学校での多数決が「すぐ論破する子」を育ててしまう…元麹町中校長が文化祭で"多数決の代わり"に使った方法

2025年1月18日(土)9時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

日本の学校では多数決がよく使われている。それは子どものためになるのか。千代田区立麹町中学や横浜創英中学・高等学校で校長を務めた工藤勇一さんは「多数決を小さなときから学校で当たり前にやっていれば、『対立が起きたら相手を打ち負かせばいい』という発想を持った大人を育ててしまう」という——。

※本稿は、工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(あさま社)の一部を再編集したものです。


写真=iStock.com/mapo
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■文化祭の出し物「ダンス派8割、劇派2割」


【工藤】実際に学校の現場で、多数決を使わずに、「誰一人置き去りにしない社会」をつくるとはどういうことか、僕から具体例を話したいと思います。


先ほど文化祭の出し物の例を挙げましたが、たとえば、ある学級で8割の子がダンス派、残りの2割が劇派に分かれたとします。最近はSNSの影響でダンスが人気ですよね。一方で「人前で踊るなんて絶対にイヤ!」という子も当然いるわけです。リズムに合わせて体を動かすことが苦手で、ダンスを踊ることが嫌いな子どもです。


ここで多数決を使ってしまうとそういう子たちが苦痛を感じるだけです。しかし、麹町中のように「少数派を切り捨ててはダメよ」と普段から教えていれば、答えを見つけるまで対話を続けるしかない。ダンスに決めたら誰が困るのか、劇にすると誰が嫌な思いをするのか。誰の不利益にもならない方法はないのか、と。


すると、ある子どもからアイデアがでてきます。「ミュージカル風の劇ってどうだろう?」何幕かの構成にして、ダンスをしたい子はダンスパートで踊り、劇がしたい子は劇のパートで演じ、人前にでたくない子は舞台照明や音響、脚本などの裏方につく。これならみんなやりたいことができて全員楽しめるよね、と。その発言が子どもからでてきて、採用されたというストーリーです。


■「相手を打ち負かせばいい」という大人が育つのは当然


【苫野】すばらしい。


【工藤】こういう意思決定の仕方が僕の考える本当の民主主義です。


意見対立のある状態から「誰一人置き去りにしないためにはどうしたらいいか」を共通のゴールにして、みんなで考え続ける。教員や学級委員長に上から決めてもらうのではなく、全員が当事者として頭を使い、対話にくわわる。こういう光景をもっと当たり前のことにしたいんですね。


多数決の問題は少数派を切り捨てることと言いましたが、言い方を変えると「利害関係の対立をそのまま放置する」ことです。多数決を小さなときから学校で当たり前にやっていれば、「対立が起きたら相手を打ち負かせばいい。負けたら従うしかない」という発想をもった大人しか育たないのは当然ですよ。


【苫野】「対話を通した合意形成」の発想自体がわきづらいですね。


■「対話を通して対立を解消する」体験をさせる


【工藤】やったことがないことは意識できないものです。だからこそ僕は、子どものうちから対話を通して対立を解消し、誰も置き去りにしない社会をつくっていく体験をさせてあげることが必要だと思っているんです。


もちろん、対立のある状態から合意に至ることは決して簡単ではありません。戦争がなくならないのも、外交努力だけでは平和的解決ができないケースがあるからでしょう。でも、すべての対立が暴力的手段に訴えないと決着がつかないかというと、決してそうではない。学校で起こる対立くらいなら、平和的解決ができるんです。


だから子どもたちにはどんどん対話させる。そのときに欠かせないのが、やはり大人の適切なフォローです。単に対話を続けさせたところでみんな好き勝手に意見を言うだけですから。感情的な対立に発展したり、好き嫌いの話になって平行線をたどったりと、話が前に進まないですよ。


【苫野】対話にはコツがあるんですよね。


写真=iStock.com/xavierarnau
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■コツは「最上位目標」を設定すること


【工藤】はい。そのコツが、「みんながOKと言える最上位目標」という概念です。


みんなで意見をだしあって何かを決めるときは、必ず最初に「みんながOKと言える最上位目標」を決める。そして最上位目標で合意ができたら、それを実現する手段をみんなで考える。対話をしている最中はいろいろなアイデアがでてくるので、小さな意見対立は起きます。


でも「これって何のためにやるんだっけ?」というところで合意ができていれば、深刻な対立に発展しづらい。それに、自分のアイデアが採用されなかったとしても、自分が合意している最上位目標が実現すれば、少なくとも「置き去りにされた」という感覚にはならないはずなんです。


【苫野】最上位目標の設定に際して、「誰一人置き去りにしない」ということを明確にしているのがミソですね。


【工藤】そうです。子どもたち同士の対話を促す取り組みをしている学校は全国にありますが、最上位目標として「誰一人置き去りにしない状態」を目指しているかどうかで、その学校が民主主義教育をしているかどうか、はっきりわかります。


もし最上位目標を設定しない、もしくは最上位目標で合意していない状態で対話をさせているとしたら、正直かなり無責任なことをしていると感じます。だって対話によって対立を乗り越えることなんて、日本では大人もできないのに、子どもならできると考えるのがおかしいじゃないですか。


■「生徒全員で観客全員を楽しませる」


【苫野】なるほど、おっしゃる通りですね。ちなみに、麹町中の文化祭の最上位目標は何だったんですか?


【工藤】「生徒全員で観客全員を楽しませる」です。


理想を言えば、最上位目標も対話の中からみんなで見つけだしたいところですが、麹町中の教員でさえも最上位目標の概念が理解できていないのですから、校長の僕から提示しました。これをみんなの共通のゴールにしようよ、と。もちろん文化祭の実行委員や生徒会役員が納得するまで丁寧に説明します。


おそらく、はじめのうちはこの目標の持つ意味がわからない教員すらいたと思います。しかし、意見の対立が起こるたびに、最上位目標に戻って答えを見つけだそうとする経験を重ねることで、この目標のすごさを子どもも教員も実感していったんですね。


【苫野】「みんながOKと言えそうな最上位目標」を、工藤さんは鋭くつかみ取ったんですね。


写真=iStock.com/ferrantraite
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ferrantraite

■最上位目標をいかに設定するかが重要


【工藤】教員として経験が浅かった頃はわからなかったですね。概念と具体がつながって明確に言葉にできるようになったのは、麹町中の子どもたちと出会ってからですよ。子どもたちにとっては「生徒全員が楽しめる」という目標だけでも難しいですけど、文化祭とはそもそも芸能のようなイベントの集合体です。体育祭のように自分たちが楽しめればいいというものじゃない。ダンスにしても演奏にしても、観てくれる人たちに喜んでもらえないと意味がない。


ですから、「生徒全員が楽しめる」だけじゃなくて、「観客全員を楽しませる」も同時に達成しないといけないんです。わざわざ学校に足を運んでくれる人たちの中に「なんだ、この文化祭、つまらないな」と思う人がいたとすれば、やる意義がないかもしれない。そこまで子どもたちに考えてもらうんです。


【苫野】なるほど。


【工藤】「生徒全員で観客全員を楽しませる」の頭に「生徒全員で」とつけたのも、深い意味があります。


来場者に喜んでもらうという目標だけを考えれば、一部の生徒でこれを実現するのも悪くないかもしれません。でも、それでは文化祭が限られたリーダーを育てる教育活動になってしまいます。


僕は、麹町中の生徒たちみんなに学んでもらいたかったんですね。だから「生徒全員で」とつけました。ここで一部のリーダーがそれ以外の生徒たちにやるべきことを押し付けるようでは、「生徒全員で」楽しめないことになる。先ほどのダンスと劇の多数決の事例のように誰かが取り残されるわけです。そうならないように、「生徒全員で」考える。


このように、最上位目標をいかに設定するかは、本当に重要なんです。


■試行錯誤の経験を通して子どもたちは学んでいく


【苫野】最上位目標で合意していれば、ある程度任せても子どもたちだけで話をつけられますか?


【工藤】そうですね。試行錯誤の経験を通して、子どもたちは学んでいきます。ですから、時間がかかるものもあります。4年ぐらいの時間をかけて変えることができたものもあります。たとえば麹町中には、伝統行事だった学級対抗の合唱コンクールがありましたが、これは生徒たちが自らなくしたんです。


最上位目標での合意についても、この本で僕たちが伝えたいことを理解してくれる読者であれば必ずできるはずです。だってやることは「誰一人置き去りにしない状態」、「みんながOKと言える最上位目標」とはどんなことなのかを考えればいいだけですから。


たとえばアイデアを大量にリストアップして、「これを実現させたとしたら不利益を被る人はいるだろうか」と、消去法で絞り込んでいってもいいわけですね。そしてそれが決まったら、あとは子どもたちに「この状態を目指して仕組みやルールづくりをみんなでしてごらん」と言えばいいだけです。


■「最上位目標」は大人が設定してあげればいい


【工藤】市民教育の字面だけだと難しそうに見えるけれど、実はこんなにシンプル。そもそも日本の多くの教員は文化祭の目的なんて考えていないでしょう。よくわからないスローガンをつけるのは好きだけど、実際には他の教員から「今年のおたくのクラスよかったね」と褒められるため、けなされないために学級担任は必死になって指導をしています。子どもが本当にかわいそうですよ。



工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(あさま社)

だって数の暴力でやりたくもないことを無理やりやらされた挙句、うまくできなかったら教員に怒鳴られるんですから。逆にうまくできたとしても、合唱コンクールで勝利したクラスの生徒たちのように、これこそ正しいやり方だ、素敵なことなんだと刷り込まれていくことも心配しています。


【苫野】本当ですね。そうやって、「これはそもそも何のため?」を考えることがますます苦手というか、あまり考えなくなってしまうんでしょうね。


【工藤】とくに日本では、決められたことに従順になる教育を受けているから、なおさらです。だから小学生や中学生くらいのうちだったら、最上位目標を無理に子どもたちに考えさせる必要はなくて、大人が責任をもって考え、設定してあげればいいと思います。そこで失敗すると民主主義教育にまったくなりませんから。


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工藤 勇一(くどう・ゆういち)
教育アドバイザー、元横浜創英中学・高等学校校長
1960年山形県鶴岡市生まれ。東京理科大学理学部応用数学科卒。山形県公立中学校教員、東京都公立中学校教員、東京都教育委員会、目黒区教育委員会、新宿区教育委員会教育指導課長等を経て、2014年から千代田区立麹町中学校長。2020年から横浜創英中学・高等学校校長。2024年4月より横浜創英中高アドバイザー。教育再生実行会議委員、経済産業省「未来の教室」とEdTech研究会委員等、公職を歴任。著作に『学校の「当たり前」をやめた。 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(時事通信社)、『子どもが生きる力をつけるために親ができること』(かんき出版)など。
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苫野 一徳(とまの・いっとく)
熊本大学教育学部准教授
1980年兵庫県生まれ。熊本大学教育学部准教授。哲学者、教育学者。主な著書に、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『「自由」はいかに可能か』(NHKブックス)、『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)がある。幼小中「混在」校、軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。
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(教育アドバイザー、元横浜創英中学・高等学校校長 工藤 勇一、熊本大学教育学部准教授 苫野 一徳)

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