「アメ車が日本で売れるはずない」は本当か? 過去のヒット車を見てわかった“日本人がアメ車に乗らない本当の原因”
2025年5月14日(水)7時10分 文春オンライン
日本車はアメリカで売れるのに、アメ車は日本で売れていない。長らく続く自動車貿易摩擦への不満を、「ボウリング球による安全試験」などという空言とともに蒸し返してきたトランプ大統領。
その言い分を聞いていると、まるで日本側が悪意をもってアメ車の輸入を阻んでいるかのようだ。ある意味、「これではアメ車が売れるわけがない」と、一番強く信じ込んでいるのはトランプ氏なのかもしれない。

もちろん過去を振り返れば、しっかり売れているアメ車もあるのだから、貿易摩擦の原因を日本側の制度に求めるのは見当違いというものだ。
むしろ反対に、「ヒットしたアメ車」の例から浮かび上がってくるのは、トランプ氏にとって「あまりに不都合な現実」なのである。
ジープしか売れない日本市場
まず現在、日本でもっとも売れているアメ車はジープのラングラーである。いわゆる「ジープ」といって一般にイメージされるワイルドなクロカン車(クロスカントリー:悪路走行に特化した車)であり、軍用車の流れを汲む堅牢なイメージとオフロード性能の高さから、世界中にファンの多い車種だ。
とくにここ10年ほどはSUVブームの影響もあり、日本国内におけるジープブランドの販売台数は年間1万台前後で推移し、プジョーやルノー、フィアットなどを上回る水準にある。2016年のフォードの日本市場撤退など、他のアメ車メーカーの惨状を考えると、驚異的なまでの快進撃といえる。
なかでもラングラーは、「都市型SUVとは一線を画する本格クロカン車」としての地位を確立しており、2021年には輸入車の新車登録台数ランキングで年間トップ10に入っている。競合するベンツのGクラスよりも安く、ランクルよりコンパクトな点も、日本での受容を後押ししていると考えられる。
ただやはり、ラングラーのヒットは長年積み重ねたイメージによる部分も大きく、この例をもって「アメ車でも売れる」と一般化することは難しいだろう。アメ車メーカーに「ラングラーと同じように売ればいい」といっても、参考にならないのは明らかだ。
ヒットのカギは「ヨーロッパの目」
ラングラー以外にも、ジープには「レネゲード」というヒット車種がある。こちらはジープでもっともコンパクトな車種であり、ホンダのヴェゼルなどと同程度のサイズ感なので、日本でも取り回しに困る場面は少ないはずだ。主力グレードの排気量は1.5リッターを下回り、自動車税も安く済む。
「日本でも苦労せず乗れるアメ車」というと意外に思えるが、実はこのレネゲード、イタリアのフィアットと共同開発されたモデルであり、ある意味でアメ車メーカーの命運を象徴する存在ともいえる。
当時ジープブランドを統括していたのは、かつてアメリカの「ビッグスリー」とも呼ばれたクライスラーだった。しかしリーマンショックを引き金とする経営難により、フィアットへの統合が進み、2014年には完全子会社となる。
2015年にリリースされたレネゲードは、この統合による「グローバルブランド」となったジープが、世界での販売を見据えてリリースしたモデルだった。
その結果、ジープのエッセンスは残しつつも、デザインは親しみやすく小洒落た雰囲気に。反面、アメ車的な無骨さは控えめになった。さらにオフロード走行を前提としない前輪駆動のモデルを設定したことで、ジープブランドの裾野を広げる役割を果たしている。
日本で売るには「脱アメ車」が必須?
過去に遡ってみると、上のレネゲードと同様、「アメ車らしさを抑えることで日本でヒットしたモデル」がある。SUVの草分け的存在であるジープの2代目チェロキーだ。
1984年に登場したこのモデルは、先代に比べて大幅にコンパクトになったボディを特徴とする。本格的なオフロード性能を備えながら、全幅は1.7m台、全長は約4.3mと、現在のシエンタやフリード程度のサイズ感に収められていたのだ。
小型化の背景にあったのが、当時チェロキーの製造元であったAMC(アメリカン・モーターズ社)が、経営難からルノーの資本を受け入れたことである。ルノー側の意向が2代目チェロキーの開発に強く反映された結果、欧州的なルックスとコンパクトなボディが実現した。
先のレネゲードもそうだが、アメ車にとってはある種の外圧が「脱アメ車化」を促し、日本市場での成功を導いた例といえる。
なお日本への輸出自体は1985年から行われていたが、販売が本格化したのは1993年以降のこと。決定的だったのが、右ハンドル版の設定と、300万円を切るグレードの導入である。
とくに価格面では、それまで450万円を超えていた車種が円高の影響もあり300万円以内に収まったことで、当時国内で流行していたパジェロなどの国産クロカン車種とも競合することができた。
「アメ車らしいアメ車」がヒットしたことも
アメ車らしさを失わないまま日本市場に受け入れられた例としては、1990年代にミニバン市場を先取りしたシボレー・アストロが挙げられる。威圧感のあるデザインと広大な室内空間が特徴で、現在の高級ミニバンの先駆けともいえる存在だった。
今でこそアルファード/ヴェルファイアの独壇場となっている日本の高級ミニバン市場だが、当時はそもそも「ミニバン」というカテゴリ自体が馴染みのないものだった。多人数乗車が可能な3列シートといえば、ハイエースやタウンエース、キャラバンといった商用ベースの車種がほとんどで、どこか無機質で味気ないイメージがあった。
そうしたなか、「大勢がラグジュアリーな気分で移動できる」という点で、アストロは唯一無二の存在だったといえる。たしかにボディは大柄で、右ハンドルの設定もなく、燃費も悪い。一見、「日本で売れないポイント」を備えた、アメ車らしいアメ車であるようにも思える。
しかし「日本の道路には少し大きすぎる」という点が、アストロの場合にはかえって手つかずの市場を掘り起こしたのかもしれない。車に「イカつさ」を求める層のほか、キャンパーやサーファー、アクティブなファミリー層などなど、さまざまなニーズの受け皿になったのである。
時勢を捉えた「懐古趣味」が奏功
2000年に登場したクライスラー・PTクルーザーも、日本市場でヒットを記録した数少ないアメ車のひとつだ。1930年代風のレトロなデザインと実用性を兼ね備え、累計で1万4000台以上が販売された。
サイズはヴェゼルやシエンタなどと同程度であり、右ハンドルも当初から設定された。見た目に反して荷室の使い勝手も良好で、日本での日常使いにも適した仕上がり。アメ車らしからぬ高いルーフは日本のコンパクトカーと通ずるところがあり、乗降性にも優れていた。
現在でも「レトロな車に乗りたいが、実用性は捨てたくない」といった声はしばしば聞かれるが、当時はフォルクスワーゲンのニュービートルや、BMWのミニなど、かつての名車を現代風にアレンジして再販する戦略が功を奏するケースが見られた。
PTクルーザーもこの流れのうちに位置づけられるモデルであり、もともとはクライスラー内の大衆車ブランドであるプリムス復活の旗印として開発されていた。
結局、プリムスブランドは廃止に向かい、PTクルーザーはクライスラーブランドから発売されることになるのだが、「機能性を備えた小型車を奇抜なデザインで」という既存のアメ車の枠に囚われないコンセプトは、こうした経緯なしには実現しえなかっただろう。
「国外への目線」を持って
ここまで見てきたように、過去のアメリカ製のヒット車種に共通しているのは、単に「アメ車らしさ」を押し付けるのでなく、国外消費者の嗜好や市場動向を捉えようとするスタンスである。
国際市場でモノを売るには、現地の状況を分析し、ニーズにあわせて製品をローカライズすることが欠かせない。「日本でアメ車が売れない」と訴えるからには、右ハンドルの設定など日本の事情にあわせた仕様変更がまず必要だろう。
しかし自動車貿易の不均衡を訴えはじめてから50年ほど、アメリカ側が日本の消費者に迎合しようとしたケースはきわめて少ない。あるいはハナから日本市場を重視しておらず、ローカライズの必要性すら感じていないのかもしれないが。
そもそも、マーケティングの方法論や市場分析の重要性を教えてくれたのは、他ならぬアメリカの経営学者たちではなかったか。アメリカを再び偉大にするために、まずはPEST分析から始めてみてはどうだろう。
(鹿間 羊市)
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