150年前のチョコは砂っぽくてギトギトだった…チョコレートを革命的に美味しくした2つの企業の大発明

2024年2月6日(火)11時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gilaxia

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いま広く食べられている「おいしいチョコレート」は150年前のスイスで生まれている。2つのスイス企業の大発明が、チョコレート業界を一変させた。ジャーナリストの増田ユリヤさんの著書『チョコレートで読み解く世界史』(ポプラ新書)より、一部を紹介する——。
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■ミルクチョコを開発した酪農大国スイス


突然ですが、ビターチョコとミルクチョコ、どちらがお好きですか? 最近では、カカオ分が70%以上のものが健康にいい、などとも言われていますが、口溶けがよくまろやかな味のミルクチョコレートは、やはり人気がありますよね。


ミルクチョコレートを開発したのは、酪農大国スイスです。スイスでも、19世紀のはじめには、ジュネーブにほど近いレマン湖のほとりにココア製造工場ができ、カカオ豆の加工技術の開発と機械の改良が進んでいました。


固形のチョコレート作りも行われるようになっていましたが、カカオ豆の種類によっては苦味が強く、固形にするとごまかしがきかなかったので、苦味や渋みなどをどう克服するかということが課題になっていました。それを解決したのが、ダニエル・ペーターとアンリ・ネスレです。ペーターの家業はろうそく製造、アンリ・ネスレは薬剤師で、近所に暮らす友人同士でした。


■コンデンスミルクとカカオが高相性


ネスレは研究熱心で、スイスの名産品である牛乳を加工することで、母乳の代替となる乳児用粉ミルクの開発に成功しました。ペーターはフランスのカカオ工場で働いた経験があり、ろうそくを作るかたわら、チョコレートの試作にも取り組んでいました。


美味しいチョコレート作りの一助となるのではないかと、ネスレはペーターに自身の粉ミルクを加えることを提案しました。ペーターもそれに応じましたが、粉ミルクだと口当たりが悪く、そもそものチョコレートの食感もザラつきがあったのでうまくいきませんでした。しかし、同じミルクでも、ネスレのライバル社が出しているコンデンスミルクを試しに加えると、なめらかな仕上がりになりました。コンデンスミルクはとろみのある液体ですから、粉よりもカカオになじみ、うまく混ざったのです。


ここにミルクチョコレートの原型が誕生しました。1876年のことです。そして、ネスレもコンデンスミルクを作ることにしたのです。ネスレは、今や世界規模の食品メーカーに成長したことは、皆さんも知るところですよね。


写真=iStock.com/Victor Golmer
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■リンツが「とろけるチョコ」を発明した


カカオ豆を焙煎して粉砕したカカオマスにコンデンスミルクを加えても、油脂分と水分がうまく混ざらなかったら、なめらかで口当たりのいいチョコレートはできません。それを可能にしたのが、ロドルフ・リンツのコンチングの技術とコンチェの発明です。コンチングとは、チョコレートの材料を混ぜながら根気よく練り上げていく製法で、コンチェはそのための機械です。


そもそも、コンチングの技術は、偶然から生まれたものでした。2023年6月、ロドルフ・リンツの発明について、スイス・チューリッヒにあるリンツ本社を訪ね、お話を伺ってきました。


リンツ本社は、チューリッヒの中心部から車で15分ほどの緑豊かで閑静な地域にあります。近くにはチューリッヒ湖があり、鳥たちのさえずりがにぎやかに聞こえるような環境です。本社敷地内には、世界最大規模のチョコレート博物館があります。


スイスにあるリンツ本社(写真=Roland zh/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

エントランスでは、高さ9メートルを超える「チョコレートの噴水」が出迎えてくれます。その迫力たるや、まさに圧巻で、建物中に甘いミルクチョコレートのいい匂いが広がり、全身がチョコレートで包まれるような感覚に陥ります。


■かつてのチョコは砂っぽくてギトギト


インタビューしたのは、学芸部門の責任者シュテファン・シュナイダーさんと、ヨーロッパではテレビコマーシャルなどでも有名なメートル・ショコラティエのステファン・ブルーダラーさんです。


シュナイダーさんには、リンツとチョコレートの歴史について、博物館の展示室にある、コンチングの機械(コンチェ)の前でお話を伺いました。


ロドルフ・リンツがコンチェを発明したのは、1879年。この発明は、チョコレート業界全体を大きく変える、革命のようなものでした。コンチェが発明される以前のチョコレートは、砂のようでギトギトした食感でした。口の中でなめらかな感触を味わうには、チョコレートを噛んで、さらに溶かさなければならなかったのですが、コンチェの発明によって、チョコレートは口の中で噛まずとも、滑(なめ)らかに溶けるようになったのです。


リンツはベルンにある2つの古い工場を買い取り、よりよいチョコレートを作る目的で実験をしました。彼は口溶けのよい、まろやかなチョコレートを作り出すために実験に実験を重ねましたが、しっとりしすぎたり、ココアバターが少なすぎたりして、なかなかうまくはいきませんでした。


■最悪のミスが世界最高のチョコを生んだ


ある金曜日のこと。神話のような話ですが、彼はコンチェのスイッチを切り忘れたらしいのです。3日後に研究室に戻り、機械が動いているのを見て、おおっ、しまった! と思いました。しかし、3日間練り上げたチョコレートは口溶けがよく、なめらかに仕上がっていたのです! 最悪の事態を予想していましたが、最高の結果を得ることになったのです。


このコンチング製法は、20年の間、彼だけで守り続けたといいます。誰にも正確に知られることなく、世界最高のチョコレートを作り上げたのです。


コンチングの工程は、美味しいチョコレートを作るうえでとても重要です。長い時間練り上げることによって、発酵工程で作られる酸や苦味の物質が蒸発し、よい香りが引き立ち、絶えず揉(も)んだり転がしたりすることでココアバターがコーティングされ、最も細かい砂糖とカカオの粒子がコーティングされて、流れるような、とろけるようなチョコレートができるのです。


■媚薬や強壮剤から子どもも楽しめるスイーツへ


チョコレートの作り方だけでなく、栄養学にも変化が訪れました。つまり、チョコレートは薬、媚薬や強壮剤としてだけでなく、人々が美味しく食べて楽しむものとして、子どもも食べてもいいものとして受け入れられるようになったのです。


ミルクチョコレートは、酪農大国スイスならではの悩みから生まれたものだといえます。19〜20世紀初頭の技術では、搾った乳は、そのままでは長期間保存ができませんでした。そこで、チョコレートに入れて加工することで、牛乳を消費し、しかも長期間保存が可能だということに気付いたのです。



増田ユリヤ『チョコレートで読み解く世界史』(ポプラ新書)

スイスのチョコレートは、高品質で知られてきました。例えば、ミルクチョコレートは、アルプス山脈、緑豊かな牧草地、幸せそうな牛といった風景をマーケティングや広告に生かしてきたのです。


また、スイスが永世中立国だったことも、第一次、第二次世界大戦中でも途切れることなくチョコレートを生産し、貿易を行うことができた理由です。戦時中もカカオを手に入れることができたのです。


ちなみに戦時中は、チョコレートが兵士の貴重なエネルギー源となりました。イギリスのロウントリー社は、兵士へ配給する食品として、ビタミンを添加したチョコレートを製造しました。日本でも、第二次世界大戦中は、森永製菓や明治製菓(現在の明治)が軍からの要請でチョコレートを製造していました。


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増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや)
ジャーナリスト
1964年、神奈川県生まれ。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。テレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」でコメンテーターとして活躍。著書に『揺れる移民大国フランス』『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』など多数ある。また池上彰氏との共著に『歴史と宗教がわかる!世界の歩き方』などがある。「池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」でもニュースや歴史をわかりやすく解説している。
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(ジャーナリスト 増田 ユリヤ)

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