「ルート変更」「地盤のかさ上げ」「BRT化」 被災した鉄道はどう変わったのか? #あれから私は

2021年3月10日(水)5時0分 ウェザーニュース

2021/03/10 05:40 ウェザーニュース

2011年3月11日に発生した東日本大震災では、太平洋沿岸部を走る鉄道路線の多くが、壊滅的ともいえる被害に遭いました。10年を経て基本的にすべての路線の“復旧”はなされたものの、鉄道としての運行再開のほか、新線への付け替え、さらには鉄道を廃止してBRT(バス高速システム)への転換など、その形態はさまざまでした。
震災直後から現場に入り、復旧までの道のりを見つめ続けてきたノンフィクション作家で『被災鉄道 復興への道』(講談社刊)などの著作がある芦原伸さんに、被災した鉄道はいまどうなっているのか、将来への展望も見据えながらお話を聞きました。

▼三陸鉄道:JR山田線の移管を受けて、163kmのリアス線として復興

2020年5月18日に開業した新田老駅(写真/三陸鉄道)

三陸鉄道(本社・岩手県宮古市)は国鉄からの移管区間と新設区間を合わせた第三セクター路線として、1984年から北リアス線(宮古〜久慈間)と南リアス線(盛〜釜石間)の2路線を運行してきました。東日本大震災からの全線復旧は3年後の2014年4月。一方、北リアス線と南リアス線に挟まれたJR山田線(釜石〜宮古間)も長期にわたり不通となっていましたが、2019年3月に三陸鉄道へ移管され、運行を再開。
三陸鉄道は、盛〜久慈間を1本につなぐ163kmのリアス線として復興を果たしたのです。
旧山田線について、JR東日本は当初鉄道としての復旧をあきらめ、BRT化を計画していたようです。地元自治体への廃止・転換要請は、2度にわたって行われました。
「それは三陸地方の人たちにとって、とうてい受け入れられないものでした。明治三陸(1896年)、昭和三陸(1933年)、チリ地震(1960年)と、東日本大震災を含めれば4度に及ぶ巨大津波を体験した地元の人々にとって、“三陸縦貫鉄道”は80年来の悲願であり、鉄道は、たびたび襲われた大震災からの復興の象徴ともいえる存在だったからです」(芦原さん)
釜石〜宮古間の開業は1939年と古く、そこから南北に向けて徐々に路線が延びていきました。三陸地方をつなぐ鉄道の母体として長く親しまれた山田線の廃止は、せっかく実現した縦貫鉄道がほぼ真ん中で分断されてしまうことになります。それは、「沿線住民にとって到底耐えられないこと」だったといいます。
「釜石〜宮古間の復旧には、210億円もの費用がかかると見積もられました。しかしJR東日本は地元の思いを受けてうち140億円、残り70億円を岩手県などの地元自治体が負担することで2014年、鉄道による復旧が決断されたのです」(芦原さん)
最終的には、被災区域以外の線路を強固なものに取り換えるなどの追加整備を行ったうえで、釜石〜宮古間をJRから三陸鉄道に移管することに決まり、復旧工事は2015年に着工されました。4年の工期を経て2019年に完成し、盛〜久慈間の縦貫鉄道は旧来以上のスペック(仕様)をもった線路・設備でよみがえったのです。
「三陸鉄道と旧山田線の復旧は、被災からの再生・復興としてはベストに近い形だったと思います。ただし、釜石〜宮古間はJR時代から赤字でした。その後『令和元年台風19号』(2019年10月)による被害や新型コロナウイルス感染症の影響もあって、新たな赤字区間を抱えた三陸鉄道の経営は決して楽ではない状況です。
国・自治体の支援に加え、地元住民が開業時と同様かそれ以上の熱意をもって“さんてつ”を支えてくれるかどうか。“三位一体(さんみいったい)”が、今後の安定的な存続に向けたカギとなるでしょう。期待を抱きながら見守っていきたいと思っています」(芦原さん)

▼JR気仙沼線・大船渡線:鉄路復旧の代わりに一部区間で「BRT」を導入

バス専用道を走る気仙沼線のBRT(写真/時事)

一方で、三陸縦断鉄道の最南端部にあたるJR気仙沼(けせんぬま)線の柳津(やないづ)〜気仙沼間と、JR大船渡(おおふなと)線の気仙沼〜盛間は、鉄道による復旧の代わりに、2013年にBRT(バス高速輸送システム)が導入されました。一部区間は高速性と定時性を高めるため、廃線跡の軌道敷をバス専用道に転用しています。
「当初、BRT化は『当面の仮復旧のため』とされていました。しかし、気仙沼線だけで直接の復旧費用300億円に加えて、沿線自治体の負担が必要な線路の付け替えなどに400億円の計700億円。大船渡線も計400億円、合わせて1100億円かかるとの見通しが示されました。
結局、赤字ローカル線2路線の維持に巨額の費用をかけることは無理、との判断が下されたのです」(芦原さん)
JR東日本は両線の鉄道事業を2020年4月1日付けで廃止しました。BRTは旧駅同士をつなぐ専用道のほか、一般道に入ってある程度の利用が見込める病院や官公庁などを迂回するルートを設定しています。
「気仙沼線と大船渡線のBRTに乗り合わせた地元住民によると、幸い満員による積み残しを経験したことはなかったそうです。本数が増えたことによる利便性の高まりも評価されていました。ただ、一般道を走る区間での朝夕ラッシュ時の渋滞によるBRTの遅れは、避けられないものでした」(芦原さん)
BRTの課題はやはり、「鉄道並みの安心感をいかに確保していくか」です。そのため、並行して一般道のみを走る路線バスの専用道乗り入れや一般道のバス専用レーン化なども視野に入れた、総合的な交通体系の確立が望まれます。

▼JR石巻線・常磐線:鉄道駅を新たな街の中心とする都市計画

約200m内陸側に移設して2015年3月21日に開業した女川駅の新駅舎

比較的都市部に近い区間である、JR石巻(いしのまき)線の石巻〜女川(おながわ)間、JR常磐線の原ノ町〜岩沼間では、都市機能そのものの復興を目指した再開発・整備計画に基づく「街ぐるみ内陸部への高台移転」や「地盤のかさ上げ」などに併せ、駅の移転や線路の付け替え、高架化なども盛んに行われました。
とくに常磐線の駒ケ嶺(こまがみね)〜浜吉田間の内陸部への移設は、線路が14.1km、途中の新地(しんち)・山下・坂元の3駅など、福島県新地町から宮城県山元・亘理(わたり)両町までの2県3町にまたがる大規模なものでした。
「鉄道駅を新たな街の中心とする都市計画が、多くのエリアで行われました。女川駅、その周辺は新しい街づくりに成功しています。ただし、新たに街の土台はできたものの、いまだ家屋の新築や商店、飲食店の進出などがなされていない区域も多く見られます。
再開発計画に基づいた“復興ニュータウン”と新駅が、本当のにぎわいを見せられるかどうかは、住民のくらしの実情に合った運行経路やダイヤの設定など、公共交通機関の適切な運用にかかっているのではないでしょうか」(芦原さん)
そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染が深刻だったため、最後まで不通が続いていた常磐線の富岡〜浪江間も2020年3月に運転が再開され、東日本大震災関連での長期運休路線は、すべて復旧しました。
「上野・品川〜仙台間を直通する特急『ひたち』が復旧と同時に運行を再開したのは、復興のために大きいと思います。仙台と東京の両大都市との直結は、被災地の住民にとって重要な復興へのファクターとなったでしょう」(芦原さん)

復興を支えた仙台・東京との直通列車

2015年5月30日、運行開始当日のる仙石東北ラインの列車(写真/時事)

2021年2月には、新地町など福島・宮城両県各所に、東日本大震災の余震とみられる最大震度6強の地震により、東北新幹線那須塩原〜一ノ関間が11日間にわたって不通となりました。
特急「ひたち」の一部はこれに際して、いわき〜仙台間を臨時快速列車として運行し、受験生などから「JR東日本の臨機応変の処置に感謝します」との声も数多く寄せられました。
「よみがえった常磐線の活用は、東日本大震災の経験を踏まえた“ネクスト・ベスト(次善の策)”の好例で、今後に生かしていきたい発想です。新幹線だけに頼らない予備選択が生きていたこと。これこそ鉄道復興の象徴といえるでしょう」(芦原さん)
また、JR東日本は2015年、交流2万V(ボルト)の東北本線と直流1500Vの仙石(せんせき)線を結ぶ、『仙石東北ライン(仙石線・東北本線接続線)』を建設し、大きな被害を受けた石巻・女川と仙台を直結する新たなルートが確立されました。
「わずか300mの新線ですが、電化システムが異なる区間同士の直通を可能にしたハイブリッド気動車HB−E120系(特別快速・快速列車)による、被災地から大都市への移動時間短縮は、復興に大きな役割を果たしたと思います」(芦原さん)
ハード面の復興事業ばかりでなく、鉄道にBRT、さらに路線バスやコミュニティーバスも加えた被災地の人々の生活に合わせた適切な公共交通体系の確立が、明るい未来づくりへの課題となるのでしょう。

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