「プーチンは私の心の半分を殺した」高学歴専業主婦だったナワリヌイ夫人を目覚めさせた4年前の毒殺未遂事件

2024年3月13日(水)11時15分 プレジデント社

ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(左)と妻ユリア氏(中央)(=2018年03月27日、ロシア・モスクワ) - 写真=AFP/時事通信フォト

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ロシアで反プーチン派の旗印となっていたアレクセイ・ナワリヌイ氏が、2月16日、北極圏の刑務所で獄死。ナワリヌイ氏の妻ユリアさんは夫亡き後も気丈に政治的発言を続けている。ユリアさんについての報道を調べた今井佐緒里さんは「ユリアさんの経歴は、日本だけではなく、欧米のメディアでもあまり知られていない。それは彼女が『内助の功』的な役割に徹していたからだ」という——。
写真=AFP/時事通信フォト
ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏(左)と妻ユリア氏(中央)(=2018年03月27日、ロシア・モスクワ) - 写真=AFP/時事通信フォト

■夫がプーチンの監視下で獄中死したとき、妻が発したメッセージ


「こんにちは。ユリア・ナワルナヤです。今日初めてこの(夫の)チャンネルであなた方にお話します。私はこの場所にいるべきではなかった。このビデオを録画すべきではなかった。私の代わりに別の人がいるはずだった。しかし、その人はウラジーミル・プーチンによって殺されました」


獄中死した、ロシアの反体制野党指導者アレクセイ・ナワリヌイ(1976年6月4日〜2024年2月16日)。妻のユリア・ナワルナヤ(47歳)は、この言葉でYouTubeに語りかけ始めた。とても毅然とした態度で。夫の遺志を継ぐ決意を表明する動画メッセージである。


「アレクセイを殺すことで、プーチンは私の半分、私の心の半分、魂の半分を殺しました。しかし、私にはまだ残りの半分があります。それは私にあきらめる権利がないことを告げています」
「私はアレクセイ・ナワリヌイの仕事を続けます。私は、私たちの国のために闘い続けます。私たちを捉えて離すことのない悲しみと、終わりのない痛みを共有するだけではなく、私の怒りを共有してください。私たちの未来を殺そうとする者たちに対する怒り、憤怒、憎しみを共にしてください」


■ロシア国内に戻れば命が危険で、夫の葬儀には参列できず


この動画でユリアは、暗い紺色の上衣を身に着け、薄化粧だった。背景は暗く、幾つかろうそく型の電気が灯されていた。しかしマニキュアは、彼女の決意を表すかのように真っ赤だった。


「私たちはあらゆる機会を利用して、戦争、汚職、不正と闘わなければなりません。公正な選挙と言論の自由のために闘い、私達の国を取り戻す闘いです」
「ロシア、夫が心から夢見ていた自由で、平和で、幸せで、美しい未来のロシア。それが私たちが必要とするロシアです。そんなロシアに住みたいのです。アレクセイと私の子供には、そんなロシアに住んでほしいです。私はアレクセイが心に思い描いていた、そんなロシアをあなた方と一緒に築きたいのです」


夫アレクセイの葬儀が3月2日にモスクワで行われたが、ユリアの姿はどこにもなかった。現在国外にいて、もし戻ったら二度と出られず命の危険があると言われている。


しかし、そんな彼女の経歴は、日本だけではなく、欧米のメディアでもあまり知られていない。彼女は「内助の功」的な役割に徹していたからだ。夫と一緒にデモに参加しても、政治的な主張をすることはたいへん稀だった。いったい、どのような女性なのだろうか。


■美男美女カップル、アレクセイとユリアの出会い


アレクセイとユリアは1998年にトルコでの休暇中に出会った。二人とも1976年生まれなので、当時は22歳くらいだったことになる。そしてモスクワに戻った後も交際を続け2年後の2000年に結婚、二人の子供に恵まれた(1999年に出会い1年後に結婚という報道もある)。


ユリアは、将来の夫が、世界中のメディアで取り上げられるほどの有名人になるとは思わなかったと語っている。「私は有望な弁護士や野党指導者と結婚したのではありません。アレクセイという名の若い男性と結婚したのです」。これは彼女が頻繁に言っていることだという。


ナワリヌイ氏のInstagramより

未来の夫のほうは、トルコで休暇を過ごしたとき、ユリアが現在の閣僚全員の名前を言えるという事実に魅了されたと語っている。


結婚前のユリアの経歴は、ほとんど知られていない。


確かなのは、ロシア経済大学国際経済関係学部を卒業したこと。その後インターンシップに海外に行き、大学院に進み、モスクワの銀行の一つで働いたと言われる。しかし卒業年も勤務先の名前も、明確には知られてない。


■経済大学を卒業、大学院にも進んだが、結婚後は専業主婦に


ユリアは、夫アレクセイの両親のもと、枝編み細工の仕事を手伝っていたと語ったという。優れた教育は、キャリアに全く役に立たなかったようだ。


ただし、『ソベシェドニク』紙によれば、この会社の元従業員の女性は、ユリアがいたことを覚えていなかった。おそらく、彼女は単に家族経営の民間会社に登録されていただけで、実際には専業主婦として、家事と子育てにすべての時間を捧げていたのだろうと、同紙は述べている。


夫は結婚した2000年にヤブロコ党に入党したが、妻のほうも党員歴がある。この党は欧米的なリベラル志向のある党とされ、冷戦が終わった1990年代初頭に結成された。一時は三大政党の一つと言われたこともある。むしろ他二つ(プーチン氏の統一ロシア党、共産党)以外の勢力の結集だったようだ。この党のメンバーだったことは政治経歴になりうるものだ。


アレクセイがヤブロコ党を去った2007年は、一家にとって転機となった。アレクセイは国営企業の横領の捜査を開始し、ユリアは第2子を妊娠していた。その時から、彼らの人生が公になり始めたのだ。ちなみにユリアは4年後の2011年に離党したという。


妻はロシアの新しい有名人の第一秘書であり、助手であり、親友になったのだ。公式には彼女は、自分の役割を「日常生活と子育てを担当すること」と定義していた。


■政府を糾弾する夫を支え、国家親衛隊のトップに「卑怯者」


ユリアが政治的に注目され始めたとしたら、それは2018年のことである。ロシア大統領選挙が行われた年である。ナワリヌイ氏の出馬は、過去の有罪歴を理由に禁じられてしまった。ここから二人の命を賭けた激しい闘いが始まる。


夫アレクセイを有名にしたものは、汚職の告発だった。彼は「汚職防止財団(FBK)」を設立していた。例えば東シベリア・太平洋石油パイプライン建設中に、パイプライン公共企業であるトランスネフチの指導者らによって、約40億ドルが盗まれたと告発した。


2016年12月に、次の大統領選(2018年)に立候補することを表明した。2017年2月にはサンクトペテルブルクに最初の選挙事務所を開設、4月には何者かに緑色の化学物質が混入された液体をかけられ、右目の視力が一部失われた。


出馬が禁止されてしまったナワリヌイ氏は、2018年1月大統領選挙のボイコットを求める抗議活動を主導した。5月には、プーチン大統領が4期目で就任する2日前に行われた抗議デモで拘束、警察に従わなかった罪で懲役刑に処された。


そんな8月、氏は、国家親衛隊の新たな食料供給業者が、食料価格をつり上げているとする資料を発表。トップであるヴィクトル・ゾロトフ氏が、ロシア国家警備隊の調達契約から少なくとも2900万ドルを盗んだと主張した。


その直後、釈放されていた氏は再度、1月の無許可で違法な抗議活動の罪で拘束されてしまった。年金の対象年齢の引き上げに抗議するために、9月初旬に全国規模の集会を行うと呼びかけていたところだった。この年金問題は、幅広いロシア人を激怒させ、団結させようとしていたものだった。


■夫を「ジューシーでおいしい細切れ肉にする」という脅迫


夫が服役中の9月中旬、ゾロトフ氏はナワリヌイ氏に決闘を挑むビデオメッセージを公開した。「あなたは私を侮辱的で中傷的な発言の対象にしました。将校の間では単に許すという習慣はありません」「リングの上でも柔道マットの上でも、どこでもよろしい。そしてあなたをジューシーでおいしい細切れ肉にすることを約束します」。


この「決闘」に対して、ユリアがインスタグラムで答えたのだ。


「私はこれをアレクセイと私たち家族全員に対する脅迫だと考えています。これは、自分が処罰されないことを喜ぶ、傲慢(ごうまん)な強盗からの脅迫です。私たち家族は、捜索、逮捕、脅迫が日常茶飯事の環境で長年暮らしてきました。私は恐れていません。そして私は皆さんにも恐れないよう強く勧めます」とユリアは書いた。


そして、ナワリヌイ氏が「答えるだけでなく見ることさえできない」期間に、このような訴えを公表して、ゾロトフ氏は「卑怯者(臆病者)」だと指摘した。ユリアは「彼に対して抱いている唯一の感情は軽蔑です」と述べた。「彼は臆病者です。なぜなら、汚職防止財団によって提起され、鉄壁の証拠によって裏付けられた汚職の告発に対して、彼は一度も返答していないからです」。
 そして、夫が釈放されたらゾロトフに答えるだろうと強調した。


このような断定的なものの言い方は、人々を驚かせるのに十分だった。しかし、彼女の発言は、あくまで夫が自由に行動できない場合の代弁者として、という形だった。


■2020年夫の毒殺計画が実行され、身を挺して夫を守った


決定的な転機は、2020年8月の夫の毒殺未遂だった。


アレクセイは、シベリアのトムスクからモスクワへ向かう飛行機の中で苦しみ始め昏睡状態に陥った。飛行機はシベリアのオムスクに緊急着陸した。その後、彼の支持者は、空港で飲んだお茶に毒を盛られたと考えていたが、後日もっと恐ろしい事実が判明した。


欧州各国やEUの首脳、国連組織やNGOが反応する中で、メルケル独首相とマクロン仏大統領は、ナワリヌイ夫妻を助ける用意があると述べた。そしてメルケル首相が、ドイツからナワリヌイ氏の搬送機と医療チームをロシアに派遣したのだ。


夫をドイツの病院に移送し、救出活動を主導したのはユリアだった。


後編に続く


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今井 佐緒里(いまい・さおり)
ジャーナリスト・欧州とEUの研究者
フランス・パリ在住。EU、国際社会や地政学、文化、各国社会等をテーマに執筆。ソルボンヌ(Paris 3)大学院国際関係・欧州研究学院修士号取得。駐日EU代表部公式ウェブマガジン「EU MAG」執筆。前大使のインタビュー記事も担当(〜18年)。編著『ニッポンの評判 世界17カ国レポート』(新潮新書)、欧州の章編著『世界で広がる脱原発』(宝島社)ほか。Association de Presse France-Japon会員。フランスの某省関連で働く。出版社の編集者出身。早大卒。
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(ジャーナリスト・欧州とEUの研究者 今井 佐緒里)

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