これをやらない手はない…橘玲が伝授「サラリーマン」が税金と社会保険料を減らし手取りを勝ち取る最強手段

2025年4月9日(水)8時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/st-palette

サラリーマンは国家に収入をすべて捕捉され、逃げ場のない、がんじがらめの「隷属」状態だ。ところが世の中には“制度の穴”を上手に利用している人たちがいる。『新・貧乏はお金持ち』を刊行した作家の橘玲さんは「個人と法人という“2つの人格”を使い分けると、税・社会保険料コストの大幅削減をはじめとする不思議なことが次々起こる」という——。(第2回/全3回)

※本稿は、橘玲『新・貧乏はお金持ち』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。


■資本主義は欲望でお金を増殖させるシステム


リーマンショック(2008年)でアメリカの金融機関がばたばたとつぶれたとき、「グローバル資本主義の終わり」だといわれたけれど、好むと好まざるとにかかわらず、わたしたちは資本主義と市場経済の中で生きていかなくてはならない。人類はこれ以外の経済制度を持っていないし、これからも(少なくとも生きているあいだは)ずっとそうだからだ。


市場経済というのは、「お金」という共通の尺度でモノとモノとをやりとりする仕組みのことだ。資本主義は、「もっとゆたかになりたい」という人間の欲望によってお金を自己増殖させるシステムだ。


このふたつが合体した経済世界でわたしたちがお金を獲得する方法は、つまるところたったひとつしかない。


資本を市場に投資し、リスクを取ってリターンを得る


これだけだ。


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■働く能力=人的資本を投資して給料というリターンを得る


働く能力を経済学では「人的資本」という。若いときはみんな、自分の人的資本(労働力)を労働市場に投資して、給料というリターンを得ている。


人的資本は要するに「稼ぐ力」のことだから、知識や経験、技術、資格などによって一人ひとりちがう。大きな人的資本を持っているひとはたくさん稼げるし、人的資本を少ししか持っていないひとは貧しい暮らしで我慢しなくてはならない(これはあくまでも統計的な結果で、人的資本と収入が一対一で対応しているわけではない)。


働いて得た給料から食費や家賃などの生活経費を支払って、いくらかのお金が手元に残ったとしよう。そうすると、このお金を資本金にして、資本市場に投資してお金を増やすことができる。


もっとも一般的な投資が「貯金」で、これは銀行などにお金を貸して利息を得ることだ。貯金は元本の返済が約束されていて、おまけに日本国の保証までついているから、リスクが低いかわりにリターン(金利)も低い。


■人的資本と金融資本


それで満足できないなら、「株式」に投資することもできる。


こちらはずっと高い配当をもらうことができるけれど、元本が保証されているわけではないから、株価が大きく値下がりしたり、場合によっては紙くずになってしまうこともある。そのかわり大儲けする可能性もあるから、これはハイリスク・ハイリターンだ。


このようにわたしたちは、人的資本を労働市場に投資したり、金融資本(手持ちのお金)を資本市場(金融市場や不動産市場)に投資したりして、生きていくための糧を得ている。若いときは人的資本で稼いで、年を取って働けなくなると金融資本と年金で生活する、というのが一般的なパターンだ。


人的資本理論では高い教育を得たひとほど人的資本が大きいとされるから、「高学歴=高収入」という法則が生まれ、高い学費を払ってMBA(経営学修士)などの資格を取得することが流行した。速読術や情報収集法、セルフマネジメントやコーチング、そういったもろもろの自己啓発術も、人的資本を高めてより多くの収入を得ようという戦略だ。


■ほとんどのひとが敗者になる「自己啓発戦略」


ところでこのたび著わした『新・貧乏はお金持ち』では、こういう話はいっさい出てこない。


書店に行けば玉石混交の自己啓発本が溢れていて、それに新たになにかを加えることなどとてもできそうにない。


それともうひとつ、私自身が「自己啓発」という戦略にいまひとつ納得できないということもある。簡単にいうと、みんなが同じ目標を目指せば少数の勝者と大多数の敗者が生まれるのは避けられず、ほとんどのひとが敗者になってしまうのだ。


*「やればできる」という自己啓発の思想については、「やってもできない」という立場から、『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』(幻冬舎文庫)で批判的に検討した。


そこでこの本では、お金と世の中の関係を徹底して考えてみたい。なぜそんなことをするのかって? 自分が生きている世界の詳細な地図を手に入れることができれば、自己啓発なんかしなくても、ほかのひとより有利な場所に立つことができるからだ。


■大会社も、自営業者も、サラリーマンも「企業」


資本主義社会で生きていくということは、所有している資本(人的資本や金融資本)を市場に投資して利益を得る(資本を増殖させる)ことだ。この経済活動を「企業 Enterprise」という。


町の八百屋からトヨタやソニーのような大会社まで、企業は市場参加者すべての総称だ。企業の主体が企業家で、通常は中小企業のオーナー社長などのことを指すが、人的資本を投資しているという意味では、自営業者だけでなくサラリーマンだって立派な企業家だ。


日本語だとこのあたりの区別があいまいなのだが、企業活動のための効率的な仕組みとして考え出されたのが「会社 Company」で、協力と分業の力によって、個人がばらばらに働くより大規模かつ高速にお金を増やす(資本を増殖させる)ことができる。


会社は社会の中でとても大きな役割を果たしているから、法律上の人格(法人格)が与えられている。ここはちょっとややこしいが、これが資本主義の根幹で、要するにわたしたちの生きている世界の骨格にあたるものだ。


写真=iStock.com/EyeEm Mobile GmbH
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■ひとは人的資本を最大化させるために生きている


サラリーマンをつづけるべきか、脱サラするべきかがよく問題になる。でもこれは、設問の仕方が間違っている。原理的にいうならば、わたしたちはみんな企業家で、意識しているかどうかにかかわらず、常に人的資本を最大化するような選択をしているのだ。


金融市場への投資(株式投資など)はその価値が金銭の多寡で一元的に計算できるけれど、人的資本の投資(働くこと)には金銭以外のさまざまな基準がある。「大損したけど素晴らしい投資」というのは定義矛盾だが、「一文にもならないけれど楽しい仕事」というのはいくらでもあるだろう。


人的資本を最大化するというのは、たんにより多くのお金を稼ぐことではなくて、そのひとにとっての満足度(充実度)をいちばん大きくすることだ(とはいえ、お金がなくては生きていけないから、これがもっとも大事な基準であることは間違いない)。


こうした選択の結果として、会社勤めをつづけて出世を目指すひとと、脱サラしてラーメン屋をはじめるひとが出てくる。人生をリセットすることはできないから、その選択がほんとうに正しかったかどうか検証することは不可能だけれど、どちらも人的資本をリスクに晒(さら)してより大きなリターンを得ようとしていることは同じだ。


■サラリーマンに決定的に足りないもの


とはいえ、サラリーマンとそれ以外の企業家にはひとつ決定的なちがいがある。


それは、サラリーマンが企業活動(お金を稼ぐ経済活動)の主要部分を会社に委託(アウトソース)していることだ。これは具体的には、会計・税務・ファイナンスになる。


会計は収支や資産を管理する仕組みで、税務は所得税や消費税などを国家に納税する経済行為だ。ファイナンスは資金の流れを把握し、資本市場から効果的に資金調達することをいう。


これはどれも企業家にとっては生死を分かつほど重要なことだけれど、サラリーマンは源泉徴収と年末調整によって会社に税務申告と社会保険料の計算を委託しているので、手取り収入の範囲で生活しているだけなら会計も税務も必要ない。住宅ローンはファイナンスの一種だが、家賃のかわりに決められた金額を払っているひとが大半だろう。


サラリーマンとは、企業家としてのコア(核心)を切り離すことで、自らの専門分野に特化したひとたちなのだ。


■脱サラの成功率が高くない理由


経営学では、会計・税務・投資・資金調達などは「会計ファイナンス」と括られる。だから、こうした知識をまとめて「フィナンシャルリテラシー」と呼ぶことにしよう。リテラシーというのは、「読み書きの能力」のことだ。


よく知られているように、脱サラの成功率はあまり高くない(一般に3割程度といわれている)。それにはいろいろな理由があるだろうが、そのひとつにフィナンシャルリテラシーの欠落があることは間違いない。


純粋培養されたサラリーマンが、羅針盤も海図もなく徒手空拳で市場の荒波に乗り出していく。会社の財務状況を把握できず、余分な税金を払い、高い利息でお金を借りていれば、あっという間に難破してしまうのも当然だ。


■会社に与えられる「法律上の人格」


会社には法律上の人格が与えられる。私はこの意味がずっとわからなかった(正直にいうといまでもよくわからない)。


近代の市民社会は個人(市民)の人格を等しく認め、それを人権として社会の礎(いしずえ)に置いた。だから、私やほかのひとたちが人格(パーソナリティ)を持っていることは理解できるけれど(これがあいまいになると精神病と診断される)、法律上の人格っていったいなんだろう。


本書のもうひとつの主題は、「法人」をめぐる謎になる。その不思議を解明しようとして自分で会社をつくってみたのだが、その結果、事態はさらに錯綜(さくそう)しまった。


私の会社には株主と取締役が一人しかおらず、それはもちろん私自身なのだが、この会社は、私(個人)とは独立した法人としての人格を持っているのだ。世の中にこんなヘンな話ってあるだろうか?


本書では、こうした一人会社を「マイクロ法人」と名づけた。


■フリーエージェントが法人化した「マイクロ法人」


会社に雇われない生き方を選択したひとたちを「フリーエージェント」という。1980年代以降、欧米など先進諸国で増えつづける新しい就業形態で、このフリーエージェントが法人化したものがマイクロ法人だ。



橘玲『新・貧乏はお金持ち』(プレジデント社)

本書の親本(『貧乏はお金持ち』)を刊行した2009年当時、アメリカでは全就業者の4分の1、約3300万人がフリーエージェントで、1300万社のマイクロ法人があり、11秒に1社の割合で自宅ベースのミニ会社が生まれていた。


アメリカでは会社に雇われない生き方が一般化すると同時に、フリーエージェントのマイクロ法人化が進んでいる。彼らは別に、第2のマイクロソフトやグーグルを目指しているわけではない。会社に所属するのではなく自分自身が会社になるのは、そのほうが圧倒的に有利だからだ。


会社をつくることによって、個人とは異なるもうひとつの人格(法人格)が手に入る。そうすると、不思議なことが次々と起こるようになる。


詳しくは本書を読んでほしいのだが、まず収入に対する税・社会保険料のコストが大幅に低くなる。さらには、まとまった資金を無税で運用できるようになる。そのうえもっと驚くことに、多額のお金をただ同然の利息で、それも無担保で借りることができる。


■存在しないはずの「フリーランチ」があった


こうした法外な収益機会は、本来、自由で効率的な市場ではありえないはずのものだ(経済学の大原則は、「市場にはフリーランチ=ただ飯はない」だ)。ところが実際には、別の人格を持っただけで、簡単にフリーランチにありつくことができる。


こうした奇妙な出来事は、国家が市場に介入することから生じる。世界大不況で「市場の失敗」が喧伝されたが、じつはそれ以前に、国家が市場を大きく歪めている。その最大のものは世界中の国家が好き勝手に貨幣を発行していることなのだが、それ以外にも市場には無数の制度的な歪みがあって、それによって理論上は存在しない異常現象が現実化するのだ。


フリーエージェントがマイクロ法人になるのは、国家の歪みを最大化するためだ。それをひとことでいうならば、


マイクロ法人は、国家を利用して富を生み出す道具


なのである。


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橘 玲(たちばな・あきら)
作家
1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。同年、「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラーに。05年の『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補に。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』で2017新書大賞受賞。著書に『「読まなくてもいい本」の読書案内』(ちくま文庫)、『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)、『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎文庫)、『DD(どっちもどっち)論 「解決できない問題」には理由がある』(集英社)など多数。
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(作家 橘 玲)

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