BIGLOBEニュース サービス終了のお知らせ
平素よりBIGLOBEニュースをご利用いただき、誠にありがとうございます。
BIGLOBEニュースは、2025年6月2日にサービスを終了させていただくこととなりました。
長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。

日本の刑務所は「高齢者と障害者」であふれている…元受刑者が塀の中で見た「日本社会の縮図」

2025年3月19日(水)18時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/HIKKAR

罪を犯した人が社会復帰するには、どんな苦労があるのか。作家の山本譲司さんは衆議院議員時代に起こした秘書給与詐取事件で実刑判決を受け、現在は出所者の社会復帰支援に取り組んでいる。そんな山本さんが上梓した『出獄記』(ポプラ社)より、一部を紹介する——。(第1回/全3回)
写真=iStock.com/HIKKAR
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/HIKKAR

■社会へ戻ろうとする50代前半の受刑者


ある夏の日のことである。私は、一人の受刑者と会っていた。場所は、刑務所内の会議室だ。狭い面会室とは違って、間を仕切るアクリル板もなく、開放感のある部屋だった。


ひと月半後に刑期満了を迎えるその川端要三(仮名)さんとの面談は、これが2回目だ。彼が入室した時から、部屋の中に、石鹸の匂いが漂っている。きっと、入浴を終えたばかりなのだと思う。


外は晴天だった。窓からの陽射しが、川端さんの顔面を照らし、深く刻まれた皺を強調する。白髪に覆われた頭部は、銀色に光っていた。彼の年齢は、50代前半。にもかかわらず、その外見からして、とうに還暦を過ぎた老人のように見えた。


長方形のテーブルをはさんで、二人と向き合っている。川端さんの横に座るのは、審査保護係という社会復帰担当の刑務官だ。


私は、笑顔をつくりながら、話を切り出した。


「川端さん、見つかりましたよ。この前お会いした時に約束した通り、ここから出たあとに生活できるところを見つけてきました。きょうは、その報告にうかがったんです」


■「出所後は、ホワイトハウスで暮らす」


途端に彼は、落ち着かない様子になった。視線を左右にせわしなく動かし、それから、声を潜めて言う。


「内緒の話だども、きのうCIAがら知らせ受げだんだ。こごがら出だあどは、バイデンさんのスタッフが迎えに来てけるようになったんだ。んだもんて、もう山本さんに面倒みてもらわねでも良ぐなった……。出所後は、ホワイトハウスで暮らすこどになるんだども、まわりは優しぇ人ばがりのようだ」


言い終わらぬうちに、溜め息が聞こえてきた。溜め息を吐いたのは、目の前の刑務官だ。


その年配の刑務官が、上半身を捻り、川端さんのほうを向く。


「おい、どないなっとんねん。この前は、『出所後は福祉の世話になる』て、そう答えとったんちゃうか。せやから、こないして山本さんも動いてくれはんねんぞ。もう出所までひと月半や。今になって、そないけったいなことゆうたらあかんわ。だーれも相手してくれへんようになるで。どやろう、この前、あんたが話した通り、『ここから出たら福祉の支援を受ける』、それでええんやないか」


■統合失調症は考慮されず、刑事被告人に


福祉の支援──。確かに前回の面談時、最後になって、ようやくその言葉が聞かれた。だがそれも、誘導尋問に近かったように思う。はじめのうちはずっと、自分は皇室の人間だから大丈夫、と言い張っていたのだが……。いずれにせよ、重い統合失調症を患っていることは明らかだった。


服役前の彼は、路上生活を送っていたという。最初に捕まったのは、置き引きによってだ。この時、精神鑑定は行なわれず、当たり前のように刑事被告人となった。刑事責任能力が問われることはなかったのである。裁判では、初犯であり、かつ被害が軽微であったため、執行猶予を付した判決が下される。


ところが、釈放後すぐだった。公園で女子中学生に話しかけたところ、即座に、不審者として警察に通報される。たぶん彼は、パニック状態になったのだろう。駆けつけた警官を前に暴れだしてしまい、「公務執行妨害罪」での現行犯逮捕となる。


またも裁判にかけられた彼は、前刑の執行猶予も取り消された。結局、2回の裁判を受けたあと、合わせて2年半の刑期で服役することになったのだった。


写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

■唯一の親族である妹は身元引受人を拒否


彼には、出所しても、帰る場所がない。両親は、すでに他界していた。親族として妹が一人いるものの、兄の身元引受人になることを強く拒んでいるらしい。


川端さんは、まともな仕事に就いた経験がなく、精神科病院への通院歴もあった。そして今は、犯罪者となり、刑務所に服役している。妹は、そんな兄の存在に苦悩し続けてきたようだ。一緒に暮らしていた当時は、夜中に奇声を上げられ、近隣住民に謝って回ることもたびたびだったという。


それでも、やはり血を分けた兄妹だ。兄の服役後、一度は面会に訪れてくれたのである。しかし、そこまでだった。精神疾患の症状が、さらに悪化している兄の姿を見て、いよいよ自分の手には負えない、と感じたのだそうだ。


私が、彼の社会復帰調整を手伝うようになったのは、2カ月ほど前からだった。以後、何人もの福祉関係者に当たり、引き受けを依頼した。だが予想通り、なかなか引き受け先は見つからない。自分が関係する更生保護法人やNPO法人もあるが、川端さんが生まれ育った地域から遠く離れた場所にあり、彼の希望には沿えなかった。


■支援も治療も受けられるという「朗報」だが…


朗報がもたらされたのは、4日前のこと。駄目で元々という気持ちで声をかけた人物から返事があった。その人は、生活困窮者を支援する会の代表を務めていた。その会は、法人格もなく、ボランティアグループに近い、私的な団体だった。


彼は、本人が望むなら引き受けてもいい、と言う。彼の団体は、設立当初から精神科クリニックと連携しており、そこで、投薬治療も受けられるようだ。そのありがたい話を受け、早速、この日の面談がセットされたのである。


心のうちでは、川端さんも喜んでくれるだろう、と考えていた。けれども、実際はそうではなかった。


「なあ川端さん、あんたも難儀な人やな。もう頼むわ、正気に戻ってくれへんやろか」


刑務官は、懇願するような口調になっている。


「この通り、お願いやから、福祉の支援、受けてくれんか」


最後は深々と頭を下げた。


「バイデン大統領が助げでけるがら、大丈夫」


川端さんは真顔でそう答え、それっきり黙り込んでしまった。


■出所の5人に1人以上が受ける「26条通報」


社会復帰調整というのは、本人の同意がないまま、話を進めることはできない。


本人が承諾しないのであれば、あとはもう、やるべきことはひとつ。精神保健福祉法にもとづく26条通報だ。そこに、一縷(いちる)の望みを託すしかなかった。


精神保健福祉法26条の内容を要約すると、こうなる。


矯正施設の長は、精神障害者またはその疑いのある受刑者が出所する時は、あらかじめ、本人の帰住地(帰住地がない場合は当該矯正施設の所在地)の都道府県知事に通報しなければならない。

何を目的とした通報なのか。それは、通報を受けた自治体側が、対象となる出所者を医療機関につなぐためのものであろう。しかし、実態としてはどうか。残念ながら、自治体が動いてくれることはほとんどない。


『矯正統計年表』によれば、2023年の出所者総数1万6233人のなかで、3537人が、帰住地の自治体に26条通報されている。だが、そのうち医療につながったのは、わずか51人に過ぎない。


その少なさもさることながら、やはり何よりも驚かされるのは、通報者の多さではないか。3537人というと、全出所者の約22パーセントだ。刑務所側は、出所者の5人に1人以上が、精神障害やその疑いのある者と判断していたのである。


■障害のある人、高齢者の割合が高い


精神障害者だけではない。刑務所内には、知的障害のある人たちもたくさんいる。


日本の刑務所では、受刑者となった者は、まず知能指数の検査を受けなくてはならない。『矯正統計年表』に、その結果が記載されている。2023年の新受刑者総数1万4085人のうち、2割以上が知的障害を表すIQ69以下の者ということだ。


もちろん、一人が両方の障害を抱えている場合もあるだろうから、単純に、受刑者の4割以上に精神障害や知的障害がある、とはいえない。でも、その割合が、一般社会とは比にならないほど多いことは確かである。


精神や知的に障害のある受刑者は、mentalの頭文字をとり、「M指標受刑者」として、医療刑務所や医療重点施設で処遇されていた。また、一般の刑務所でも、多くの受刑者がスモールM、すなわち「m指標受刑者」として服役している。川端さんも、その一人だった。


我が国の刑務所は、高齢化率も、世界の国々のなかで突出して高い。日本社会全体に占める70歳以上の人たちの割合は、この20年の間に、約2倍になったが、受刑者全体に占める割合では、約5倍に膨らむ。


写真=iStock.com/MichikoDesign
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MichikoDesign

■刑期満了日、妹が兄を迎えに来てくれた


高齢者や障害者で溢れる我が国の刑務所──。今や刑務所というところは、福祉の代替施設と化してしまっていた。私の知る限り、高齢受刑者や障害のある受刑者の多くが、寄る辺のない身だった。出所したとしても、頼るべき人がいないのである。


では、あれから川端さんがどうなったのか。それについては、後日、あの年配の刑務官から報告を受けていた。


「いやー、ほんまに良かったです。出所間際になって、妹さんから手紙が届きましたんですわ。で、急転直下、引き受けオッケーやと……。刑期満了の日は、妹さん、遠くからやのに、ちゃーんと迎えに来てくれましてね、川端と向きおうて、『兄ちゃん、長い間、お疲れ様』て、目え……、目え潤ませながら言うとりました……」


そう話す刑務官の声も潤んでいる。


「川端も大人しゅう、妹さんについて帰りましたわ。やれやれでした。せやけど、一番喜んどったんは、川端のおった工場の工場担当です」


■受刑者のために心を砕く刑務官たち


工場担当というのは、受刑者処遇の中心を担う立場の刑務官だ。受刑者から「おやじ」と呼ばれることも多い。


「山本さんは、気づきはりましたか、2回目の面談時のあの石鹸の匂い。1回目の時、川端の体、えげつない臭いしてましたでしょ。せやから工場担当、山本さんが嫌な思いしたんやないかって、えらい心配しとったんです。『帰住先わざわざ探してくれはる方やのに、あの臭いで気分害されたんとちゃうか』って、そない言うてましたわ。ほんで結局、2回目の面談前は、工場担当自ら、風呂場まで連れて行って入浴させたっちゅうわけです」


現場刑務官は皆、受刑者の円滑な社会復帰を願っている。川端さんの件では、その一端を知ることができたようで、私自身、嬉しくも頼もしくも感じた。


■救われなかった人たちが次々と塀の中へ


川端さんについてはひと安心したが、それは稀な例だと思う。高齢受刑者や障害のある受刑者のほとんどは、福祉のみならず、家族からも見放された存在となっているのである。



山本譲司『出獄記』(ポプラ社)

そもそも健常者もそうだが、罪を犯した者の過去を調べると、貧困や悲惨な家庭環境といった様々な悪条件が重なることによって、不幸にして犯罪に結びついているケースが多い。


そうした事実を踏まえれば、現在の刑務所の状況は、障害者のほうが健常者よりも、より困難な生活環境に置かれる可能性が高いという、日本社会の現実を表しているようなものではないだろうか。


福祉のセーフティーネットから零れ落ちた人たちが、次から次と、塀の中に入ってきている。そんな彼ら彼女らを、刑務官たちが世話をしているのだ。


----------
山本 譲司(やまもと・じょうじ)
作家、元衆議院議員
1962年、北海道生まれ。佐賀県育ち。早稲田大学卒。菅直人代議士の公設秘書、都議会議員2期を経て、1996年に衆議院議員に当選。2000年に秘書給与詐取事件を起こし、一審での実刑判決を受け服役。出所後、433日に及んだ獄中での生活を描いた『獄窓記』(ポプラ社)が「新潮ドキュメント賞」を受賞。障害者福祉施設で働くかたわら、『続獄窓記』『累犯障害者』『刑務所しか居場所がない人たち』などを著し、罪に問われた障害者の問題を社会に提起。現在も、高齢受刑者や障害のある受刑者の社会復帰支援に取り組む。小説作品として『覚醒』(上下巻)『螺旋階段』『エンディングノート』がある。
----------


(作家、元衆議院議員 山本 譲司)

プレジデント社

「刑務所」をもっと詳しく

「刑務所」のニュース

「刑務所」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ