知る人ぞ知る”正解”のないオンライン学校「イシス編集学校」の秘密とは。現学長・法政大学元総長の田中優子も驚いたメソッドの裏側

2025年4月23日(水)11時0分 PR TIMES STORY

いま、大人の「学び」が注目されています。リカレント教育、リスキリング、生涯学習……。仕事に役立て、人生を豊かにする「これからの学びの場」として、さまざまな分野のプロフェッショナルから急速に注目され始めているのが、イシス編集学校です。

イシス編集学校とは、編集工学者・松岡正剛によって2000年に創立されたネットの学校。これまで実に3万人が学び、800名を超える指導陣を輩出したユニークな学校です。ここでは、一体どんな「学び」が繰り広げられているのでしょうか。どうして、いま、イシス編集学校が求められているのでしょうか。経営者から子育て中のワーキングマザー、企業の広報担当、大学の元総長まで、イシス編集学校内外で活躍する4名が、その理由を語り尽くします。

座談会メンバー プロフィール

奥本英宏(進行)

株式会社リクルート元顧問、リクルートワークス研究所元アドバイザー。ハイパーコーポレートユニバーシティ[AIDA]をきっかけに、2013年、イシス編集学校入門。2015年から師範代・師範を務める。

田中優子

法政大学名誉教授、江戸文化研究者。イシス編集学校には2002年に入門、法政大学総長時代に基本コース[守]、応用コース[破]、世界読書奥義伝[離]修了。2024年9月、イシス編集学校学長に就任。2025年5月より、師範代としての登板が決定。

小林奈緒

教育系企業に勤務。2006年、イシス編集学校入門。2017年からは、師範代・師範を歴任。2児の子育てをしながら、現場で指導にあたる。

福地恵理

合同会社yuiya代表。企業広報を軸として幅広くコミュニケーション・デザインに携わる。2023年、イシス編集学校入門。2024年10月、師範代として初めて登板。

■知る人ぞ知る「世界でひとつの方法の学校」。私がイシス編集学校に入門した理由

—— 奥本:今日は、イシス編集学校で活躍する多彩なみなさまにお集まりいただきました。それぞれお仕事も違えば、イシスへの入門理由も違います。まずは、もっとも最近入門された福地さんから、入門のきっかけを聞かせていただけますか。

福地:

(大学院の)恩師に勧められたのが直接のきっかけです。私はこの15年、広報の仕事をしてきました。上場企業の広報としてさまざまな業務を担当してきましたが、当時はすべて独学。しっかりと広報のことを学ぶべく、広報専門職大学院である社会情報大学院大学(現 社会構想大学院大学)に入学して、2年間学び、2019年に修士号(専門職)を取得しました。

そして、大学院を修了したあとのことです。このあとも学びを続けたくて、恩師に相談したところ、「松岡正剛さんの学校があるから」と教えてもらい、松岡正剛校長のことは全く知らなかったのですが、勧めを素直に聞いてすぐに入門しました。

—— 大学院に進み、そのあとはイシス編集学校へ。学ぶのがお好きなんですね。

福地:

好奇心が強いんだと思います。幼少の頃から、親に「バスってなんでバスって言うの?」なんて聞いて、めんどくさがられていましたね(笑)。知らなかったことを知る喜びが大きくて、学び続けるのだと思います。

—— 学び続けるといえば、小林さんも20年近くイシス編集学校に関わっておられますよね。入門のきっかけは?

小林:

私も福地さんと同じく、自分が尊敬する先輩にイシス編集学校を勧めてもらったのがきっかけです。2006年に入門しました。

私は、教育系の会社に勤めています。教材をつくりたくて入社したのに、当時は、営業担当になってしまって。悶々としている時期に、その先輩が「小林が好きそうな学校を見つけた」って教えてくれたので、迷わずに入門しましたね。

基本コース[守]を受講しているときは、編集コーチである師範代からの指南がすごく楽しみでしたね。自分が考えた内容について、正解・不正解ではない評価が返ってくるのがとにかく楽しくて、自分がイケてる感覚になって嬉しかったのを覚えています。

—— イシス編集学校では、師範代と呼ばれる編集コーチが10人程度の教室を持って、オンラインでお題を出題します。参加している学ぶ方々を学衆と呼ぶのですが、学衆から回答が戻ってくると、師範代は一人ひとりへ個別の指南を返します。このプロセスを編集稽古と呼びますが、小林さんは[守]ではすごく稽古を楽しまれたようですね。ですが、次の応用コース[破]は途中リタイア……。それでも、10年後の2016年に再受講されたのはどうしてでしょう。

小林:

会社から、育休に入るまえ「育休の時期にどんなスキルを磨きたいか」と聞かれ、ふと10年前に受講したイシス編集学校のことを思い出したんです。イシスのお稽古を最後までできなかったのが心残りだったのと、人とは異なるとびきり面白そうなことをしたいなと思いました。育休を経て、生活が落ち着いたころ、改めて編集学校のことを思い出し、再度、門をたたきました。

—— 福地さんも小林さんも、信頼する人のすすめでイシスに入門されたのですね。田中優子学長は、イシス編集学校の創立以前から校長松岡正剛と親交がおありでしたよね。

田中:

40年近く前から、松岡正剛校長とは仕事をしてきました。2000年にイシス編集学校が始まった様子もリアルタイムで見ていました。けれど、当時から忙しく、2002年にいったん入門してみるも途中リタイア。応用コース[破]は2003年と、2010年の2回チャレンジしましたが、いずれも挫折……。

いまやらないと一生できないかもしれないと思い立ち、法政大学総長時代に、基本コース[守]から入り直して、そこからは[守][破][離]のコースを一気に修了しました。

—— 田中学長は法政大学で教授、学部長、総長と歴任され、大学という教育現場に長らくいらっしゃいました。そんな田中学長が、イシス編集学校で何を学ぼうと思われたんでしょうか。

田中:

大学教員をつとめながら、私のなかにはずっと「これでいいのだろうか」という思いがくすぶっていました。大学は、中学や高校よりは自由だけれど、やはり仕組みに限界があります。一人ひとりに対応したいと思うけれど、公平性も担保しないといけません。ほかの教育方法を取りたいと思っても、なかなかそうはできず、結局、大人数を相手に講義することが多くなるわけです。そこに悩みがありました。

けれど、いまはイシス編集学校の方法を使えば、一般の教育現場とは異なる学びの場をつくれるのだと実感しています。

■「それは添削です」。田中優子は学校教育と全く違う方法に出会った。

[イシス編集学校の講座は、入門コース[守]から始まる。応用コース[破]を終了すると、[離][花][遊]を選んで進むことができる。]

—— 法政大学総長まで務めた田中優子さんは、イシス編集学校の学長に就任し、さらには、2024年秋に、学長みずから編集コーチ養成コース[ISIS花伝所]を受講されたんですよね。このことは、編集学校内外に大きなニュースとして知れ渡りました。

田中:

もっと早く[ISIS花伝所](以下:[花伝所])で学んでいればよかった。いまは、そればかり後悔しています。

大学を退職し、イシス編集学校の学長に就任したとき、編集学校の講座は[花伝所]以外すべて修了していました。それでも[花伝所]には行くまいと抵抗していました(笑)。長らく大学教員として勤めていましたから、退職してまで教師になりたくないと思ったのです。

けれど、[花伝所]で学んでみて衝撃を受けました。私がこれまで何十年と実践してきた教師の方法とはまったく違うメソッドに出会ったんです。

—— どのような違いだったのでしょうか。

田中:

「学ぶ」という概念が変わりましたね。[花伝所]を受講するまで、私にとって「学ぶ」ということは、本を読むことでした。研究者として、自分の研究領域の本を読む。本を読み、吸収し、私自身が成長していくことが、学ぶ方法でした。

けれど、[花伝所]を経てわかったのは、相手との相互編集のなかで起こる学びがあるということです。イシス編集学校での学びには、人間関係があるんです。

——「相互編集」は、イシス編集学校のキーワードのひとつですね。ISISとは、Interactive System of Inter Scoresの頭文字をとったものです。師範代と呼ばれる編集コーチと、学衆と呼ばれる受講生が、回答と指南のやりとりをして進んでいくのがイシス独特の学びです。

田中:

[花伝所]の稽古では、学衆からの回答に対する「指南」の方法を学びます。私は模擬回答を読み、自分なりに指南を返しました。そうしたら、「それは添削です」と指導陣から指摘されたんです。戸惑いました。添削しないで教えるなんていうことができるんだろうか、と。

仕方がないので、みようみまねで[花伝所]で習った方法をなぞるように指南してみました。すると、驚きました。同じ回答なのに、学衆さんのアタマのなかに繰り広げられるドラマが見えるようになったんです。

—— これまで田中学長が親しんでいた「添削」という指導方法と、イシス編集学校での「指南」という方法は、まるきり異なるものだったのですね。

田中:

そのとおりです。世の中の学校では「正解」があって、教師が知っている正解を生徒に教えるというものです。でも、編集学校には「正解」がありません。そこが、きわめて大きな違いですね。

師範代からの一言で、世界の見方、社会への関わり方が変わった。「正解」のない学校から学んだこと 

福地:

イシス編集学校ってお題に「正解」がないですよね。私も、イシスに入って「こんな変な答えでもいいんだ!」と驚いたのを覚えています。

—— 基本コース[守]の最初のお題は「コップ」のさまざまな使い方を考えるというお題です。「水を飲む」という一般的な使い道以外にも、「ストレス解消のために割る」とか「逆さにして虫を閉じ込める」など、子どものような自由な発想が出るほど面白がられたりしますよね(笑)。

福地:

イシス編集学校は、すごく自由な学びの場ですよね。編集学校では「Q&A」ではなくて、「Q&E」という考え方をするんです。Questionに対して、通常はひとつのAnswerがあると考える。でもイシスでは、Questionに対して多様なEditができると捉えるんです。

Q&AではなくQ&Eなんだと考えると、自分の仕事の見え方も変わりました。私は広報の仕事をしていますが、(広報に対して)広告は「これっておいしいよ」など「答え」を与えるようなものです。でも、広報は、世の中に「問い」をわたす仕事だと思っています。「こんなことを課題に感じませんか?」と問いかけて、みんなでいっしょに考えることです。

イシス編集学校で学び、方法の言葉を手にしたことで、自分のやってきたことを言語化できるようになりました。

田中:

「師範代」にせよ「Q&E」にせよ、イシス編集学校には松岡校長がつくったたくさんの新しい言葉があります。新しい言葉は、新しい概念です。イシスは、いままで企業や学校で使っていた概念が通用しない場だというのも面白いですね。

小林:

新しい概念といえば、私は、応用コース[破]の師範代に「君たちはゲリラだ」と言われたことがあります(笑)。

福地:

え? いきなりゲリラですか!? ずいぶん物騒な……。

小林:

人生のなかで、自分がゲリラと呼ばれることはまずないですよね(笑)。ゲリラといっても、方法の遊撃者という感じでしょうか。でもそう呼ばれると、「そうか、自分もゲリラの一員だと思っていいんだ」となんだか誇らしくなって、世界の見方、社会への関わり方が変わったんです。

たとえば、世の中でおかしいなって思うこと、ありますよね。そういうときでも、イシス編集学校で学んだ方法を使って抗っていったらいいんだ、と思えるようになりました。すごく小さなことですが、私は、自社の全体朝礼で配布されるアンケートにたくさん記入します。気付いたことを言語化して誰かに伝えることで、何かが変わるかもしれないと信じているんです。

—— 師範代からのたった一言で、世界への態度が変わったんですね。

小林:

「わだかまっていた(自己や情報の)本来をひきだす」ということを編集学校では大事にしています。「あなたはゲリラ」と言われたことで、固定していた自己や世界が動き出した。私のなかのわだかまりがほどけたのかもしれません。

—— イシス編集学校の編集稽古では、「師範代」という不思議な役割が学びの鍵を握ります。なぜ、師範代は学衆の可能性を引き出すことができるのか。その秘密は、対談の後編でお話ししましょう。

[イシス編集学校の全ての講座のお題タイトルが一覧できるコースマップ。電車の路線図に見立てて仕上げられている。]


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