なぜJR赤羽駅の発車メロディは「エレカシのヒット曲」なのか…北区観光協会の夢を追う地元愛の物語

2024年4月23日(火)9時15分 プレジデント社

赤羽駅(東北本線、湘南新宿ライン)の駅名標(写真=LERK/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

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JR赤羽駅(東京都北区)では、エレファントカシマシの「俺たちの明日」(2008年発表)と「今宵の月のように」(1997年発表)が発車メロディになっている。なぜ赤羽駅でエレカシの楽曲が採用されたのか。昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員・藤澤志穂子さんの新著『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)から紹介する——。
赤羽駅(東北本線、湘南新宿ライン)の駅名標(写真=LERK/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

■あらゆる人を受け入れてくれる街・赤羽


JR赤羽駅東口に降りると、バスターミナルの屋根の上に「AKABANE」の赤いネオンが光っていた。駅前にはレトロな昭和感も漂う赤羽は、荒川河川敷に近いターミナル駅で、周辺には大型商業施設から商店街、歴史を刻んだ個人商店、居酒屋、はては風俗エリアまで「何でもアリ」的な街並みが広がる。


商店街にはアート作品も配置され、“よそ者”の私が歩いてみても、不思議と居心地は悪くない。誰をも寛容に受け入れる、「『猥雑なごちゃごちゃ感』が赤羽の魅力」と東京北区観光協会事務局長の杉山徳卓さんは言う。全てを受け入れ、包み込んでくれる優しさは、エレファントカシマシ(通称エレカシ)の音楽にも通じるだろうか。


ほぼ全ての歌の作詞・作曲とボーカルを担当する宮本浩次さんはじめ、メンバー三人が赤羽の出身。2018(平成30)年11月から宇都宮線・高崎線・湘南新宿ラインのホームで二つの代表曲が流れている。


池袋・東京方面に向かうホームでは『俺たちの明日』で2007(平成19)年発表。がんばろう、と自分と仲間を鼓舞するように始まる歌詞は、不器用でも生きていこうという内容で、都心に向かうビジネスパーソンを励まして送りだそうというメッセージが込められている。


■駅メロになったエレカシのヒット曲


「俺たちがやってきた音楽や、人生観とか、姿勢とか、そういうものが凝縮された」「一つの総決算だった」(『俺たちの明日 下巻—エレファントカシマシの軌跡』2017 ロッキング・オン)とのちに宮本さんは語っている。2023(令和5)年12月末の紅白歌合戦でも披露された。


高崎・宇都宮方面に向かうホームでは『今宵の月のように』で、1997(平成9)年発表。ドラマの主題歌として制作され、どんなに辛いことがあっても、再び今日の月のように輝ける日は来る、という内容で、都会での仕事に疲れて家路に急ぐ人々を、横からそっと励ます選曲だ。


2017(平成29)年12月末、エレカシが紅白歌合戦に初出場した際に披露したヒット曲でもある。二曲とも発表当時は「エレカシを等身大に表現した歌」と評され、多くのファンの支持を得た。


メロディを流すにあたっては、赤羽駅では比較的、発着本数の少ない湘南新宿ラインなど三つのホームが選ばれた。京浜東北線では、電車の発着が頻繁過ぎて流せるメロディが短くなってしまい、曲の良さが堪能できない、という理由だった。ホームに立つと、そんな曲のエッセンスが詰め込まれたメロディを、じっくり味わうことができる。


■きっかけは幻の「30周年記念、荒川河川敷ライブ」だった


バンドとしてのエレカシは1988(昭和63)年にデビュー。当時バンドの追っかけをしていた同級生がおり、彼女の話を聞く限りでは、どこかとんがった、インディーズ系パンクバンドのような印象があった。まだメジャーではない時代、渋谷のライブハウス前で機材を自分たちで運搬するメンバーたちをファンが取り巻いていたという。


宮本さんは、1960〜70年代にかけて活躍した米ロックバンド、ドアーズのボーカリストで早逝したジム・モリソン(1943〜1971)が好きだと発言しており、それに重なるような印象もあった。そんなイメージにちょっとローカルな「赤羽」はそぐわないと考えたのか、エレカシが赤羽出身であることは、ファンの間では知られていたにせよ、積極的にバンド側から発信されていたふしはなかったように思う。


画像=プレスリリースより

こうしたエレカシのイメージ戦略に、変化の兆しが見えたのは、デビュー30周年を控えた2017(平成29)年12月。「紅白歌合戦に出場した前後ではなかったかと思います」と東京北区観光協会の杉山さんは推測する。


翌年の2018(平成30)年3月のデビュー30周年を記念して、「荒川河川敷で野外コンサートができるかどうか、調べてほしい」といった打診が同観光協会にあったのだ。動員目標数は約1万5000人、実現すればもちろん、荒川河川敷では初めての大型野外ライブとなるはずだった。


■実現寸前で頓挫したけれど…


荒川河川敷では、埼玉県内や足立区など複数の地域で花火大会が開催されてきた。東京北区観光協会では、2012(平成24)年から荒川河川敷で「北区花火会」を運営しており、最初は民間有志の働きかけで始まった経緯がある。


民間団体として、河川敷での安全確保をはじめ、管理者である国土交通省と緻密な交渉を重ねてきたノウハウを観光協会では持っている。そのノウハウを、コンサートの企画運営に生かしてもらえないか、といった打診だったという。


観光協会では、例年の花火実行委員会を“エレカシライブ実行委員会”に衣替えし、水面下で関係先との交渉と準備を始めた。実現寸前まで進んだが、デビュー30周年までの開催には間に合わず、結局はとん挫する。


「その代わりに何かしなければ、と考えたのが駅のメロディでした。赤羽はエレカシのファンには『聖地』とされています。僕らの世代でも自分が、兄妹が、もしくは友人がメンバーと同級生だったとか、あえて口には出さないけど誇りに思う気持ちがある。でも地元の人たちは、実際あまり知らないんです。エレカシを赤羽の地元コンテンツとして盛り上げたいという期待がありました」と杉山さんは振り返る。


写真=iStock.com/winhorse
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/winhorse

■企画断念から半年で実現、観光協会の猛烈プッシュ


観光協会では、駅メロ用にエレカシの曲の中でも特にヒットした『俺たちの明日』『今宵の月のように』を選び、所属事務所に打診、快諾を得てJR東日本と交渉に入る。「コンサート企画の断念から半年あまりで実現させました。スピードは早かった」(杉山さん)。


宣伝にあたっては、エレカシの写真を使うと費用がかかってしまうため、赤羽在住の漫画家、清野とおるさんにメンバー四人のイラストを描いてもらった。清野さんは赤羽を舞台にしたヒット作『東京都北区赤羽』を持つ。JR赤羽駅西口にたたずむメンバー四人と、満月の夜の河川敷で水門を眺める宮本さんの後ろ姿を描いた二種類を手掛けた。



藤澤志穂子『駅メロものがたり』(交通新聞社新書)

清野さんはX(旧ツイッター)で「エレカシだぁ〜い好きなので、背景もカラーも心を込めて一人で描きました。狂いそうになりました」(2018年11月8日)と、楽しみながら描いたことをつぶやいている。イラストは、駅のメロディ開始にあたって横断幕やステッカーにも使われ赤羽を盛り上げた。


宮本さんは発車メロディを誇りに感じているようだ。「ぼくは赤羽に行くといつだってほっとします。それは、赤羽はぼくの故郷(ふるさと)だからです。そんな故郷、赤羽駅の発車メロディにぼくらの曲が使われる、これはもう信じられないような、でも、誇らしく、うれしくなんかとてもあったかい気持ちになります。本当にありがとうございます」とコメントを出した(『オリコン・ニュース』2018年11月8日付)。


■荒川河川敷ライブをまだあきらめていない


東京北区観光協会では、エレカシの荒川河川敷でのライブを「いつか必ず実現させる」ことを目標としている。


その“前哨戦”という願いを込めた北区花火会が2022(令和4)年10月22日、コロナ禍を経て3年ぶりに開催され、エレカシの音楽をバックに大きな花火が打ち上げられ、ひときわ大きな歓声を集めた。「宮本さんはじめメンバーの皆さんに、赤羽の観光大使になってもらえたら」(杉山さん)と夢は膨らむ。


その期待を込めてか、デビュー前のメンバーが練習していたという音楽教室では、メンバーの直筆サインが並んでいる。清野さんのポスターも、今も赤羽駅のそばや、街のそこかしこで目にすることができる。


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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社) がある。
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(昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員 藤澤 志穂子)

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