見ていると、11時頃、病院から電話がかかってきたのです。
「お母さんの呼吸が弱くなっとられます。面会時間まで待たんでもいいので、今すぐ来てください」
さらなる奇跡が
言葉を変えれば、母は危篤になるのを、私たちが面会できる日まで待っていてくれたのです。これが前日だったら、面会できないまま永遠にお別れだったかも……と思うと、母の執念とも思える頑張りに圧倒されました。
そして、慌てて駆けつけた病院では、さらなる奇跡が……。
父が2か月半ぶりに、
「おっ母、わしじゃ。わかるか?」と
声をかけると、それまで弱々しかった母の心電図の波形が、再び大きく力強く、波打ち始めたのです。
「ありゃあ、お父さんが来たら、お母さん急に元気になっちゃったが!」看護師さんも思わず歓声を上げたほどの、奇跡の復活でした。
<後編>につづく
※本稿は、『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
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