これをやると人生は驚くほど好転する…仏教語で「真理」と呼ばれる生きるうえで重要な態度

2024年3月5日(火)16時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

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軽やかに生きている人は何をしているのか。元結不動密蔵院の名取芳彦住職は「人は生まれてから自分にとって未知のことに次々に出合い、その対処法を少しずつ身につけ、既知の出来事が増えていくにしたがって『ま、世の中はそんなものだ』と考えられるようになる。コロナのように前代未聞の事態に直面したとき、正しい対処法など誰もわからない。多くの経験から『ま、そんなもんだ』とスルーする極意を学び、心の風通しを良くしていくといい」という——。

※本稿は、名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)の一部を再編集したものです。


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■「無常」を忘れたとき、心が乱れる


平家物語』の冒頭のフレーズとして有名な「諸行無常」。これは、仏教が説く「もろもろの作られたものは同じ状態を保たない」という事実を表わす言葉です。


すべての物事は、さまざまな縁(条件)が寄り集まった結果として生じます。集まってくる縁は、加わったりなくなったりして次々に変化するので、その影響を受けて結果も次々に変わります。


体を動かすのが縁になって空腹になり、空腹を縁にして食欲が生まれます。そこに過労や心労による消化器系不調の縁が加わると、食欲不振という結果になります。さらに、親のやさしさという縁が加わると、実家からレトルトのお粥が届いたりします。


このように、縁の変化にともなって結果が変わるのは至極当然のこと。にもかかわらず仏教が「諸行無常」を説きつづけるのは、こうした「変わらないものは何一つない」という事実を私たちが忘れ、変化に対して心が乱れることが多いからでしょう。


もし同じ状態がつづくのを望むなら、集まってくる縁に対して次々に手を打たなければなりません。それができないなら、変化を楽しむ心を持っていましょう。


■「矛盾」を当たり前として生きる


社会心理学者のメルビン・ラーナーが1960年代に発表した理論に「公正世界仮説」があります。「世界は、良いことをすれば良い報いがあり、悪いことをすれば悪い報いがある」という思い込みのことです。


努力すれば明るい未来が開けるという思い込みは、受験勉強や自己投資など、前向きな生き方の原動力になります。


しかし、公正世界仮説を無条件に信じていると、難病になったのは本人(あるいは先祖)が何か悪いことをしたからという理論が成り立ってしまいます。


他にも、新型コロナ感染症のパンデミックを、人類の自然破壊や「正しい教え」に従わない報いと説明するカルト教団の言い分も通ってしまうなど、危険な面もあります。


世の中の矛盾についても、「矛盾があるのはおかしい」と信じて疑わない人がいます。しかし、「人はかならず死んじゃうのに、どうして生まれるの」といった子どもが抱く素朴な疑問を始めとして、この世には矛盾が佃煮にできるほどあります。それを当たり前のこととしてとらえ、楽しんだほうが、ずっと心軽く生きていけます。


■「あの人は幸せそうでいいなぁ」と思ったら


私たちにネガティブやマイナスの感情が起きるのは、自分の都合通りになっていないときです。「苦=自分の都合通りにならないこと」は仏教以前のインド哲学で解明された定義ですが、いつの世にも通じる真理でしょう。


言いかえれば、私たちは自分の都合通りになってさえいれば幸せで、不幸を感じるのは自分の都合通りになっていないから、ということになります。ですから、自分に都合(願い)がある限り、幸も不幸もあるのは当たり前なのです。


「あの人は幸せそうでいいなぁ」と、うらやましがっている場合ではありません。幸せかどうかは本人が決める問題で、他人が決めるものではないからです。


写真=iStock.com/Mixmike
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“あの人”は“あの人の願い通りになっている”から幸せそうなのか、単にあなたの価値観に合わせると幸せそうなのかをチェックする余裕は持っていたいものです。


自分の都合が自分の努力で実現可能なら努力すればいいのです。しかし、自分の努力だけではどうにもならないと思うなら、自分の都合を少なくするよう努めるしか、幸せになる方法はないでしょう。


■「あきらめる」と、人生は驚くほど好転する


何かを諦めるのは不甲斐ない、情けないと思っているなら、それは間違いです。


「あきらめる」を辞書で引くと、最初に【明らめる】と出てきます。意味は①明るくさせる②事情などをはっきりさせる。次が【諦める】で、(「明らめる」の②の意から)思いきる。仕方がないと断念したり、悪い状況を受け入れたりするという意味。


ですから、断念するという意味の「諦める」には、朝に明るくなって景色がはっきりするように、事情をはっきりさせた上で思いきる覚悟が必要です。


「諦」は「つまびらかにする、明らかにすること。仏教語では真理。また、真理をさとる」という意味で、マイナスの意味は微塵もありません。


このように、事実関係や事情を明らかにした上で諦めるなら、むしろそれは理に適っているのです。


途中で嫌になったから、人から言われたからやめるなど、事の真相を明らかにしないまま投げ出すのならともかく、「こういう事情だから、やめる」と納得して諦めるなら臆することはありません。


「あきらめる覚悟」を持って物事に向き合えるようになれば、人生は驚くほど好転していきます。


■未知への不安を「スルーする」極意


新型コロナ感染症のパンデミックが始まったころ、世界中が大混乱になりました。今生きている誰もが経験したことのない前代未聞の事態だったからです。


私は檀家(だんか)さんや講演会の参加者に「経験したことがないのですから、政府だって、私たちだって、右往左往するのは当たり前でしょう」と、何度もお伝えしました。


前代未聞の事態への正しい対処法など誰もわからないという事実をまず受け入れて、冷静になっていただきたかったからです。



名取芳彦『達観するヒント もっと「気楽にかまえる」92のコツ』(三笠書房)

人は生まれてから自分にとって未知のことに次々に出合い、その対処法を少しずつ身につけていきます。そして既知の出来事が増えていくにしたがって、「ま、世の中はそんなものだ」と考えられるようになります。


20代では20代の「ま、そんなものだ」があり、30代では30代での「ま、そんなものだ」をものにしていくのです。


あなたが前代未聞の事態に遭遇したとき、お年寄りに「これって、そういうものですか」と聞いてみてください。「そうさ」と答えるでしょう。多くの経験から「ま、そんなもんだ」とスルーする極意を学び、心の風通しを良くしていきましょう。


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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。密蔵院住職。真言宗豊山派布教研究所所長。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。密蔵院写仏講座・ご詠歌指導など、積極的な布教活動を行っている。主な著書に、『気にしない練習』『人生がすっきりわかるご縁の法則』『ためない練習』『般若心経、心の「大そうじ」』(以上、三笠書房《知的生きかた文庫》)などベストセラー、ロングセラーが多数ある。
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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)

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