成田悠輔「最近1人でお金が世の中からなくなる未来を妄想しています」前澤友作「お金が消えると価値の尺度はどうなる?」

2025年3月9日(日)13時0分 文春オンライン

〈 成田悠輔「カブアンドも、すべてのビジネスも情弱ビジネス?」前澤友作「日本の資本の遍在を、なだらかな富士山型にしたい」 〉から続く


 日本は株を持っている人が少なすぎる。今すぐ資本を分散して格差を是正すべき。そのために一人でも多くの人が株を持ち、資本主義に主体的に参加すべきだ——自身が提唱する「国民総株主」を体現するため、新サービス「カブアンド」を立ち上げた前澤友作さん。一方、発売されたばかりの『 22世紀の資本主義 やがてお金は絶滅する 』(文春新書)で心も体もデータ化され資本主義が煮詰まったこの先に、「お金が必要なくなる」未来を構想した成田悠輔さん。資本主義とは何か? お金のない世界を実現する方法とは? を語り合った。NewsPicksで実現したふたりの対談を前後篇でお届けする。#2


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株はなぜこれほど人を惹きつけるのか


成田 資産にもいろいろありますが、株って変わり者ですよね。金(きん)であればここに物体がある。不動産であればそこに土地なり建物なりがある。でも株というのは見て触れる実体が何もない。蒸発してしまうかもしれない未来への権利ですよね。何のブツもなしに夢語りで丸め込んでくる詐欺師みたいなもの(笑)。それがこれほど強い磁場を持って人を惹きつけてやまないのはなぜなのか? 株のプロ中のプロである前澤さんはどう思われますか? 


前澤 株はコモディティ(商品)と違って参加型の資本ですよね。実際に持ってみることで自分で大きくできる可能性がある資産だと思うんですよね。今回我々が推奨しているのは「カブアンド」の株をみなさんに持っていただいて、みんなで一緒に経済圏を大きくしてみようということです。一方で金とか土地は自分の力でどうこうできるものでもない。そこが大きく違うところですね。


成田 別の言い方をすると、同じ資産をみんなで共有できる。


前澤 シェアホルダーという名前の通り、株は会社のシェアですから。


権力者による社会主義vs自然発生的な株の持ち合い


成田 その特性を究極まで推し進めていくと、すべての株をみんなで共有しようという考え方に辿りつきますよね。すべての株式を株式会社を社会全体、あるいは国全体で持った上で、みんなにベーシックアセット的に配ってしまう。株式資本主義と社会共産主義の融合で、かつて「シェアエコノミー」という名で提唱されました。そういう構想はどう思われますか? 



©SAKIKO NOMURA


前澤 結局そういう構想を実現しようと突き詰めていくと、社会主義とほとんど変わらなくなってしまうというジレンマが生まれるんですよね。一部の権力者がシェアエコノミー的なシステムを作って国家や社会を動かそうとすると、社会主義的なものになりかねない。だから僕はあくまで市民一人ひとりが主体的に参加して、自然発生的に生まれるのを理想としていますね。


成田 昭和前後の日本の大企業にはそういう雰囲気がありましたよね。ボーナスの仕組みは業績連動給のようなものなので、会社の業績や株価の上下を社員(=労働者)全体で共有する仕組みだと捉えることもできます。一番うまくいっていた頃の日本企業は労働者と資本家の融合、国民総株主に近い何かを自然発生的に起こせていたと考えられるのかも、と。今の日本にはその面影もありませんが。


前澤 今回、カブアンドの事業を始めるにあたって日本の株主の歴史を調べてみたら、戦後まだまもない頃、個人投資家比率が約7割だった時代があったと知りました。財閥や政府が保有する株式を個人に持ってもらう「証券民主化運動」の影響が大きかったみたいですが、みんな株を持ち切れずに売却してしまった。今のように投資教育もなければ啓蒙活動もなかったので、長期保有の考えが根付いていなかったんですね。


 そんなわけで7割もの国民が勝手に株を持たされたものの、多くは売却して現金化された。他方で株の流動性が高まったので盛んに買い占めが行われて、会社同士の株式持ち合いが始まって今に至るという流れがあったらしいんです。


成田 日本の株式市場って100年くらい遡ると今とはまったく違う景色ですよね。たとえばM&Aひとつとっても、大正の頃は敵対的M&Aの嵐でハゲタカ資本主義の戦国時代みたいだったようです。そうでなければあんな財閥みたいな存在が半世紀やそこらで生まれるはずはありません。だから私たちが「日本っぽい資本主義」だと思っているものは実はだいぶ若く、敗戦後に形作られたと考えるべきだと思ったりします。いわゆる日本的雇用慣行も同じです。DNAでも古来の文化でもなんでもない。


前澤 僕なんかより何十年も先のことを考えられているんですね。


成田 いえいえ、私は実務に完全無力な人間なので。前澤さんが今ここの社会を変えようとしてる一方、私は100年後ぐらいの社会を一人で妄想するというすごく虚しく悲しいことをやってるだけです(笑)。


前澤 どういう妄想なんですか?


お金が世の中から消える未来


成田 株式をはじめとする資本、そして資本を資本たらしめる物差しであるお金が、長い目で見た時にどう変わるかということですね。前澤さんがお話しになっているのは、お金で測られる資産や株式をどううまくみんなに分配するかという話だと思うんです。一方で私が興味あるのは、そもそもお金という尺度が必要なのかかという問いです。長い目で見ると実は必要なくなるんじゃないか。「この人の資産額はいくら」みたいな一つの数字を一人ひとりに当てはめなくても経済を動かしていけるのではないかという気がするんです。


前澤 なるほど(笑)。


成田 そもそもお金はなぜ必要なのか? 私たち一人ひとりがどういう人間かがわからなかったからだと思うんですね。誰かが1万円札を持っているとき、あるいは前澤さんのように誰かが数千億円持っているときでも構いませんが(笑)、それはその人が過去に何かを作ったりやったりして、それを誰かが買ったという証ですよね。ということは、お金はその人が過去に何をやってきたどんな人間なのかを、すごく粗く一つの次元で表したものだと言えますね。ということは、その人が過去に何をやってきたかを捉える細かい情報やデータが代わりにあれば、お金は別になくてもいいわけです。


 実際いまの社会は、それぞれの人が何をやって来たか、どういう人かという情報が信じられないぐらいリッチになりつつあるわけです。これが極限まで行くと、もはやお金というものを使わなくても、それぞれの人が過去に何をやってきたかの情報からその人が次に何をやるかが許されるかが直接決まるような経済が生まれるのではないかという気がするんです。


前澤 じゃあお金が世から消える、と。そうすると、価値の尺度はどうなるんですか?


(前澤 友作,成田 悠輔/文春新書)

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